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農協時論

集落の合意に亀裂をいれる「差別的政策」
――米政策改革を生産現場から考える

東北大学大学院農学研究科教授 工藤 昭彦
 

工藤昭彦氏
くどう あきひこ)
昭和21年秋田県生まれ。東北大学農学部卒。昭和54年秋田県立農業短期大学助教授、平成2年東北大学農学部助教授、8年同教授、11年東北大学大学院農学研究科教授。主な著書は「土地利用方式論」(共著・農林統計協会)、「現代日本農業の根本問題」(批評社)、「解体する食糧自給政策」(共著・日本経済評論社)ほか。
◆コスト割れの米価、暮らし支える転作大豆

 東北の大規模農家は忙しい。米仕事が一段落しホッと一息ついたと思ったら今度は転作大豆の刈り取りだ。11月の中下旬、この時期冬は駆け足でやってくる。釣瓶落としの夕暮れが迫る頃、気温はグンと下がる。雪など散らついた日にはなおさらだ。季節に追われ収穫作業はしばしば深夜にまでおよぶ。同じ転作大豆とはいえ、これまでのそれとはわけが違う。稲作所得の急減を補ってくれる救農大豆だ。粗末になど扱ってはいられない。
 米価の暴落で稲作の規模拡大効果はあらかた吹っ飛んだ。マイナスになった人も数多い。「ドンと地の底に落とされ踏みつけられたようだ」。日頃弱音など吐いたことのない人が、溜息交じりに語っていた。
 手取り米価が1万2〜3000円代まで下がったのだから無理もない。完全にコスト割れの状態だ。下手すると自家労賃部分さえまともに出ない。何とか暮らせるのは転作大豆があるから。転作作業を引き受けることで奨励補助金の配分にもあづかれる。何がしか大豆の販売収入も手に入る。集落の合意で転作田が団地化されているところだと、補助金の分配だけで数100万円というのも珍しくない。米よりはるかに安定した収入が期待できる。「これが無かったら夜逃げかも」。ある認定農業者がこうつぶやくぐらい転作大豆はかけがえのない収入源。
 中には米単作に見切りをつけ、施設野菜や花き栽培でリスク回避を図ろうとしている人もいる。それらとて価格は近年引き下げ基調。「野菜にしろ花きにしろ運が勝負」。当人らがこう言うくらいだからリスク回避もままならない。
 農協の手数料や流通コストを節約しようとして、自分で米の販路開拓を試みた人達もいる。その多くが買い叩きに合い、計画流通米以上に価格低落を余儀なくされている。「米流通に係わる規制を抜本的に緩和」すれば、同様の事態もまた拡大するだけではないか。
 「稲作は終末現象を呈している。今となっては安定兼業農家がうらやましい」“専ら農業を営む者”として期待される人たちが本音でこう言い始めたのだから深刻だ。「効率的・安定的経営体の育成といった政策用語が空しく響く」というのもうなずける。

◆問われるのは農政のモラル・ハザード

 米政策の見直しに関しても、「何でコロコロ変わるのか」「そんなのいちいち気にしてられない」「どうせ何もいいこと無いんでしょう」というのが大方の農家の反応。第一、新しい米政策について、大半の農家は農協などからきちんとした説明を受けたことすらないという。自分で調べようにも切羽つまった状態でそれどころではなさそうだ。
 多少知っていたのは、稲経から副業的農家が外されるという話題。「焦点を担い手に当てる」とはいえ、補てん基準価格の固定化が解消されれば意味はない。「はずされた副業的農家が転作を止め米過剰で米価が下がるだけじゃないの」「集落の合意に亀裂が入り転作団地が崩れれば大変だ」「せっかく兼業農家にも配慮しながらやっとこさ農地を集積してきたのに農政が上から差別的政策でそれをぶち壊す」「財政問題が背景だということは担い手に対する保護が厚くなることもないだろう」「緊急に必要なのは米価の安定だ」「手取りで1万8000円が保証されるなら先も見えるし意欲も湧く」。農家の反応は総じて冷ややかだし直感的に見直し案の本質を見抜いている。
 「不足払い方式」のような仕組みでなければ稲作経営の安定にはつながらない。米価の暴落で大規模農家ほど身にしみてそのことを知らされた。補てん基準価格の固定化で何とか代行措置が講じられたと思った矢先、それすらも撤廃するというのが見直し案。「米の安売によるモラル・ハザードを言う前に農政のモラル・ハザードこそ問われてしかるべきだ」とある農協関係者は不満を述べる。「期待が裏切られた」と憤る農家が多いのも当然だ。

◆転作非協力など独自の道を選択――稲経からはずされる副業的農家

 生産調整については、何がどう変わろうとしているのか、詳しく分かっている人がほとんどいない。最大の関心事は救農大豆の奨励補助金。この金額如何が担い手農家の経済を左右する。「地域とも補償が無くなるとすれば補助金も減額されるのではないか」「このところ大豆も過剰気味で値引きしなければ引き取り手がない」厳しい現実に直面しているだけに、農家にしてみれば否が応でも疑心暗鬼が募ってしまう。
 面積配分を数量配分に変えるというのも、現場の担当者ははなから「できっこない」という。個々の農家に「生産出荷契約書」を作成してもらうこと自体が難しいばかりか、たとえそれを担当者が代筆したとしても生産数量の確認は不可能に近い。オーバー分を確認しようにも、適当に売られてしまえばそれまでだ。それを狙って新米の買い叩き業者が農村を跋扈(ばっこ)しよう。米流通の自由化がそれに拍車を掛けることは目に見えている。
 「何やかんや言っても最終的には面積に換算して配分出来ればいい方だろう」。ある町役場の担当者の冷めた見方は決して彼一人だけに限らない。主体的取り組みを任される農協の担当者はもっと深刻だ。稲経の対象から多数派の副業的農家が外されたら、彼らに転作を誘導する術がない。あえて強要すれば「農協離れ」を加速するだけだろう。
 それでなくとも農協の米集荷力は落ちている。見直し案のように計画流通米と計画外流通米の垣根がなくなれば、勝手に米を売ろうとする農家も確実に増える。めんどうな転作に協力するよりは、安くても手軽に作れる米の方がまだましだ。
 稲作所得依存度が極端に低い副業的農家にしてみれば、米はもはや正規に販売するという意味での経済作物でない。世が不景気ゆえ、縁故米、贈答米、交流米、イベント米としての価値の方がはるかに高い。
 稲経からはずしておいて、転作のみ等しく協力を仰ぐというのは土台無理な話。彼らもまた転作非協力を含めて独自のやり方を選択するといった動きが強まろう。それを押しとどめるのは今の農協の力量からして難しい。副業的農家の稲経はずしに全中が真っ向から異を唱えるのは、農協の存亡に関わる重大事だからだろう。

◆もう一度見直しが必要な「見直し案」

備蓄米を100万トンに減らす案にしても、財政削減の論理だけが透けて見える。WTO交渉の食料安保論を農政自ら否定する行為だといわれても致し方ない。援助用・棚上用・回転用といった3つの備蓄機能をセットで運用するぐらいでなければ食料安保論に値しない。
 どう見ても見直し案には農村現場に対するリアルな認識や危機感が欠けている。「農政なんてどうでもいいや。もうなるようになるしかない」吐き捨てるようにいった農家の言葉に農村の雰囲気が象徴されていよう。下手すれば農家の自暴自棄だけを煽りかねない見直し案。今一度見直されてしかるべきだろう。


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