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農協時論

米価を回復せよ 立正大学 経済学部教授 森島 賢


森島 賢氏
 
(もりしま・まさる) 1934年群馬県生まれ。57年東京大学工学部卒業、63年東京大学農学系大学院修了、農学博士。64年農水省農業技術研究所研究員、78年北海道大学農学部助教授、81年東京大学農学部助教授、84年同大学農学部教授を経て94年より現職。著書に「日本のコメが消える」(東京新聞出版局)など。

 数年前から始まった米の新しい政策体系は、いよいよその矛盾を深め、破綻の様相をあらわにしている。
 この政策体系が始まってから、米価は大幅に下がり、昨年産米の米価もまた最安値の記録を更新した。本年産米の米価はさらに下がろうとしている。
 本年産米の第1回の自主流通米の入札結果は、対前年同期比で1,447円も急激に下がり、いっきに1万6,000円を割った。第2回も1,216円と大幅に下がった。
 このため、JA栃木をはじめ全国のJAは、稲作危機突破のための生産者大会を開き、米価の下落をくい止める緊急対策を要求している。

米価は下がっていいのか

 この米価下落について、あれこれの、こまごましい原因を論ずるものは多い。しかし、政策体系の根幹にある欠陥を、そして、この政策体系が、よって立つ政治哲学を、真正面から見据えて、骨太に論ずるものは、ほとんどない。
 米価が下がりつづけるのは、いまの米政策の政治哲学が「米価は下がってもいい」という経済思想に基づいているからではないか。「米価は下がってもいい。下がれば所得安定のために補助金を出す」というのが、いまの米政策の政治哲学なのである。

 もっとあからさまに言えば、この思想は「米価は下げた方がいい」というものである。米価を下げて、いわゆる構造改革、つまり、農家を選別して切り捨てようとするものである。だから、実際には所得を安定させるつもりはない。
 しかし、この政策は切り捨てられる農家からの根強い抵抗にあって、実現されないだろう。

米価はどこまで下がるのか

 もし仮に、この政治をつづけ、市場原理を利用して米価を下げつづければ、どこまで下がるのだろうか。貪欲で狂暴な市場は、いったいどこまで米価を下げれば気が済むというのか。
 市場原理のもとで、米価が下げ止まるのは、もうこれ以上米価が下がれば稲作を放棄し、供給量が減るという水準である。

 では、その米価水準は、どれ程なのか。
 米価はすでに生産コストを大幅に下回り、昨年産米をみると、作付面積が1ha以下の農家、つまり、稲作農家の七割を占め、米の四割を生産している農家の、1日当たり稲作所得は5,400円に減ってしまった。これは学生アルバイトの賃金を、はるかに下回る水準である。それでも供給量は減る気配がない。

 趣味の農業などといわれ、それに甘んじていれば、米価はさらに下がり、稲作所得はゼロに近づくだろう。そうなれば、さすがに稲作を放棄する農家が続出し、供給量が減りだすだろう。それは1万2,000円を割り込む米価水準だろう。
 そうなれば米価が反転して上昇し、再び供給量がふえるのだろうか。そうではなくて、国内の供給量が減れば、輸入量を増やすことを考え出すのではないか。そのことは、すでに韓国がわが国に先行して経験しようとしている事態である。そうなるまで政治は無策でいるのか。

米価を回復して 稲作所得の確保を

 いまの米政策は「米価は下ってもいい」という哲学に基づいて、米価が下がれば稲作所得の安定のために補助金を出す、というのだが、しかし、補助金を計算するときの基準価格は、過去3年間平均の市場価格になっている。だから、市場価格が下がれば基準価格も下がり、歯止めがない。この制度は稲作所得の減少を、少しのあいだ遅らせるだけの制度である。
 基準価格として生産費をとれ、という考えもあるが、しかし、市場価格の下落を放置したままでは、補助金が増えるばかりである。その結果、やがて補助金を削減することになるだろう。このような米政策は、その根幹から再検討すべきではないか。

 稲作所得を確保するには、米価を回復するしかないのである。このことを、しっかりと認識すべきではないか。
 「米価は下がってもいい」などと言っていたのでは、米価が回復するはずがない。この哲学は捨てねばならない。そして、「米価を再生産ができる水準にする」つまり、稲作農家に世間並みの所得を保証する、という哲学を米政策の根幹に据えるべきだろう。

輸入をやめよ

 この哲学にしたがって米価を回復するには、政治の責任で供給量を管理せねばならない。供給量が減れば、米価は上がる。
 そのためには、政治がつぎの2つのことを実行すればよい。それは、輸入の中止と減反の実効性の確保の2つである。

 はじめの輸入の問題であるが、輸入をやめれば供給量が減り、米価は確実に上がる。だが政府には、輸入をやめる考えはない。
 また、いま政府は、農政の最重要課題は食料自給率の向上だ、といっているのに、その一方で消費量の7.2%もの大量の米を輸入している。輸入をやめれば、食料自給率は確実に向上するのに、政府は輸入をやめる考えもないし、輸入量を減らす考えもない。
 それどころか、輸入米は国内需給に影響を及ぼしていない、と強弁している。それなら輸入量を増やせ、と輸出国は要求するだろう。実際、すでにアメリカは、WTO(世界貿易機関)交渉で、ミニマム・アクセス(最低輸入義務)の枠の拡大を要求している。

 米の輸入について、さらにもう1つの重大な問題がある。それは、国内では供給過剰で減反しているのに輸入していることである。これでは減反の大義名分が立たない。
 政治が米価回復のために、まず行うべきことは、輸入をやめることである。そうして失われた政治への信頼を回復することである。

在庫米の緊急処理を

 輸入をやめるには、ある程度の時間がかかるかもしれない。これまで7年間ちかく、国益に反した政治が、まかり通ってきたからである。
 しかし、時間がかかるからといって、その間、米価の下落を放置するわけにはいかない。

 米価下落の直接の原因である過剰な在庫米は、緊急に処理しなければならない。10月末の在庫量は280万トンになるというが、これは農業を犠牲にして、政治的な判断で、不必要な米を輸入したからである。これまでの累計で294万トンも、大量に輸入したからである。だから、これは政治の責任で緊急に処理すべきである。
 緊急処理を行う一方で、輸入をやめる政策を明確に示すべきである。

減反の実効性の確保を

 米の輸入をやめた上で、米価回復のために、政治がつぎに行うべきことは、減反の実効性の回復である。それは、減反の強化を意味しない。輸入をやめれば、減反を強化しなくてよい。それどころか緩和できる。
 そうすれば、これまでいわれてきた減反の限界感を和らげることができる。それどころか、輸入をやめることで政治への信頼を回復し、減反の大義名分が復活すれば、限界感は払拭されるにちがいない。

 減反のもう1つの問題は、不公平感の是正である。そのためには、減反実行者にたいする助成の強化が必要である。政府は減反助成の漸減などという考えを捨てねばならない。政府は食料安保や農業の多面的機能を唱えているが、それを空念仏に終わらせるのでなく、そのために減反助成が必要だということについて、全国民に理解を求めねばならない。

 減反助成の強化とともに、減反はしてもしなくても自由だ、という主張を排除すべきである。減反には経済的な誘因とともに、協同組合的な強制が不可欠である。そのような制度を強化することは、いうまでもなく政治の責任である。
 政府が輸入をやめ、減反の実効性確保のための法制度を整備すれば、JAも、みずから協同組合的規律を強化するだろう。そして、米価は回復するだろう。         



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