農業協同組合新聞 JACOM
   

コラム

“北の零年”

 「モッタイナイは日本の美徳」。先月、ケニアの環境運動家で、ノーベル平和賞を受賞したワンガリー・マータイさんが来日したときの言葉。食べ物も、人の命までも粗末にする今の日本に、それこそきっとモッタイナイ言葉。
 マータイさんは環境運動家。その目で日本農業をながめてもらうと、モッタイナイだらけに驚いたにちがいない。その象徴が北の大地、北海道の稲作地帯。今度の新基本計画は、失礼ながら北海道の大規模農家と内地(昔の言葉)の小規模農家(集落営農)との調整策にしか映らない。目玉の経営安定対策では、北海道の畑作地帯には別途対策がとられるようだが、稲作地帯は置いてきぼり。
 先日、その北海道を舞台にした映画“北の零年”を見た。四国・淡路から武士団が北海道に渡り、開拓に悪戦苦闘するストーリー。主人公、志乃を演じる吉永小百合も良いが、渡辺謙(志乃の夫役)が後半、別人になって登場する設定が凄い。北の大地に育つ稲を探しに出たまま消息不明。5年後、開拓使の役人となって志乃の前に現れ、ゼロから「我らの国」をつくろうとした同じ人間に、「所詮、武士は禄をはぐくんでしか生きられない」と言わせる。武士に今のサラリーマン像が重なり、なぜか寂しい気持ちになる。
 この映画でみるように、北海道開拓の先人たちは、一世紀以上に及ぶ壮絶な闘いをしながら大地を切り開き、北海道農業の今日を築いた。稲作は「生産量全国一」。しかし、転作で半分しか稲がつくれないのは、いかにもモッタイナイ。
 数年前、北海道の米どころ・沼田町の利雪型ライスファクトリー(雪の冷熱で低温貯蔵する施設)をみせてもらったことがある(この米は「雪中米」として有名)。この施設は雪を利用して貯蔵コストを節約し、30万トンもの米を備蓄しようとする、「大規模食糧備蓄基地構想」の先がけのモデルでもあったと聞く。その視点は日本のみならず、インドネシアや中国、北朝鮮などに及び、現在の「東アジア米備蓄構想」につながる壮大な夢。そこにこそ21世紀北海道農業の可能性が見えると…。この構想は夢物語に終わったのだろうか?
 夢は夢? いや“北の零年”じゃないが「夢は信じれば、いつかきっと夢は真実になる!」「大規模食糧備蓄基地構想」や「東アジア米備蓄構想」をはやく本物にしないと、北海道も日本も、そしてアジアもつぶれる。(だだっ児)

(2005.3.25)

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