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農協時論

専業的水田農業者たちの模索から見えてくるもの
  
秋田県立大学生物資源科学部教授 佐藤了

佐藤了氏
佐藤了(さとう さとる)、秋田県立大学生物資源科学部教授。 1949年生まれ。秋田県出身。北海道大学大学院農学研究科。農林省農事試験場研 究員、農林水産省農業研究センター研究員、東北農業試験場研究室長、秋田県立 農業短期大学教授を経て99年より現職。「ファーム・ファミリー・ビジネス」 (共訳、筑波書房)、「地域農業再建」(共著、農林統計協会)、「明日の農業 を担うのは誰か」(共著、日本経済評論社)。


◆食管法から新食糧法へ
   −価格下落と売れ残りの恐怖が

 わが国がウルグアイ・ラウンド交渉の受け入れを決め、時の細川首相がマスコミを通じて深夜それを発表したのは、大冷害のあった平成5(1993)年の師走であった。同首相のスマートな立ち姿は画像となってくり返し報道されたから、その後の米作農業の転変と絡んで記憶に焼き付いている人も少なくないであろう。WTO体制が発足すると、国内ではそれに呼応する形で食管法が廃止され、新食糧法が制定された。この制度改革では「売る自由」と「作る自由」が標榜されたが、それは、反面で「価格下落」と「売れ残り」の2つの恐怖のはじまりであった。こうした米環境の変化は、大規模農家ほど大きく響くこととなった。

 秋田県大潟村でも、価格下落の影響はきわめて大きかった。玄米60kg当たりで平成7(1995)年に19,214円だった米価(大潟村カントリー・エレベータ公社精算額)は、平成11年には15,500円と、わずか5年間で一気に8割に、金額で3,714円も下落した。大潟村は人もうらやむ15ha平均の村であるが、平成7年を基準に考えると、この4カ年に価格下落の要因だけで1戸当たり1,100万円ほど収入が減った勘定になる(15ha×9俵×価格下落分)。平均でこれだけ減ったということは、相当な出費抑制をしないと、経営に失敗した人や放漫で出費がかさんだ人でなくとも、ちょっとした事情で農協の借越残高が増え、負債の増大など経済的な困難に直面することになる。

 「新政策」以来10〜20haで他産業並の生涯所得というのが一つの政策目標とされてきた。大潟村の規模はすでにそれを達成しているのであるが、いま、塗炭の苦しみに直面している。昨今、米に続いて大豆、麦の経営安定対策というスキームができ、「本作」と銘打つ政策も登場した。たしかに、助成金の増額や激変緩和措置など、今後の足がかりの一つができたことは評価して良い。だが、それによって底なし沼から足が抜けたと感じた人はどれだけいるであろうか。新食糧法になってから大規模な水田作農業者が生産調整の仕組みから離脱する動きが相次いでいる。大潟村でも同様であり、今春、これまで生産調整に応じてきた25戸が新スキームを離脱し、新たに加わった人はわずか2戸のみであった。新スキームでブレーキがかかるどころか、同村の全戸560戸の中で生産調整参加者は249戸(平成11年度)から226戸と、さらに少数となってしまった。

◆大潟村の専業的農業者の三つのキーワードは

 それでは、大潟村の専業的農業者たちは、農業で生きていくために何をどうしようとしているのか。そのキーワードは次の三つにあると私は見る。

 第一は経営の自己決定である。生産調整に関わる自己決定には重い事情が付きまとう。生産調整が未達成であれば認定農業者にはなれないからL資金が受けられないし、農協を通じて融資される様々な資金制度からも事実上疎外される。さらにある農家は「自分の経営だけならまだ我慢もしようが、町村への事業導入の資格要件に及ぶと言われるのはかなわない」と真情を吐露する。だから、泣く泣くやりたくもない生産調整に応じてきたというのである。最近、水田の専業的農家を回ってみると、価格安定が達成されているときは我慢できたが、MA米が増える中で減反が強いられ、しかも生産調整の目的であった価格がこれだけ下がってくると、もう限界だと話す人が増えている。大潟村では例年4月にその年の生産調整への参加意思をアンケートの形で問う。他町村と比べると、これまでの歴史を反映して、個人意思が反映しやすい面があると言えよう。それだけに前述の新スキームを離脱する人が増加していることは、自らの生き残りと制度評価に関する経営的な意思決定をしたことのあらわれと受けとめることができるであろう。それは、水田を中心として農業で自立しようとする人たちにとって新スキームが十分魅力のあるものとなっていないことを端的に示している。

 第二には、消費者ニーズを発見し、それを組織化することである。周知のように大潟村は、米の生産調整をめぐって、通称順守派と自由作付派に二分されてきた。自由作付派は、食管法下にあった昭和60年代初め、強制減反に造反して米を自由作付けし、自由販売してきた。これに対して「ただ乗り」というフリー・ライダー批判があり得るが、彼らは試行錯誤をくり返して販路を開き、顧客を組織化し、要するにリスクを犯して初めて先駆者利潤を得たのである。村内の三業者は、11年産米から無洗米の機械を本格的に導入し、技術革新によって米過剰でも値崩れさせずに有利販売する勝負に出た。こうした販売戦略は、価格下落に悩む村内の農業者たちを引きつけている。乾燥・調製・保管はカントリーエレベータ公社、販売は彼らに委託という、村を二分した往時には考えられなかった地域内連携が実現しつつある。

 第三には、多様な栽培法による米生産である。われわれの調査によると、同村には、無農薬・無化学肥料栽培(育苗過程を除く)が7.5%、減農薬・減化学肥料栽培が実に74.0%など、こだわり栽培が圧倒的に多く、このほかにもLP肥料を利用した苗箱まかせ、無代かき、不耕起、アイガモ利用、木酢液など十数種類もある(98年12月全戸調査結果)。これは、化学合成原材料を抑制すれば付くプレミアムを誘因として進んだものであるが、それを5〜6年で一挙に8割水準まで実現してしまうところにこの村の条件とエネルギーがある。いまや、米生産に関しては、全国随一の環境保全型農法の実践地となった。

◆「環境保全型農業の地域認証制度」の提案

 だが、ここにきて価格下落の影響はそうしたプレミアムの縮小をもたらすまでになっている。このままでは、せっかく築いた地歩をも後退させかねない。あらゆる面で地域的な連携を進めて経営体質をより強化することが喫緊の課題となっている。そこで大潟村の農業者たちは、前述した販売に関する連携を含めてかつての二派の枠を越えた活動に取り組み始めている。村の有志と地元の研究者有志が共同で環境保全型農業プロジェクトを作ったのもその一つである。私たちは、3年目のいま、地域ぐるみの「環境保全型農業の地域認証制度」づくりを提案している。そのアウトラインを紹介して結びとする。

 大潟村の多様な実践を活かしながら地域をアピールするには、地域全体で生産情報を収集・整理・公開し、外部団体から監査を受ける「認証制度」の方法が有効と考えられる。「認証」それ自体は農産物の価値を直接高めるものではないが、実態をできるだけ客観的に示すため、環境保全に対する生産者の社会的責任を表現するものになり得る。したがって、個々の活動を地域的に認証し、支援するものとなるばかりでなく、行く行くは消費者と生産者の信頼をつなぐシグナルとして農業の国民的理解の深化や世論形成にもつながる可能性がある。

 環境保全型農業も、プレミアムをまず求める段階から、自分たちの実践と情報を公開し、社会的認知を得たものだけが結果としてプレミアムを期待できるという段階に進もうとしている。生産者側には、それを見通す視野と忍耐が要求されている。



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