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コラム


助走なしのジャンプ  ポーランドの農業


◆ポーランド、戦争の歴史

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 ポーランドは、北はバルティック海、ロシア、東側はリトアニア、ベラルーシ、ウクライナ、南側はスロバキア、チェコ、西側はドイツに囲まれたヨーロッパと東欧の接点にある国である。 
 ポーランドという国を知るには、この国が外国に攻められて地図の上から消えたり、国境が東へ行ったり、西へ行ったりの歴史を駆け足で見ることが役にたつ。
 13世紀の十字軍の時代から東西の軍事上のルートで十字軍が西から来たり、東からは蒙古軍が来たりと古くから取ったり取られたりの歴史であるが、17世紀前半のポーランドは現在のリトアニア、ウクライナにまたがるヨーロッパ有数の大国であった。
 18世紀の後半に、貴族と国王の喧嘩から、プロイセン、オーストリア、ロシアの各帝国によって分割をされ、ポーランドという国が3度にわたって地図から消えたという歴史を持っている。 
 この時期日本は徳川幕府による鎖国で外国との接触が絶たれた時代で、ヨーロッパ・東欧との歴史の違いが現在の国際化への対応にも現れていることを思い知らされる。
 19世紀後半には、ポーランドを含む北部の東欧諸国はドイツ帝国、ロシア帝国、ハプスブルグ帝国の3つの帝国によって支配をされた。
 フランス革命(1789〜99)とナポレオン戦争(在位1804〜14)によって東欧にもたらされたナショナリズムはポーランドにも刺激を与え民族独立の運動が活発となった。
 今でもナポレオンがロシアに攻めていった時に通った道や宿泊をしたところがホテルやレストランになっていて、例の白い馬に乗ったナポレオンの絵がたくさん飾られている。
 第1次世界大戦(1914~18年)の時代は、ドイツ、オーストリア、ロシアによって3分割をされたが戦争の終結によってようやく独立をした。
 第2次世界大戦は、1939年9月1日にドイツがポーランドに侵攻をして始まった。ドイツ軍はポーランドを占領してソ連まで攻めて行ったが、1943年にはソ連軍がレニングラードでドイツ軍を破り反撃に移り、ソ連軍がドイツ軍を押し戻すと、今度はソ連軍の支配下に入ることとなった。
 1945年2月のヤルタ会談でアメリカ、イギリス、フランス、ソ連による戦後の世界支配の構図が作られた。 1946年3 月にイギリスのチャーチル首相が「鉄のカーテン」演説をおこない、東西の冷戦が世界を二分することとなった。   
 第2次大戦後ポーランドを始め東欧諸国は「ワルシャワ条約機構」、「コメコン」(経済相互援助会議)の一員としてソ連の陣営に組み込まれていくこととなる。
 1953年3月スターリンが死去、56年2月フルチショフによる「スターリン批判」以降、東欧諸国には民主化の要求が高まった。
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 1976年には「プラハの春」とソ連による引き締めが行われたが、ポーランドでは1980年7月北部のグダンスク造船所の労働組合「連帯」のワレサ議長による民主化要求が一時的にせよ成功をした。髭を生やしたワレサ議長は日本でもおなじみの顔となった。
 1985年3月ソ連はゴルバチョフ書記長となりペレストロイカが始まった。1989〜90 年にかけて、東欧諸国には劇的な転換期が訪れた。東欧諸国で民主化の動きが高まる中、1989年11月東ドイツで「ベルリンの壁」が崩壊すると各国の共産主義政権が相次いで倒れ、複数政党制、自由選挙が行われ経済の市場化、民営化が一挙に進んだ。
 現在のポーランドの農業問題は、このような歴史の延長上で1989年からの「市場経済」競争下に晒されることになった。

◆何処までも続く平坦な農場

 ポーランドの農地はともかく平坦である。1区画が1〜2ヘクタールの長方形の農地が延々と続いている。
 ポーランドの農業の特徴をとして次をあげることができる。
 ・平坦な農地
 ・痩せた大地
 ・個人農場が主体
 国全体の59%が農地で森林はわずか28%である。農地を生産に適しているかどうかで区分をした統計によると、良質 3.3%、普通62%、粗悪地34%となっている。平坦であるので水はけも悪い。
 社会主義諸国のなかでは例外的に個人経営の農場が主体の歴史があり、現在では84%が個人農場で、組合所有等が7%、国等公有地が9%である。
 平均耕作面積は7〜8ヘクタールと大きいが、生産性、農産物価格等から見ると日本の0.1〜1.0ヘクタールと同じような水準との印象であった。 
 農産物は自家消費が40%、市場に出回るのは60%で、例えばバレイショは60%が家畜の飼料である。
 農業生産では畜産が63%、耕種が37%であり畜産は養豚が中心。耕種は小麦、ライ麦、ビール麦、バレイショ、りんご、キャベツ、人参、タマネギ等である。        
 農家所得は、1996年で年間35万円(EU平均240万円)でEUの1/7である。

◆ポーランドのりんご

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 当面するポーランドの農業問題をりんご地帯から見てみた。
ワルシャワから南に50km ほどのところのグルーエツ、同じくワルシャワから東南に200kmのウクライナとの国境に近いところにあるルブリンがりんごの主産地である。
 りんごは9月中旬から10月上旬が収穫期で、今年は豊作でもあり見事なりんごが数百ヘクタールという規模で見渡す限り続いていた。全部わい化栽培で、ヘクタール 当たり3000本平均とやや密植である。
 今回見た農家は比較的大規模経営が多く、小さくて5ヘクタール、大規模農家は20〜50ヘクタールで、100ヘクタールという農家もあった。
 品種はジョナゴールが一番多くその他5〜6品種を生食用主体に、いろいろと新しい品種を取り入れていた。
 全体に小玉で、日本のサイズではM〜Sから主体にSSといったところであるが、摘果をすれば大きい玉も可能である。
 ヨーロッパもそうであるが、ポーランドの人達もりんごは皮ごと丸かじりするのでSクラスが適当な大きさで、小売も1個いくらではなくkg単価で売るので、大きいりんごが高いという価格になっていない。
 今年はりんごが安く生産者の段階でkg24円、10kgでも240円という相場になっていて、スーパーや青果の小売店でもkg45〜55円で、安いのはkg30円位で売っていた。
 生産者としてkg30円は欲しいところだが、そのためには販売期間を6〜7月位まで延ばす必要があり、冷蔵庫、CA の施設を建設しなければということで大規模経営では個々の農家が銀行から借入れて施設投資をしている。
 販売は国内が主体で、輸出はロシアや東欧諸国、ドイツである。以前はりんごジュースの原料に半分以上が向けられていたが、生食用に品種を転換しており現在では生食用向けが90%くらいのウエイトとなっている。
 販売は個々の農家が自分で卸売市場に持って行って直接小売に売ったり、輸出商やスーパーの仕入れ会社に売ったりしていて、共同で販売をしているグループもあるが、ほとんどが個人の販売である。
 旧社会主義の国は「協同組合」に対してイメージが悪く、選果、貯蔵の施設や販売を共同でやれば個人の負担も少なくロットもまとまり有利な条件が出来ることは分っているが、なかなか腰が上がらない。気の合った仲間や利害関係の一致をする人達でグループを作ったり、販売の会社を作ったりの動きもあるが、まず個々の農家が独立してやって行ける条件を確保して、その先で共同化に進むという意見が多かった。
 社会主義の時代は生産、流通、消費が計画経済で動いていたため、流通という機能は配分と物流であり、生産と消費を仲立ちする機能は存在をしない仕組みであったので、いわゆる「流通問題」は1989年の自由化以降に出てきたといえるが、農産物の販売という農家にとって一番の課題が、流通の不備のなかでクローズアップをしてきたのはようやくここ5〜6年である。

◆小売の特徴、スーパーマーケットの台頭

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 ポーランドもここ4、5年スーパーマーケットが増え特に郊外に大型のハイパーマーケットができてきている。
 土地が安くて、平坦で地震がなく道路が整備されているので、ワルシャワはもとより地方都市にも大型店がオープンをして、土・日は家族連れで賑わうのはもとより平日も結構人が入っている。
  スーパーのほとんどはドイツ、フランス等外資系でポーランド資本のスーパーで大手はまだ1社しかないとのことである。
 平均の月給が3〜5万円で共稼ぎをしても管理職クラスで10万円程度であるが、大きなカートにたくさんの買い物をしたり、家族で食事をしているのを見るとどこから金が出るのかと思うような購買力である。ということは一般の小売店、多くは道路端に店を出したり街の一角にいろいろの個人商店が集まっているいわゆるマーケットの小さな八百屋、肉屋、魚屋、食料品店、雑貨屋はおそらく大きなダメージを受けていると思われる。スーパーの青果物の評価をいろいろな人に聴いたが、まだ従来の店の方が価格、品質共に良いという人が多かったが、いくつかのスーパーの売り場を見た限りではこれも時間の問題との印象が強かった。
 社会主義の時代の生産、流通、消費から約10年たって、市場経済の厳しさが事業に現れてきて、これは勝手が違う、容易なことではないことが分り対策を立てないと潰されてしまう事態が実感として認識をされたのがここ4〜5年といったところである。
 国内の流通が整備をされる前に大型のスーパーが入ってきて、小売段階に大きな変化が現れてきたがバイイングパワーへの対応ができていないといった状態である。
 従来の卸、小売を相手に青果物を売っていた農家や、卸の立場にある人も、スーパーマーケットの仕入れ方法、取引条件が従来の常識を超えるもので、あまりの違いに反感を持って拒否反応を示すものの、そうはいっても最大の売り先であるためどのように対応をしたらよいのか戸惑っている。
 さらに2003年にはEU加盟という方針で進んでおり、農業に関する施策はEUの共通農業政策との整合性が優先する動きとなっている。
 ポーランドの農業がようやく市場経済の競争の内容がわかりかけてきた段階で、一方では EUの農業の先進諸国とタイで競争をしなければならないという厳しい状況に置かれている。
 国全体としては、農業はまだ農家が財産を持ち食料には困らず、ポーランドの平均で見れば東部のウクライナに近い地帯の小規模農家以外は豊かな階層であり、工業、商業の大型企業の倒産による失業問題がより差し迫った課題で農業に回る予算は少なくなっている。
 農家の皆さんのご苦労は何処の国にも共通である。
                   

(社)農協流通研究所
理事長 原田 康


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