農業協同組合新聞 JACOM
 
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コラム

飽食・贅沢ボケ

 このところ農業をああだ、こうだの論議が盛んである。2003年3月の「農協のあり方研究会」答申のあたりから増え始め「食料・農業・農村基本計画」見直しでワッと出てきた。
 学者、評論家諸氏に日生協の「農業・食生活への提言」も加わって、農業のあるべき姿はこうだと賑やかである。農業は皆さんに叩きやすい材料を提供している。日本だけではなく外国でも農業問題は議論のマトで、EUでも各国の利害が複雑でもめており、お隣りの中国は「農業、農民、農村」の三農問題が当面の最大の政治課題でもある。
 日本の農業を論ずる観点は少し違うようだ。「消費者ニーズ」を金科玉条に、外国と比べて食費が高く自給率も低いのは農業がダメなことにあるという論である。
 農業経済の第一人者を持って任じている大学の先生も、農産物は種を蒔けばスーパーに並んでいるようなものが自然に実り、農業関係者はコスト削減の努力の代わりに農協が族議員にお願いをして価格補償、助成金、新規参入規制でガードを固め税金の無駄遣い、日本国民の養いものとなっている。このような農家は市場経済の競争の時代には外へ出てもらい、やる気のある企業家が最新の経営技術を駆使して農業を産業に仕立てる、とまあこんな具合である。
 消費者ニーズのアンケートをとれば、「安心、美味しい、安いこと。姿・形にはこだわらない」となる。これが「総論」である。
 日本と外国の野菜、果実の小売店の売り方、消費者の買い方には大きな違いがある。外国では、kg当たりいくらの単価表示をして、買い手は欲しいだけを目方で買う。日本は一個いくらの一個、一山、パックの単位である。
 りんごの売場を例にとると、外国では大、中、小の混みを山積みにしてkg単価で、買い手は上の方から自分の好みにあったものを選び、りんごは山の形を維持して小さくなっていく。
 日本でこのようにバラの山積みにすると、一個いくらであるので買い手は大きくてきれいなリンゴを中から、下から引っ張り出すので売場はメチャクチャになり傷んだものがたくさん残る。店は自衛手段として大きさ、色を揃えてパックにすることになる。
 キュウリもしかりで、真っ直ぐなものを選んでも少しは曲がるので、パックにするときラインダンスのように曲がり具合を揃えてきれいにしないとバイヤーからクレームが付く。やはり売れ残るからである。肉でも同じ。大きなブロックのままのものと、刺身のような芸術品をトレイに並べたのでは同じ値段にはならない。

◆歴史無視した消費者視点

 消費者の「各論」はこのようになっている。細かく規格別に分けて、専用の段ボール、パック、冷蔵とコストをかけるのは農家が価格を高くするためにやっているのではない。農家は畑で通いコンテナーに入れて、そのまま売場に届けるのが一番よいと思っていても、それではまともな価格では売れないからである。
 消費者の各論に合わせて、24時間いつでも、何処でも、欲しいだけ、と小売店が要求する「消費者ニーズ」に合わせた供給をしているわけである。
 農村の景観も同じである。棚田を苦労して作っているのは都会の人を癒すためではない。ヒエ、アワではなくコメを作るために先祖から営々と築いてきた努力があの風景となっている。日本の気候、風土、集落の構成の中で景観ができている、まさに歴史の積み重ねであり、ディズニーランドのプラスティックの塊とは次元が違う。
 農業、農村の高齢化があたかも農業の後進性を象徴しているかのようにいわれているが、高齢者が体力、能力に合わせて働き、日本の豊かな食生活を支えているのであるから立派なものだ。都会のリタイア組も定年後の人気は農業が上位を占める。
 どの職業も他人がやっていることは簡単に見え、自分がやればもっとうまくできるハズと考える。
 日本の食費は確かに高い。これは万人が認めるところである。総論と各論をうまく使い分けをしている贅沢ボケの「消費者ニーズ」を学者先生ご存じないか。
 日生協も消費者の声として農業に提言をするのであれば、政府の「基本計画」を学者先生と一緒になってヨイショをせず、生活協同組合としての独自のご意見があればと残念である。(原田 康)
(2005.7.5)

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