農業協同組合新聞 JACOM
   

コラム
 

五木の子守唄

 「麦秋」の侯(5月下旬)、九州・熊本に用事があった。JR博多駅から鹿児島本線で出向いたが、久留米をすぎる頃から、黄金の海原がしばらく続く。どうやら、今年の麦は梅雨にぶつからずに、刈り入れができそうだ。
 訪れた熊本は、完成すれば九州最大級のダムと言われる川辺川ダムの利水事業の中止を求める福岡高裁の控訴審で原告側の「ダムはいらない」が勝利した直後。川辺川は日本三大急流で知られる球磨川の支流。ここ人吉・球磨地方は、球磨焼酎など米を原料にした焼酎の産地。米どころでなぜ、ダムはいらない、水はいらないのだろうか。
 ダム建設予定地の相良村台地に入植した人たちは、当初「川辺川にダムを造って、水を引いて水田をつくりたい」という要求をもっていたそうだ。それが、国は「開拓者はいつ逃げ出すかわからん」と、相手にしてくれなかったという。そのため、ダムの水がなくてもできる作物、お茶栽培に取り組み、苦心惨憺のすえ、いまや品質日本一の「相良茶」として、実を結ぶ。今さら「ダムの水はいらん」というわけだ。
 川辺川の上流に、五木の子守唄で有名な五木村がある。「おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先きゃおらんと 盆が早よくりゃ早よもどる…」。筆者が、九州勤務の頃、何かのおりに、この唄を歌ったところ、職場の先輩(熊本出身なのは知っていたが)が大粒の涙を流したのを思いだす。この節は〈子守奉公も盆で年季が明け、恋しい父母がいる古里に帰れる日が待ち遠しい〉という意味。その昔、山深い五木の里の暮らしは厳しく、名子(小作人)の娘たちは、7、8才にもなると、旦那衆(地主)の子守奉公に出されたそうだ。
 娘たちは奉公の辛さや父母を思う気持ちを口ずさみ、それがいつしか哀調を帯びた「五木の子守唄」になったと解説されている。また、五木村は、このダム計画が実現すると、村の中心部が水没する予定だった。この歌の背景も、意味も知らず、また、ダム建設にともなう村の運命も知らずに、軽々に歌った若い頃を思いだすと、未だに赤面する。
 この裁判の意見陳述で原告の一人は、「農水省の職員の皆さん、農家を大切にしないあなたたちに農業を語る資格はありません。私の夢は、日本一の清流・川辺川の水を使って、おいしいコメを作り続けることです。農水省の皆さん、こんなおいしいコメをつくる農家をつぶしていいものでしょうか」と述べている。この悲痛な叫びは、川辺川流域の、熊本の、いや、全国のコメづくり農家の声を代弁しているように聞こえる。 (だだっ児) (2003.6.12)

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