農業協同組合新聞 JACOM
   

コラム 日系農協の底力を見た!(8)

大豆加工品の輸出で気を吐く、コロニア・オキナワ



 サン・ファンに引き続き、ボリビアのコロニア・沖縄農牧総合協同組合(沖縄農協)のめざましい事業展開の一端を紹介しましょう。
 ボリビア共和国への最初の日本人移民は、1899年(明治32年)にペルーから始まりました。ペルーでの開拓での厳しさに耐えかね、隣国ボリビアに新天地を求めて、険しいアンデス山脈を越えてきたそうです。戦後の移民は、1954年に再開されます。沖縄がまだ日本へ返還される前に、ボリビア国との間で合意をみた琉球政府計画移民(第一陣、第二陣4054人)として始まりました。1955年には、任意組合としてコロニア沖縄農牧総合協同組合が創設され、1971年には、ボリビア政府から認可され法人格を得ました。
 農協の管内の移住地は、第一、第二、第三の各移住地からなり、総面積5万ヘクタールにのぼります。サンタ・クルス州の中央部のやや西よりに位置し、リオ・グランデ河に沿って南北60kmにまたがり分布しています。リオ・グランデは、しばしば氾濫・洪水で組合員の畑作に打撃を与えていますが、農業や生活にとって重要な水資源でもあります。
 行政区域としては、「オキナワ村」になります。村には、日系の3つの移住地を含めて14の集落(コミュニティ)があり、人口は約1万2000人。日系人は1000人足らずですが、1993年以来、日系一世の人が村長として在任中です。

◆ペルーやコロンビアに進出

 この広大な面積で、144人の組合員が、厳しい自然環境に敢然と立ち向かい、平均規模350ヘクタールの農地で多様な農業経営を行っています。
 沖縄農協が取り扱う主な農産物は、大豆、小麦、ソルゴ、トウモロコシ、米、ひまわりなどです。畜産物では、牛肉、豚肉、鶏肉、牛乳など。さらに、各種の野菜もあります。
 熱帯平原といっても、亜熱帯気候ですから夏と冬に大きく分けられ、夏作と冬作の二期作栽培が行われています。大豆は、夏作が多く、小麦やソルゴは冬作の方が多く作付けられます。米は夏作のみ。品目別の収穫量は、大豆約8万トン、小麦約2万トン、トウモロコシ約6000トン、ソルゴ約6500トンとなっています。
 沖縄農協の戦略作物である大豆には、徹底した生産指導と流通対策が講じられています。ここで、大豆を中心に農協の事業推進体制について、概観してみます。

◆国際市場を見据えた事業展開

 まず、組合員の営農活動の円滑化と生産物の付加価値増進のために、多くの組合施設が設置され、機能的に運営されています。穀物(大豆・小麦)保管と加工事業のために、5万6000トンのサイロと大豆加工工場(月産6000トン)が整備されています。さらに、飼料加工工場、種子選別工場、農業機械修理工場、牛乳ミルクプラントなどがあり、組合員の営農指導のための直営試験場、肉牛飼育直営牧場、家畜診療所などもあります。
 大豆及び大豆加工品(沖縄農協ではインテグラールという)は、アンデス貿易共同体加盟国のペルーやコロンビアに大量に輸出します。大豆インテグラールの2万トン以上がペルーに向け、大型トラックで搬送されます。山賊の出現で悪名高いアンデス山脈を越えて運ぶわけですから、ライフルで武装したトラック軍団が隊列を組み、絶えず農協本部と無線で連絡をとりながら輸送する―まさに、映画コンボイの世界でしょう。
 総支配人の福地清司さんを中心に、132名の職員が一丸となって、国際市場への挑戦に果敢に取り組んでいます。定款に、農協の目的として「組合員の経済及び生活・地位の向上を図り、移住地・近郊地域の農牧畜振興、そしてボリビア国の農業発展に寄与する」と明記されています。同じオキナワ村に居住する圧倒的多数のボリビア人住民にも信頼され、着実に共生の道を歩んでいる日系人には敬意を払わざるを得ません。
(NPO法人国際開発フロンティア機構会長 山内偉生)

(2005.1.18)



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