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農協時論

「人の組織から農協のゆくえを考える」
   三重大学 生物資源学部教授 石田正昭


◆協同組合は人の組織


 協同組合は人の組織と言われる。株式会社などの営利企業が資本の組織とすれば、自由、民主主義、平等、公正、連帯などを基本的価値とする人の組織である。こうした西欧型の協同組合制度が輸入されてからおよそ一世紀経ったが、これらの基本的価 値がわが国農協に根づいているかとなると、はなはだ疑問が多い。どうもそれを支える人そのものに、西欧とわが国では大きな違いが認められるように思われる。人そのものの違いを十分に理解しないと、結局、協同組合の失敗に見舞われるのではないだろうか。

 筆者は昨年一年ドイツのマールブルグ大学に留学し、協同組合研究の泰斗、ハンス・H・ミュンクナー教授のもとで日欧の農業協同組合の比較研究に従事した。その主 たる動機は、さまざまな展開をみせるわが国農協であるが、その将来的な姿はどのようなものであるかを、ドイツ農村信用組合の現状の中からさぐろうとするものであっ た。今その詳細を記すゆとりはない。ここではただ一点だけ、人そのものに着目すると、西欧とわが国では大きな違いがあるし、西欧の中でもドイツ、イギリス、フランスでは大きな違いがあり、それが協同組合のあり方に大きな影響を与えている、とい うことを指摘したい。

◆自助組織の意義

 西欧型協同組合における基本的価値の中の、そのまた基本をなすのは自助(self-help)である。このことから協同組合は、自助組織という代名詞で呼ばれるこ とも多い。自助、自己責任、自己管理というのは、三点セットとなってライファイゼン型協同組合の運営原則をなしている。この三点セットは、個人レベルの自助、自己 責任、自己管理を基礎とし、それを連帯させたところの集団レベルの自助、自己責任 、自己管理を含むものとして理解されている。自己を守る上で、自己を守る者と連帯 し、自己を守る力を強める、それが協同組合である、という思考回路(相互自助:mutual self-help)が成立している。

 西欧型協同組合においてこうした思考回路が一定の意義を持つのは、個人主義が自 己(エゴ)を自由で独立した主体としてとらえ、他人を決して信頼せず、他人は手段 として利用するだけだという精神が、非人格的な契約主義、互酬主義(ギブ・アンド ・テイク)、市場万能主義、ひいては資本主義を深化させていることによる。その意 味で、協同組合は過度の市場経済化や資本主義に対抗するものとしてとらえられ、また政府とも一線を画す組織として、そこからの助成と干渉はこれを受け入れないとい う伝統をつくり出してきた。



◆日本社会は間人主義


 ひるがえってわが国社会を考えると、上で述べたような意味の個人主義が定着して いないことがよくわかる。その端的な例は、「自己責任」なる言葉が定着したのも、 バブル崩壊後の最近年のことであった。浜口恵俊『間人主義の社会・日本』(東洋経 済新報社)によれば、日本の社会は個人主義でもなく、あるいはよく言われるような 集団主義でもなく、まさに間人主義という表現がぴったり当てはまる社会であるという。

 間人主義とは、まずはじめに間柄があってついで個人があるという関係、すなわち既知の人との関係につねに気をつけながら、その人と有機的な関係を保ちつつ、その 中ではじめて自分という存在を見い出そうとする人間のあり方を指している。その意味で、日本には西欧的な自己(エゴ)はいないが、相互依存、相互信頼、対人関係を 重視する自分がいる、ということになる。こうした間柄重視の人間は、太閤検地以来の小農家族すなわちイエと、それを補完するムラ社会の中から生まれてきたと考えら れるが、このことがムラを組織基盤とする農協において、相互自助という西欧的価値 を、相互扶助(mutual help)すなわち「たすけあい」として翻訳、理解する方がわ かりやすいという体質をつくり出してきた。

 明治の頃、文明開化とともに自助の精神は大いに喧伝され、それを紹介する翻訳本、中村敬宇『西国立志編』が百万部も売れたそうである。しかし、その後その価値観 が庶民レベルまで浸透しなかったのは、明治政府による富国強兵政策とそれを支える家父長制の制度化にあったことは疑いを入れない。その結果、協同組合とりわけ農協 においては、クニ−ムラ−イエという上意下達のシステムの中で、自助の精神は高揚されないまま、自己犠牲(サムライ精神)とか他者依存(甘えの構造)などが強調さ れることとなった。


◆いろいろある西欧個人主義

 留学中に当人たちに確認したことであるが、同じ個人主義といっても、「フランス人は自由と平等にあこがれ、ドイツ人は権威と不平等に親しみ、イギリス人は自由に しか関心を示さない」という違いはあるようである。この一文はトッド『新ヨーロッパ大全』(藤原書店)からの引用であるが、こうした違いをもたらしているのは、親子 の同居規則と兄弟間の相続様式からなる家族制度である。

 イギリスの農村では産業革命よりもはるか以前から、核家族制(親子別々の家計)が成立し、かつ能力主義的な相続(有能な子どもへの遺産相続)がなされてきたとさ れる。一方、フランスでは、核家族制が成立していたのはイギリスと同じであるが、兄弟間の相続は平等的であったという。イギリス人が自由しか関心を持たないのに、 フランス人が自由と平等にあこがれを持つのは、結局、相続様式の違いに求められることになる。イギリスで一人一票制や現金払いを運営原則とするロッチデール公正先 駆者組合がつくられたのも、産業革命や農業革命のみならず、民衆の間に自由と自主、したがって民主的な組織と運営についての深い自覚と経験があったためと理解できる。 これに対して、ドイツの農村では、日本の農村と同じく直系家族制と不平等な単独 相続制が広がっていたとされる。小農家族が生き延びるためにはそうした仕組みが必要だったからであろう。

  ではなぜ、ドイツで個人主義ひいては自助の精神が発達したのであろうか。それは家族制度というよりも、19世紀以降の工業化と都市化、それとプロテスタンティズム の浸透によって説明される。その意味で、ドイツ人の個人主義 は家族制度によって裏づけられた先天的なものというよりは、宗教教育によって支えられた後天的なものであった。こうした二重性のゆえに、熱心なプロテスタントであ ったライファイゼンが、村落(地縁性)を基礎として相互金融を行なうという、ややロッチデールとは異質の協同組合をつくり出すことに成功した。


◆間人主義の落とし穴

 とはいえ、西欧では、協同組合の特質を人の組織だけに求めているわけではない。事業体である以上、営利企業と伍していくためには資本の組織でもなければならない、 という理解が定着している。正確には、資本の組織であると同時に人の組織でもあるという点で、協同組合はやや特殊な企業形態であると理解されている。そしてミュン クナー教授は、現状の協同組合がかぎりなく資本の組織に近づいていることから、 協同組合の将来に対して悲観的な見解を表明している。

 個人主義の社会では、民主的な意思決定にあたって多数決ルールが適用される。それは、自らの意思を明確に表明する自己がいることを前提に、集団的な意思決定をくだす方法として開発されたものである。一方、間人主義の社会では満場一致ルールが 適用される。これは一人でも反対者がいれば意思決定をくだせない方法であるが、実際には根まわしによって潜在的な反対者(反対案)を消去するような措置がとられる。 その意味で、そこでの決定は多かれ少なかれ妥協の産物であり、建前と本音の乖離が著しい。決議されども実行されず、という農協体質はこうしたことに根ざしているのである。

 資本の組織としての革新は、先行する営利企業のやり方をフォローすれば、ある程度は達成される。しかし、人の組織としての革新は、模範となるべきものがない。それぞれがそれぞれの中で独自に開発していくほかない。西欧の農協も日本の農協も、 資本の組織としての方向を強めているのは、単に資本の論理によるものばかりではなく、革新の方法を見い出しやすいか見い出しにくいか、という点も関係している。
  こうした状況の中で、日本型農協においては少なくとも、自主、自立という自助精神にのっとって明確な意思表明のできるような仕組みを開発することが求められている。


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