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コラム ―― 農民は考える
説明責任

 堀田力氏と北川知事の対談からヒントを得た。地方分権の時代になって、地方公務員は変らねばならない、という話題の内で、次のように発言している。
 地方公務員は「住民というのは気持ち悪いナと。何を言うか分からないし、元気のいい人が最初に出てきますからネ。必ずしも住民代表と言えないような人もいるし・・・」と思っているし、「99%の人は話ができる。だけど、1%の人に対して50%以上の労力をさかなきゃいけない、という恐怖感がある」と。
 この対談を読んで、ナルホド、「上に立つ人」は公務員と住民との関係をこのように見ているのかと思った。
 地方自治体も農協も集落も、その地域に住む全員に対して説明責任がある。全員に説明責任がある、ということは、どうしても「1%の人に50%以上の労力をさかなきゃならない」。
 「住民というのは気持ち悪いナ」と思い、「1%の人に50%以上の労力をさくことに恐怖感」を持っているから、1%の人に説明するのは「イヤな仕事」となり、話ができる99%の人にだけ説明してきた。これが、地方公務員の仕事のやり方である。集落の代表者に説明するだけで終り、集落座談会で説明するだけで終りである。
 全員に説明責任を果たすことは、「イヤな仕事」なので、この仕事を農協に押しつけてきたと言える。直接役場がやればすむことを、なんで、このようなことを、わざわざ農協を通してやるのかと思うことが多い。
 農協を「下請け」化することによって、公務員は農協職員よりエライのだという指導者意識と、1%の住民は気持ち悪いという恐怖感とが表裏一体になっているのでしょう。
 地方公務員がイヤだと思う仕事は農協職員だって同じなので、行政と農協は共同で、この「イヤな仕事」を集落に押しつける。たとえば、減反がそうだ。
 個人に減反面積を割当てる。個人に割当てるなら、個人毎にチェックして、それで終りのハズだ。が、集落として減反を達成しているかどうかを問題にする。集落として減反を達成すれば転作助成金を上積みします、というように。
 集落として、減反を100%達成するためには、「1%の人に50%以上の労力をさく」仕事を集落の役員がやらねばならない。なぜ、集落の役員は無給で、「イヤな仕事」をやらねばならないのか。逆じゃないの、である。
 「イヤな仕事」は給料をもらっている人の仕事、つまり、「1%の人に50%以上の労力をさく」から、公務員や農協職員に給料を払っているのではないのか、である。「99%の話ができる人」に対する説明は、学生アルバイトで十分である。
 「住民というのは気持ち悪いナ」「1%の人に50%以上の労力をさかなきゃいけない」。だから、「イヤな仕事だ」。・・・というこの文章の「住民」「人」を、「障害者」という言葉に置きかえると、「障害者というのは気持ち悪い。1%の障害者に50%以上の労力がいる。だから、イヤな仕事である」という文章になる。
この文章は一般論として、成り立つのではないのかと思う。障害者のほかに、痴呆性老人や、不登校児や、非行少年などという言葉を入れても、同様に一般論として成り立つと思う。
 障害者という言葉に置きかえても文章として成り立つ ということは「住民は気持ち悪いナ・・・」という考え方は、根っこのところで、障害者差別の思想と同じであるということ。
 さらに、一般論として成り立つということは公務員も「普通」の人であるということ。「普通」の人であるということは、公務員は指導者ではないということである。
前記に続けて、北川知事は次のように言う。
 今までは、「行政の方があなた方より賢いですよ、教えると効率が下がるので、教えませんが」とやってきたが、これからも、これと同じことをやっていると「行政訴訟の山となる」という。
 北川知事の言うとおりだと思う。
 説明責任を果たさなければ、「行政訴訟の山」になる。農協職員が、公務員のマネをして、農協官僚を続けたら、農協はどうなるか、言うまでもないと思う。
となりのM村のある集落は、農協職員が核となって、4年間に300回の話し合いをやり、「集落営農」とやらをスタートさせた。協同組合に指導者はいらないのであって、必要なのは、このM村の農協職員のような「1%の人に50%以上の労力をさく」事務局である、と考える。(岩手県東和町在住・渡辺矩夫)


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