農業協同組合新聞 JACOM
   

コラム
三周遅れでスタート カンボジア(1)
仲買商人がベトナムから野菜を小売市場に持ってくる
仲買商人がベトナムから野菜を小売市場に持ってくる

◆カンボジア概要

 カンボジア王国はインドシナ半島の下の方にあり、東と北の半分はタイ、北の半分はラオス、東から南をベトナムに囲まれている。
 メコン河が中国からラオス、カンボジアを通ってベトナムの南部に流れている。
 面積は18万平方キロで日本の約半分、人口は1330万人で85%が農村に住み労働人口の80%が農業という農業国、というよりは農業以外の産業が育っていないという状況である。
 コメが主要な農産物で、かつては世界第3位のコメ輸出国であったが、1970年代からの約20年間の内紛により生産量が大幅にダウンしてようやく1990年頃から回復をしてきたがまだ自給がやっとという状態である。
 現在もha当たり2〜3トンで、地区によってはha2トン以下という状態である。
 農家に金がなく肥料が買えないことに加えて、種子も自家採取が多く新品種への更新が進まないので分けつが少なくひょろひょろの稲に少ない穂先の稲作である。
 農業以外の主要な産業は縫製で衣類をアメリカに輸出をしている。昭和30年代の日本も綿布工場で若い女子工員が沢山働いており、退社時間になると寮に帰る行列が見られたが同じ光景である。

◆戦後という表現 

 カンボジアの人と話しているとしばしば「戦後」という表現が出てくるので、戦後とはいつ頃からかと聴いてみたら、1970年から79年のロン・ノル政権からポル・ポトの時代が「戦争の時代」、1980年代もまだ地方では内戦が続いていおり、1992〜93年のUNTAC(国連暫定統治機構、代表 明石 康)によって一応民主化の路線は引けたが、国内が落ち着き経済が回復してきたのは1999年以降という。
 従って戦後とは一応1979年以降であるが、戦後の本格的な復興ということでは1999年以降となってしまう。しかも国際情勢はすっかりかわっており、周辺国も急速に経済的な発展をしているので2002年にはASEANに、2004年7月にはWTOに加盟をした。重病を患い、体力を消耗して足腰がまだしっかりしないままいきなり重労働をしなければならないといった状態である。

◆外国の商品のオンパレード

 一般庶民の買い物の場所である小売市場がプノンペン市内にはたくさんあり賑わっている。間口1.5m奥行き2.0mくらいの小さな店舗が数百件集まって日常で必要なありとあらゆる商品が売られている。
 八百屋を覗くと、果物はタイ、ベトナム、中国産にリンゴはアメリカのワシントン州産のスターキングまでが並んでいる。カンボジアにもトロピカル・フルーツはたくさん採れるのに市場に出回っているのはほとんどが外国産である。
 野菜はさすがに国産が中心であるが、タイ、ベトナムからの野菜も多い。冷蔵施設がどこにもないのでその日のうちに売り切るため鮮度はとてもよい。加工食品はタイ、ベトナム、中国が圧倒的に多く、カンボジア産は片隅といったところである。
 値段の表示がカンボジアの通貨のリアルよりもドルの方が多い。露天のような店でもドル紙幣が通用し、お釣りもリアルとドルが混ざってくる。買い物をするのにリアルに替える必要はなく、1ドル紙幣がとても便利である。レートは何処でも1ドル4000リアルで統一されている。
 発展途上国で自国通貨の信用がない国や、為替の変動が大きい国では貿易や大口の商売にはドル決済でリスクを避けることが行われているが、田舎の露天で50円以下の買い物でもドルが使える国は珍しい。
 専門家の分析は別にあろうが実感として、貿易が正規なルートを通さず商人が自由に行ったり来たりしてタイ、ベトナム、ラオスの国境で商売をしているので何カ国もの商品が入ってきており、それぞれの通貨をリアルに換算をして価格を付けていたら混乱をしてしまうので、共通通貨としてドルのままでやるのが一番手っ取り早く間違いが少ないのであろうと推測をしてみた。
 このような状態でカンボジアの産業を育成することは容易ではない。(以下、次回) (原田 康)

(2005.11.22)

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