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農協時論

農業にとって「地域」とは何か

横浜国立大学国際社会科学研究科教授  田代 洋一
 

◆農協組織と事業の再編 失ってはならない柔軟性

 農協や自治体の広域合併論議のなかで、「農業にとって地域とは何か」が改めて問われる。地域とは歴史的に形成された「履歴をもつ空間」のことである。歴史だから人為をもって変革可能だが、そこに必然性がなければ履歴を汚すことに終わる。
 農業の履歴空間は、中世以前にさかのぼる「むら」(約14万)、藩政村=大字(7万)、明治合併村(1.6万)、昭和合併村(4000)、県など重層多様である。県(ローカル)と国(ナショナル)の間の地域(リージョナル)もある。
 前述の必然性の1つは適正規模だが、その指標に何をとるかで地域の範域は大きく異なる。経済効率を指標にとれば、収益極大、費用最小の点ということになろうが、それが他の指標、なかんずく人間にとってハッピーかはまったく別のことである。

田代洋一氏
(たしろ よういち)
昭和18年千葉県生まれ。東京教育大学文学部卒業。経済学博士。昭和41年農林水産省入省、林野庁、農業総合研究所を経て昭和50年横浜国立大学助教授、昭和60年同大学教授、平成8年同大学経済学部長、大学院経済学研究科長、平成11年〜13年4月まで同大学大学院国際社会科学研究科長。主な著書に「食料主権 21世紀の農政課題」(日本経済評論社)、「農地政策と地域」(日本経済評論社)など。

 農協や自治体は、生まれながらにして強烈に地域を意識してきた。とくに農協の場合、その理由の第1は、農業が土地を主要な生産手段とする土地生産だという点に関わる。農業は土着産業である。そのことと関連して第2に、生産協同を土台にした組織であり、生産は当然に空間の履歴を構成する自然的歴史的条件に規定され、野放図に異質な空間を取り込んで膨張することは許されない。第3に、縄文後期の栽培とともに始まった、定住形態をとる人々の組織だからである。それ故、概ね先の農業の履歴空間に対応してきた。

 これらの点は、世界や全国をまたにかけて立地選択できる工業や商業、あるいは生活 (消費)協同としての生協、そして非定住者の社会(今日のほとんどの組織はメンバー流動性が高い)との決定的な違いである。「地域に1つ」だけかは別として、農協は地域組織であり、地域組織か職能集団かをめぐるかつての論争は始めからナンセンスだった。
1950〜60年代の自治体と農協の合併は、都市の農村支配を強めることで、地域から高度成長を支え、構造改善事業の受皿として中央集権農政を支えつつ、農業利害を後退させた。しかし同時に、自治体と農協が範域を合わせることによって、生産上の産地形成に寄与し、県規模での流通販売面での産地形成と相俟って、産地形成に寄与した。

 しかるに1990年代以降の広域合併の狙いは、金融の適正規模に合わせて単協を合併し、その自己完結性・自己責任体制を確立することによって、県連を中抜きした2段階制への移行を果たそうとしたものといえる。しかるにその自己完結性は実現されなかった。そこで今や単協ではなく「JAグループとしての自己責任体制」、「1つの金融機関」、「JAバンク化」が追求される。それが「農協改革の方向」の示すところであり、農協改革2法の趣旨である。
 つまり第1段階=金融のサイズに合わせた広域合併、第2段階=金融の型紙に合わせた組織のユニフォームづくり、である。具体的には金融、生産資材供給があげられているが、「自主ルール」に基づく破綻単協の事業譲渡を共済事業にまで及ぼそうとしているから、共済事業も入ろう。
 金融、生産資材、共済は、いわば全国単一商品を扱う。その限りでは全国チェーン店化や物流統一は適正規模の追求といえるかも知れない。しかし同じことが農協の組合員組織や他の事業部門にとっても言えるかといえば、少なくとも経済学的にはノーだ。いうまでもなく農協の組織と事業、そして事業各部門のそれぞれの適正規模は異なるからである。

 異なったものを総合して、右肩あがり経済の下で相乗・補完効果を発揮してきたのがこれまでの総合農協だった。しかし経済が右肩下がりになるとともに、その神話は崩れた。にもかかわらずペイオフ解禁を控え、この総合農協組織に、金融のサイズと型紙で作った一回り大きな服を着せようというのが今日の組織再編だが、そこには始めから無理がある。
 とくに広域合併農協にとって悩ましいのは自治体対応である。「管内の複数の自治体を相手にしていたのでは面倒極まる。いっそのこと自治体も合併してくれないか」というのが広域合併農協の少なからぬ幹部の本音かもしれない。

◆21世紀空間のあり方は重層ネットワークの構築

 小泉内閣の「骨太の構造改革」の狙いは、歴代の政権党が成しえなかった政権基盤の農村から都市へのシフトを果敢に遂行し、地方と農業の利害を切り捨てていくことである。その実施プログラムは<公共事業見直し→地方交付税交付金の削減・廃止→自治体の広域合併→議員定数見直し>の四段階であり、その中核に座るのが自治体の広域合併である。そしてそのモデルは他ならぬ1000農協への広域合併である。
 しかし規模の違う自治体が合併すればストロー効果(周辺資源を中心部に吸い取る効果)が生じるだろう。中心都市の人口だけが増大し周辺は減少するのは、過疎地に共通の現象である。また小規模自治体同士が合併しても、規模の経済はそう働かず、住民の動線のみが長く延び、交通弱者に住みにくい地域になろう。
 要するに、金融と財政効率のために日本の空間の履歴をこの際書き替えてしまおうというのが、今日の共通した動きである。しかしそこに組織の都合はあっても必然性は乏しい。ではどうすればよいのか。

 結論的にいって、それぞれの地域組織は、「これこそ自分たちが担うべき核部門だ」と思い定める分野の適正規模で自らのサイズを決める。農協にとっては金融共済なのか営農指導なのか地域サービスなのかが問われる。自治体にとっては財政効率は無視できないが、基本は「住みよい町づくり」や住民への行政サービスではないか。
 そしてより小さな適正規模の部門については、本所(店)から支所等に思い切った地方分権を行なう。適正規模が自分のサイズを越える部門については広域連合、事業連合等の二次組織を協同で追求する。農協にも広域農協連等の経験があるが、その点での先鞭は、単協が県域を越えられない生協における事業連合形態の追求である。適正規模を越える部門に単協や県連が縄張り的にしがみついていたら、経済合理性からとり残され、経済的に破綻する。畜産センター等はその例かも知れない。
 そもそも農協のこれまでの歴史は、このような試行錯誤を慎重に繰り返してきたといえる。今日における経済連の全農統合にあたっても、事業再編の具体的なあり方はそれぞれの部門、商品特性によって様々であり、決して単一の「JAバンク」化ではない。このような柔軟性を失ってはならない。
 要するに適正規模の異なる諸分野を重層的にネットワークする組織である。21世紀空間の履歴はおよそこのようなものになるのではないか。


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