農業協同組合新聞 JACOM
   

コラム

「雪深い村」

 「ええ村つくっとくからさあ、また来てくだせえよ」。12月のはじめ、画家の原田泰治さんが土砂ダムに沈む前の山古志村の集落を描いた縁で村の避難所を訪れ、住民たちを励ました。これは絵「雪深い村」のモデルになった古民家に住んでいた松井さんご夫妻と再会したときのご主人の声。
 先日、神戸に行く機会があり、三宮・東遊園地にある阪神大震災の「慰霊と復興」のモニュメント、「希望の灯り」を訪ねた。小さな碑には、震災が奪ったもの「命 仕事 団欒 街並み 思い出」、震災が残してくれたもの「やさしさ 思いやり 絆 仲間」と刻んである。
 阪神大震災は何千人もの命を奪い、素晴しい街並みも失った。ただ、神戸は中越地震のように「村」そのものを失うことがなかったのが唯一の救い。中越地震の被災地は「コメどころ」。そこでは、この被災がきっかけで離農する兼業農家が相次いでいるという。このままでは、高齢者でどうにか支えていた農村の過疎化がすすみ、「村」そのものが消えてしまいかねない危機に瀕している。
 その上、こんな農村がさらに追い討ちをかけられようとしている。構造改革の一環で検討されている食料・農業・農村基本計画の見直しだ。担い手絞込みの論議が盛んに行われているが、JAグループが要請する集落営農組織はハードルが高く、ましてや、山古志村のような中山間地域や小さな農家がどう生き残れるのか、農業の憲法たるこの基本計画には何も見えてこない。
 一方で、この被災は「規模を拡大しないと、農家経営は大変。被害は痛いけれど、今後を考えればいい機会」という声もある。しかし、これは政治家や官僚が狙っている小農・弱者の切捨て、農村の過疎化、いや、「村」の消滅に手を貸すだけのこと。60年も70年も住んでいた村が地震で壊れ、おまけに村を出て行けではあまりにも酷い。
 世界的な指揮者の小澤征爾さんが音楽をプレゼントにかけつける。原田泰治さんもまた、村を題材に新作を描くという。あのジェンキンスさんでさえ、曽我さんのふる里「美しい、静かな島」を思い浮かべ帰ってきた。日本人の心根は誰もが優しい。なぜなら、日本人の誰もが何処にいても「ふる里」を忘れないからだ。どうか山古志村の皆さん「ええ村をつくってください」。
 師走に真夏日、異常気象に振り回された1年でした。良いお年を…。
(だだっ児)

(2004.12.27)

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