農業協同組合新聞 JACOM
   
農協持論
日本農村の主体形成
新しい協同が食と農の「担い手」をつくる
田代 洋一 横浜国立大学教授


◆国と地域で分裂する「担い手」像

田代 洋一 横浜国立大学教授
たしろ・よういち
昭和18年千葉県生まれ。東京教育大学文学部卒業。経済学博士(経済学)。昭和41年農林水産省入省、林野庁、農業総合研究所を経て50年横浜国立大学助教授、60年同大学教授、平成11年同大学大学院国際社会科学研究科教授。主な著書に『新版 農業問題入門』(大月書店)、『農政「改革」の構図』(筑波書房)、『WTOと日本農業』(同)など。
  昨今の動きを見ていると、国が国境や国民を守らないなかで、「もう主体形成しかないな」という気がする。農業についてはとりわけそうである。「主体形成」のイメージは固いので、せっかくいただいた機会に若干なりとも解きほぐしを試みたい。
最近はもっぱら「担い手」が使われるが、戦前から戦後一時期までは「主体形成」だった。まず戦後変革期には、体制変革主体の形成が語られた。農業では農民層分解を踏まえた労働者と農民の労農同盟が模索された。
 ついで高度成長期にかけては「生産力主体」が語られた。そして基本法農政が生産力主体として期待したのが自立経営だった。
 だがその育成は、低成長への移行、米過剰の発生、米価の低迷とともに挫折した。所有権による規模拡大を図る自立経営に想定されていたのは自己完結的な経営だが、その自己完結性も折からの兼業化や家族協業の崩壊、機械の大型化等を通じて崩れだした。そこで分解する農業経営(生産力)の諸要素を地域の場で再統合しようとする地域農業組織化の動きがでてきた。それをサポートする下からの地域農業論、自治体農政論に対して、総合農政や地域農政が上から使い出したのが「担い手」だった(当初は中核的担い手)。生産力主体は「生産力のトレーガー」とか「生産力担当層」とも呼ばれ、この「トレーガー」や「担当層」という表現が、「担い手」につながった面もある。
「担い手」という日本語には本来、社会的な何か、例えば理想、使命、任務といったものを担うというニュアンスがある。このような本来の意味合いでの担い手なら、今の日本農村は実に多様な担い手を必要としている。すなわち農業経営の担い手のみならず、農作業、地域資源管理、農村社会、文化などの担い手である。例えば集落営農は、「むら」のみんなの持ち味をそれぞれ「むら」内に位置付け、活かしていくことだった。
 それに対し90年代以降の農政は、担い手を「効率的かつ安定的経営」に限定し、プロ農業経営などと持ち上げるようになった。そこで現実社会が求める担い手と、農政が育成したい担い手とが分裂した。しかしみんながそう思うから「担い手」なのであって、それが分裂したら担い手ではなくなる。

◆「担い手」から自覚的な「主体形成」へ

今日、米価下落のもとで、専業的経営は規模拡大よりも複合化・集約化を追求している。そこで農政がしゃにむに土地利用型農業を育成しようとしても、若手農業者等は「自分はもうかる農業をしたいので、担い手になりたいわけではない」とそっぽをむく。
 「担い手」という言葉のもつ押しつけられ感、やらされ感、消極性への違和感や反発である。しかしそれだけではない。昨今の財界・官邸主導の農政は、WTOやFTAでどんどん国境を取り払おうとしている。国家が国境を守らなければ、地域の農業や食料はグローバリゼーションの直撃を受ける。安い輸入農産物が市場を支配し、食のグローバル化に伴い食の安全性問題もグローバル化する。そこで地域の農業、食料、経済を守ろうとすれば、それはグローバリゼーションと直接に対峙せざるをえない。防風林を切り払われて海からの強風に吹きさらされるようなものである。
 かくして、農政用語としての「担い手」がもつ受け身性、消極性を払拭し、グローバリゼーションへの対峙を自覚する主体形成が求められるようになった。

◆グローバリズムといかに対峙するか

ではグローバリゼーションとは何か。この言葉が頻発されるようになったのは1980年代後半からであり、その背景は、情報通信革命、社会主義体制・冷戦体制の崩壊、市場経済の普遍化、多国籍企業(企業内世界貿易)や国際資本移動・金融の活発化、そして経済的政治的社会的な諸問題の世界化である。
 グローバリゼーションは、世界市場の形成をめざす資本主義とともに古い現象である、という捉え方もあるが、それでは今日の新しい事態は説明できないか、あるいはたんなる量的な変化に還元されてしまう。
 今日のグローバリゼーションは、それがアメリカニゼーションとして進行しているところに歴史的特徴がある。すなわち例え武力を行使してでもアメリカ基準を世界中に押しつける「グローバリズム」(世界干渉主義)の支配である。それは一方では自由競争を通じて世界のあらゆる経済格差を極端に拡大しつつ、他方では自らにとって異質なものを暴力的に均一化、画一化、排除、撲滅しようとする。そうであるが故に、それに対する反発として「反グローバリズム」が台頭する。反グローバリズムも反国家としてグローバリゼーションを促進する世界的な動きになる。それは反グローバリゼーションではなく、「もう一つの(オールタナティブ)グローバリゼーション」をめざす。
 かくして今日のグローバリゼーションは、このようなグローバリズムと反グローバリズムのせめぎ合いのなかで進行する事態だといえる。その意味で、先にグローバリゼーションとの対峙と述べたのは、正確にはグローバリズムとの対峙というべきである。

◆共通の関心が新たな協同をつくる時代

グローバリゼーションは全てを市場経済化し、自由競争に巻き込む。それは家族やむら共同体、ひとびとの様々な協同を破壊し、バラバラに分解して砂粒化する。このような事態にふさわしい言葉として、「ばらける」が『広辞苑』の第四版(1991年)から登場する。
 「ばらける」とは「まとまっていたものがばらばらになること」だとされている。とすれば「ばらける」はグローバリゼーション時代の人格表現でもある。原理的個人主義、私生活中心主義、物質享楽主義がその特徴だ。
 しかし「ばらけっぱなし」ではない。彼らは、自分が大切にする生活や価値を脅かすものに対しては猛烈に反発する。従来の全人格的な地縁血縁関係は「気兼ね」し、「わずらわしい」が、しかしメールでは人とつながっていたい。自分の関心、知りたいことを大切にするが、しかし従来の地縁血縁や交友関係、既存組織のなかには必ずしも共有者を見い出し得ない。そこでパソコン等も駆使して、より広い地域に関心を共通する者や、共通する関心に基づく新しい協同を求めていく。これを“関心縁”とよびたい。その関心は、例えば子育てだったり、直売、加工、環境、介護、食、健康、スポーツ、趣味など様々である。
 例えば最近の生協では共同購入に代わって個配が伸長しているが、これも一つの「ばらける」人びとへの対応だともいえる。個配は共同購入的な協同の否定にみえる。しかし多くの生協で聞かれることは、個配利用者の方が利用高も運動やイベント等への家族ぐるみでの参加率も高い点である。つまりここでも「ばらけっぱなし」ではなく、新しい協同が希求されているのである。

◆反グローバリズムの主体形成が始まった

 ばらける人びとが、自らの関心・利害を追求するうえでは、ばらける人びとをつなぐ新しい協同が決定的な契機となる。
人びとの協同を事業化・企業化したのが協同組合だとすれば、協同組合もまたグローバリゼーション時代の人びとの関心縁に基づく協同と、そのネットワーク化に依拠する必要がある。
 そのためには協同組織の自己変革が必要である。それを一口で言えば、縦系列のピラミッド型組織からフラットなネットワーク組織へ、上意下達的なコミュニケーションから、誰からでもどこからでも受発信できる双方向型コミュニケーションへ、間接・代議制民主主義から参加型民主主義への転換である。そこではとりわけ商品事業への組合員参加、クレームに対する迅速適切な対応が生命になる。今日、農協改革が叫ばれているが、真に求められている農協改革とは、このような現代組織への自己変革である。
 最近では農村女性が直売所や加工所で気をはいているが、それは農協女性部の地縁血縁組織等を出発点にしつつも、従来の「地域ぐるみ」ではなく、関心のある人、参加したい人の広域組織化を図っている。また集落営農等の地域農業再編の動きをみても、「むら」に基盤をおきつつも、「むら」を越えた大字(藩政村)や旧村(明治合併村、学校区)等での取組みが増えている。土地結合は「むら」であっても、人的結合は「むら」を越えている。
 このような直売所や地産地消、地域農業再編の動きは、地域の農業や食がグローバリズムの直撃を受けるもとで、それを守ろうとする動きだといえる。しかしそれはせいぜいのところ地域農業再編主体の形成にとどまり、反グローバリズムの主体形成というにはなお隔たりがある。だがそれが、地域や農業、食を壊そうとするものをはっきりと見据えた時、反グローバリズムの主体形成が始まる。我々はそういう期待をいだいて各地域の実践を調査した。私の編著『日本農業の主体形成』『日本農村の主体形成』(筑波書房)はその中間報告なので、参照いただければ幸いである。 (2004.6.17)



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