農業協同組合新聞 JACOM
   

コラム 落ち穂

'花嫁の父'

 「火垂るの碑ってどこにあります?」。明治神宮表参道の交差点にある交番の若いおまわりさんに聞くが、そんな店はないという。「いや、店じゃなくて、戦災の記念碑なんですけど」といっても、ファッションの街にそんなものがあるものかと言いたげな様子。ひょっと、向かい側の道路をみると、小さな石碑がみえる。「火垂るの碑」、いや、碑には「和をのぞむ」と彫られていた。
 この「火垂るの碑」なるものの探索は、3月6日付毎日新聞のコラム・発信箱の玉木研二さんの記事に触発されたのである。終戦の年、一夜にして約10万人の命が奪われたという、3月10日の東京大空襲はよく語られるが、5月24、25日も東京は夜間、大空襲さらされ、玉木さんの表現を借りると、”業火の垂れ落ちるごとく”焼夷弾が山の手を焼き払い、逃げ遅れた人々の死体が累々と横たわったという。石碑は港区政60周年を記念して建てられ、戦災に遭われた人々の慰霊と戦争のない世界の平和をのぞむと刻まれている。
 「火垂る..」といえば、野坂昭如さんの昭和43年、直木賞受賞作「火垂るの墓」を思いだす。この小説は、神戸で空襲にあい、妹を栄養失調で亡くした自身の原体験をもとにした作品。アニメ映画や終戦60年を記念してテレビドラマにもなったが、「蛍」を「火垂る」としたところに、野坂さんの体験の凄さ、戦争を憎む気持ちが強くでているように思う。
 その野坂さんが先頃、次女・亜未さんの結婚式でバージンロードをステッキなしで見事にエスコートする姿が新聞に載っていた(2月27日付毎日)。その記事で目を引いたのは、野坂さんが「食いものだけは大事にしろ。日本人は米。自分たちの食いものは自分たちで賄う。かっての日本はこの原則を捨て、その結果日本は飢えた。この教訓を忘れてはいけない。今に先進国が飢える」と、娘さんに語るところ。焼跡闇市派を名乗るだけに、その目はたしかだ。「かっての」どころか、海外に食料を漁る「今の」日本は、そのうちそれも途絶え、飢える事態が来るかもしれない。
 結びに私事で恐縮。今春わが娘がやっと結婚する。バージンロードとやらに今から緊張するが、それより野坂さんのように飢えた経験のない父親が、飽食の時代に育った娘に何の言葉をかけようか、と思い悩む'花嫁の父'なのです…。(だだっ児)

(2007.3.27)

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