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コラム


『東京から農業が消えた日』にひとこと

 11時過ぎから始まるNHK番組「ラジオ深夜便」をうとうとと聞きながら寝つくことが多い。その夜は、番組内容が改まって新刊書の紹介と本の読後感を評論家が解説していた。東京に農業があったのかと思うのも不勉強であるが、『東京から農業が消えた日』(薄井清著 草思社刊)というショッキングな本が選ばれていた。

 者は昭和24年に当時もっとも若い農業改良普及員として東京都に採用された。緑の自転車に乗って農家廻り、休日もとらず「農業不休員」と云いながら農家と共に奮闘する状況が本の中で再現される。当時東京には農家は6万戸あった。全部が専業農家だった。

 れから23年間、高度成長下に農業近代化推進の苦悩、農業構造改善事業における農家と市議会との板ばさみ、そして、若い農家が時代の流れの中で破産・蒸発などしながら、兼業が増えつづけ後継者のないまま農家が消えて行く。

 成10年には東京の農家は1万戸に減っていた。そのうち専業農家は1000戸に満たない。東京の農地が、コンクリート群の多摩ニュータウンなどに開発され、眺める風景が一変する。

 に書かれた出来事の一つ一つが立派な社会評論になっている。著者の好んだ「農家と共に考える」の時代から、減反の頃には「行政と共に歩む普及員」にされていることに嫌気がさし、42才で退職、生まれ故郷の東京町田市で農家に還るシーンは感動的である。

 者が未来の農業に期待するのは消費者である。国産を選ぶか輸入食糧を選ぶかにかかっている。消費者からの支えがあれば後継者が育ち、日本の自給率も向上すると結んでいる。

 業の消えた東京に、生活クラブ生協・東京が平成12年「東京農業政策」を打ち出し、小人数だが活動を始めている。「生産者とつながろう」が方針にある。「都市農業を守り育てましょう」をテーマにしている。「農あるまちづくり」運動のコーディネーターをかって出ている。

 が、消費者は気まぐれ。食糧難では空腹を満たすために「腹」で食べ、飽食の時代はグルメの「口」、次に見ばえの「目」で食べ、そして無農薬野菜など「頭」で食べる時代になったという。
 の本の著者は生産者の苦労を理解した「心」で食してほしいと祈願している。生産者と消費者が心で結ばれるような時代がくるであろうか。

(金右衛門)
*『東京から農業が消えた日』 薄井清著 草思社刊(2000.3出版、¥1900)


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