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シリーズ 2002コメ改革
米政策の再構築を考える

座談会
水田の機能維持を日本農政の根幹に
(出席者 発言順)
梶井 功氏 
(東京農工大学名誉教授)
河相一成氏 
(東北大学名誉教授)
村田 武氏
 (九州大学大学院農学研究院教授)
森島 賢氏 
(立正大学経済学部教授)
北出俊昭氏 
(明治大学農学部教授)

 米政策の再構築に向けてJAグループは組織討議を行っている。討議の結果まとめられるJAグループの政策提案は、今後の具体的な政策に大きな影響を与えることになる。討議を深め具体策を作り上げるには、どのような視点を持つべきなのか。今回は農業政策の研究者に、生産調整研究会の「中間とりまとめ」とJAグループの組織討議資料をめぐって議論してもらった。
 座談会では、中間とりまとめだけでなく「食と農の再生プラン」など最近の政策も幅広く検証し問題点を探る必要があることなどが指摘された。2回に分けて掲載する。

◆効率的・安定的な経営は市場条件抜きに成り立つのか
梶井 功氏
かじい・いそし 大正15年新潟県生まれ。昭和25年東京大学農学部卒。39年鹿児島大学農学部助教授、42年同大学教授、46年東京農工大学教授、平成2年定年退官、7年東京農工大学学長。14年東京農工大名誉教授。著書に『梶井功著作集』(筑波書房)など。

 梶井 私は生産調整に関する研究会が「中間とりまとめ」で示した米政策の再構築の方向では、日本のコメ農業の立て直しになるどころか、日本農業全体が崩壊の危機に瀕するのではないかと思っています。
 とくに気になっているのは、中間とりまとめが非常に観念論的なことです。
 「効率的かつ安定的な経営体」が大宗を占めるようになることを前提にして、それが実現したら市場を通して売れる米づくりをするんだという方向を打ち出しています。
 その場合、米づくりは主食用ばかりではなく、飼料用や加工用などの需要にも対応する、その需要は膨大にある、それが望ましい米づくりの姿だ、というわけです。そして、それを実現するにはどうすればいいのか、というのがこれからの米政策の中心だという。
 しかし、私はこのような望ましい米づくりの姿を描いたことそれ自体が問題ではないかと思っています。
 その理由のひとつは、そもそも「効率的かつ安定的な経営」が市場条件を抜きにして成り立つのかという点です。
 米の需要は、加工用、飼料用などに目を向ければ膨大にあるんだといいますが、その意味は、「米価を下げれば需要はいくらでもある」ということなんですね。しかし、市場条件がそのように変化したときに、効率的な経営といえども安定的経営であり得るのか、という問題があります。効率的経営が常に安定的であるという保証は何もないわけですから。
 それをいちばん端的に示したのは米国の2002年農業法だと思います。
 世界に冠たる効率的経営が実現できていると胸を張っていた米国ですら、今の市場条件では経営は不安定だからと認識して、目標価格を設定し市場価格との差額を補てんするという、事実上の不足払い制度を復活させました。
 このことは効率的な経営は実現するかもしれないが、その経営が本当に安定するためには政策的手段が必要なのだということを示している。本来は、この点を議論しなければならない。 もう一点指摘したいのは、効率的かつ安定的な経営という姿をめざそうという方向は、今に始まったことではないということです。以前からそれを農政の課題としているわけであって、一体何年やっているのかと思いますね。しかし、まだその姿が実現する兆候すら見えないのが日本農業の現実でしょう。だとすれば、中間とりまとめが描く姿は、絵に描いた餅ではないのか。
 具体策はこれから詰めるということですが、あるべき米づくりの姿が実現できれば生産調整は選択制でいい、流通は原則自由でいい、という方向を平気で示すものだから、これからはもう米の生産、流通は自由経済の道へと突っ走るんだとみんなが受け取りかねない。
 そうなると米は供給過剰になることも考えられ、米価は暴落するでしょう。そうした状況に陥れば、たとえば、今、形成されつつある法人経営でも経営縮小の方向に向かいかねないという危機感を持っています。
 私はこのようにみていますが、まず最初に中間とりまとめに対するみなさんの評価をお聞かせください。
 河相先生、食糧政策研究会は中間とりまとめが出される前に提言(「米の安定供給と稲作経営の危機打開に向けて」)を発表しましたね。中間とりまとめとどこがもっとも違うのでしょうか。

◆「官から民へ」ではなく「官から公」の視点で考えるべき

河相一成氏
かわい・かずしげ 昭和7年神奈川県生まれ。27年東北大学経済学部卒。全国農業会議所を経て、45年東北大学農学研究所、63年同大学農学部教授、平成8年同定年退官。現在、食糧・農業を考える宮城県各界連絡会代表世話人、みやぎ・環境とくらし・ネットワーク(MELON)理事。主な著書は『危機における日本農政の展開』(大月書店)、『日本の米』(新日本出版)、『恐るべき輸入米戦略』(合同出版社)など。

 河相 まず私たちの基本的な認識は、これまでの農政は、1980年代からの規制緩和政策の一環として、農業分野もその路線を走ってきた経過があるのではないかということです。
 規制緩和政策のキーワードは「官から民へ」です。
 そこで問題にしたいのは 「官から民へ」という考え方でいいのかどうかです。農業分野でも考え直さなくてはいけないんじゃないか。
 つまり、「官」というのは「公」ではないんですね、官僚組織の「官」です。農政でいえば、食管法は官僚統制だから問題だと言われ、そこで米の生産、流通を「民」、すなわち、市場原理に任せればうまくいくはずだという議論になった。
 こういう流れを考えると、今、問われなければならないのは「官から民へ」ではなく「官から公」の視点で考えることだと思います。その「公」とは、国家ではなく国民のことを指しますから、国民(民衆・社会)の立場で農業、食料政策を考えるべきだということになります。
 食糧政策研究会の提言もそういう考え方で米政策を見直すべきだというのが前提です。
 具体的には、政策を考える前提としてWTO体制のもとで米の生産、あるいは日本の農業全体が一体どういう位置にあるのかを考えてみる必要があるということです。
 それを前提としたうえで、食糧法になってからの米をめぐる情勢はどうなのか、を十分にふまえるということです。簡単にいえば、米価は下落し続け、ミニマム・アクセス米の影響も出ている、減反面積も極限まで拡大している、ということですね。
 このような状況のもとで、日本の米の生産と流通と価格、それを担っている農民の経営、それをどう立て直したらいいのかという問題提起をしたいということでした。
 われわれの提言と中間とりまとめが示した方向とで、もっとも違うのは、ひとつは、生産調整についてですね。われわれは一定の国の管理が必要だという主張です。それは「公」(農民と消費者)の立場から生産調整をどう組み立て直すのかということです。
 2点めは、米価ですね。これについては不足払い制度を導入して全算入生産費を基準価格として市場価格との差を国家財政で補てんしていくべきだと提言しています。これらを中間とりまとめが出る前に提起する必要があると判断しました。
 
 梶井 村田先生は本サイト「これでは水田を活かしきれません福岡県の大型稲作農家に聞く」で生産者へのインタビューをしていますね。生産現場の声も含めて評価を聞かせてください。

◆WTO体制という“外圧”を抜きにした議論に終始

村田 武氏
むらた・たけし 昭和17年福岡県生まれ。44年京都大学大学院経済学研究科博士課程中退。大阪外語大助教授、金沢大学経済学部助教授・教授を経て、平成10年4月より現職。経済学博士。著書に『世界貿易と農業政策』(ミネヴァバ書房)、『消費者運動のめざす食と農』(農文協:共著)等がある。

 村田 梶井先生が先ほど指摘されたように、中間とりまとめに対して、これは観念論だという批判が現場には確かにあります。
 具体的な対策がすべて先送りになりながら、いわば市場原理型のあるべき姿だけが先走りしている。それなのに、効率的、安定的経営の実現をめざすというのはおかしいではないか、効率的経営、即、安定的ということはありえない、そこはきちんと分けて考えなくてはならない、と全国稲作経営者会議の井田副会長が指摘されたのは非常に印象的でしたね。
 中間とりまとめを読む限り、生産者としては、国が食料政策から手を引くと感じざるを得ないわけで、農水省官僚はプライドをなくしたのか、という意見も出ました。
 ところで、私の疑問なんですが、今回の中間とりまとめの内容は、生産調整のあり方やあるべき米づくりの姿も含めて、いわゆる政府、与党、農業団体の「三者合意」路線の枠内なのかどうかということです。
 米の関税化の前倒しは、三者合意路線の枠内だったと思いますが、今回も最終的な落としどころが見えていて、このようなとりまとめを行ったのかどうか。中間とりまとめの背景にある見通しは、平成16年度に、生産調整方式を変更しながら、稲経廃止・経営所得安定対策の導入という路線だと思いますが、JAグループの組織討議はそこまでの筋道をきちんと見据えて行われているものなのか、そうではないのかが問題だと思います。
 もう1点は、ミニマム・アクセス(MA)米の影響問題です。
MA米についての議論は、加工用米のことは横へ置いておいて、主食用については輸入量に相当する国産米を援助に向けているんだから、影響はないとした。しかし、そうではないだろうという意見が委員のなかから強く出て、心理的な影響は否定できないと議論していた。
 一方、現在、WTO農業交渉が行われていて、来年3月にはモダリティを決めることになっています。日本は農業の多面的機能論を主張していますが、関税率は一定程度引き下げられるでしょうし、さらにMA米の削減を求めるなら、関税率を相当引き下げるといった妥協も迫られるのではないかと懸念されます。
 しかし、研究会では、あるべき望ましい米づくりの姿というものをこの間のWTO体制という“外圧”をまったく無視して議論している。米をめぐる現実を考えるとこういう議論のあり方は到底考えられないと思うんです。

◆生産調整が始まって30年その経験をまったく無視した議論

森島 賢氏
もりしま・まさる 昭和9年群馬県生まれ。32年東京大学工学部卒。38年東大農学系大学院修了、農学博士。39年農水省農業技術研究所研究員、53年北海道大学農学部助教授、56年東大農学部教授、59年東大農学部教授を経て平成6年より現職。著書に『日本のコメが消える』(東京新聞出版局)など。

 梶井 MA米については、研究会では最初に議論しただけですね。結局は、業務用にしても加工用にしても、需要自体は増えており、そこにMA米が入っていっても影響はないという言い方なんですね。

 森島 議事録をみていると、MA米の議論は3月いっぱいで終わった、4月以降は議論しないということだったようですね。その後もときどき委員から意見は出るんですが、その議論はすでに終わった、もう蒸し返さないという座長などの声に押し切られたという感じを受けます。
 ところで、研究会で当初出された問題は、減反の限界感、これをどうするのかという問題と、減反する人としない人の不公平感をどう処理するのか、また、調整保管や飼料用処理の負担を計画流通米だけで負担しており、これは不公平ではないかということでした。
 実際問題として、限界感と不公平をどう処理するのかの2点が生産調整をめぐる問題だと私は思っています。
 しかし、そのうちこの議論がすっぽりと抜けて、いきなり白紙に書いたような“あるべき姿”を示した。ですから、生産調整が始まってから30年間の経験をまったく無視している。
 30年間の積み重ねとして、限界感が出てきたし、不公平感が出てきたわけで、それを根本的に直すにはどうしたらいいかが問題のはずですが、いきなりあるべき米づくりの姿とやらが出てきて、そうなってからは生産調整に強制感があるならもうやめたらどうか、とか、計画流通米だけで需給調整を負担しているのが不公平だというなら、では計画流通制度をやめてはどうか、ときわめて単純な話になってしまった。
 ただ、今後、具体策を詰めていくなかで、この基本方向それ自体を見直すこともあり得ることは研究会でも確認されているようですから、その点も含めてこの2つの問題をどうするのか、具体的に議論していくことが大切ではないかと思います。

◆需給のミスマッチの原因を国内生産に限定できるか

北出俊昭氏
きたで・としあき 昭和9年石川県生まれ。32年京都大学農学部卒。同年4月全国農業協同組合中央会に入会、58年退職、同年石川県農業短期大学教授、61年4月より現職。著書に『新食糧法と農協の米戦略』(日本経済評論社)『日本農政の50年』(日本経済評論社)

 北出 私が中間とりまとめを読んで感じたのは、米の過剰、需給のミスマッチを非常に強調していることです。
 確かにそれは大きな問題だと思いますが、その要因はどこにあるのかと問うた場合、中間とりまとめで出されている考え方の基本は、“農家の米の生産のあり方にある”となっていると思いますね。
 つまり、現在、需給のミスマッチが出ている原因は、農家に需要量や品質の評価などの情報が正確に伝わっていないからだという認識です。正確な情報に基づかずに生産するからミスマッチが起きているんだと、こういう立論になっていると思うんですよね。
 中間とりまとめのなかで、「農業者の主体的な経営判断」といった表現がいくつあるか数えてみたら13ある。一方、「ミニマムアクセス米」という言葉はひとつも出ていません。つまり、需給のミスマッチは、すべて国内の米生産のあり方に問題があるという枠組みにしているわけで、そこが非常に気になるところです。
 それから村田先生が指摘した政府と与党との関係ですが、確かに農林関係の国会議員にいろいろ問題はあると言われても、それなりにきちんと現場の意見を主張する農林関係議員はいました。そういう議員との話し合いのなかでコンセンサスを得て農業団体の主張もそれなりに実現されてきたというのがこれまでの政治手法だったと思います。
 ところが、小泉内閣になってからはそういう議員も含めて丸ごと「族議員」として、改革に反対する抵抗勢力だということになっているのではないか。
 したがって、小泉内閣のもとではなかなか以前のような動きになり得ないといいますか、政策を主張したにしてもなかなか現在の政権には反映されない、影響力を持ち得ない事情もあるんじゃないかと思いますね。むしろ農政全体がトップダウンで推進されており、そのことが米政策を考えるうえでも問題になってくると思いますね。

◆落としどころを見据えた組織討議は避けるべき

梶井 功氏

 梶井 さて、中間とりまとめをうけて、JAグループは組織討議を行っています。
 その討議のポイントについても議論してみたいと思いますが、私としてはまず疑問に思うのは、改革の必要性と対応方向の点では中間とりまとめと「基本的認識はJAグループと一致している」としている点です。
 対応方向には「あるべき米づくりの姿の実現とその条件整備」がありますが、そこにはこれまでJAグループが主張してきたことと違う内容も含まれていますね。
 たとえば、効率的安定的な経営体が米生産の大宗を担うようにしたいということに対して、主業農家と副業的農家の政策上の区別の問題とも関連しますが、JAグループは、依然として集落営農組織の重要性、つまり、それを担っている副業的農家も重要な担い手だと主張してきたわけです。すなわち、効率的安定的な経営だけが稲作生産の大宗を担うこと自体にも異論を持っているはずですね。
 それからMA米の評価に関しても、議論の経過をみると基本的認識は一致しているとは私は思えなかったわけですが、討議資料のなかでは基本的認識は一致しているようですね。

 北出 MA米について討議資料の記述は「ミニマムアクセス輸入米は、高関税や政府管理等によっていまのところ国内需給や価格に直接的な影響は見出せません」となっていますからね。

 河相 JA全青協の門傳会長も「基本的な方向は誰も否定できないものだと思う」といっています。(『農業共済新聞』7月3週号)全青協の会長がこういうことを言うのは今までなかったと思うんです。政府の政策に対してもう少し批判的だった。

 梶井 少なくとも今の段階でそんなことを言うべきじゃないんじゃないかと思うんですよね。6月末の中間とりまとめの際には、基本方向の修正もあり得るとJAグループとして主張したわけですから。だから、落としどころを見据えたような議論ではいけないと思うんですよ。

◆生産調整はカルテル行為か根本的な位置づけ考えよ

森島 賢氏

 梶井 そこでまず議論すべきこととして指摘しておきたいのは、生産調整を何のためにやっているのかということです。これは完全に生産者のカルテル行為なんだという認識がベースになっているようですが、それでいいのか。
 しばしば新食糧法のときからそうなったと言われますが、私は新食糧法に切り替わったときに、生産調整をカルテル行為だと位置づけたことが決定的に間違っていたのではないかと思います。
 わが国は、新基本法の19条で、不測の事態への備え、ということをうたったわけですね。その見出しは“食料の安全保障”という言葉になっていますが、実は法律のなかで安全保障という言葉を書き込んでいるのは、防衛庁関係の法律ですらあまりないほどなんです。
 それをわざわざ言っているわけですから、国政の責任として国民に安定的に最低限の食料は保障するという姿勢を持っているわけですね。私は今の農業政策の根幹はそこに置かなくてはいけないと思っています。
 ところが、農水省が打ち出した「食と農の再生プラン」の工程表にはそれに応える施策は一つもない。このプランは、「国民の大多数が将来の食料供給に不安を有している」から、ここに新たに政策を打ち出すのだと書き出しているにも関わらず、です。
 ただ、この点について遠藤副大臣に聞いたところ、それは書いてはいないけれども、食料の安定供給体制の構築は農政の当然の大前提になっているという回答でした。

 森島 そういう考えがあるなら、遠藤副大臣は中間とりまとめを明確に批判しなくてはならなかったはずです。というのは、なにしろ米は普通の商品と同じだと書いてあるわけですからね。

 梶井 そこです。もう米を主食と考える必要はないんだということですね。普通の商品が過剰になったから、過剰によって価格が下がるのを防ぐために、生産者が生産カルテルとして生産調整を行っている、という位置づけでいいのかどうか。

◆「基本計画」をふまえて国内農業の維持拡大の視点を

北出俊昭氏

 北出 新食糧法下での生産調整の戦術的な目標としては、やはり価格維持のために行うということだと思います。
 しかし、戦略的な目標としては、余った米を調整し、一方、自給率の低い作物を作っていって、それで日本の食料供給の安定を図っていくんだという常に裏腹の関係にあるわけですね。
 ところが、中間とりまとめが打ち出した方向は、この裏の部分、つまり、戦略目標を削ってしまって戦術目標だけに絞った議論になっていると思います。そのために先ほども指摘したように米の需給のミスマッチは国内生産のあり方にあるんだという点に絞られ、そこに議論も誘導されてしまったのではないか。

 梶井 戦略目標を削ってしまったということを一体どう考えればいいのかという問題ですね。

村田 武氏

 村田 それは新基本法との関係でいえば、「基本計画」を念頭に置いているのかどうかですよね。
 中間とりまとめの方向が示していることは、自給率を2020年までに45%に上げるという目標に基づいてさまざまな政策を具体化していくという姿勢は、まったくなくなったということではないですか。
 そこはどうも小泉構造改革と関わっていると思いますが、私は、今回の議論はきわめて“有事法制的”ではなかったかとも考えています。というのは、農水省が先に策定した「不測時の食料安全保障マニュアル」の方向に食料政策が乗り移っていると思うからです。そうとでも理解しないと、中間とりまとめの路線が分かりません。

 梶井 たしかに基本計画を無視していると思いますね。

 村田 無視したのは、不測時の食料安全保障マニュアルに示された方向があるからじゃないでしょうか。
 このマニュアルの主眼は、不測時の「事態の深刻度」を3段階で想定し、それに応じて備蓄の活用や「緊急増産」を行い、供給を管理することに置かれています。
 食料安全保障とは、国内生産を増大させ少しでも自給率を上げていくことだったはずですが、その発想はほとんどありません。基本計画は棚上げしておいて、これからMA米が増えるから、供給は安定している、しかし、外国で不作が起こらないとも限らない、したがって、不測時のマニュアルが必要だ、という話ではないでしょうか。不測時の食料安全保障マニュアルをみると、私には国内の供給基盤を維持し、少しでもプラスに持っていこうということではないのではないかと思えます。私はそれを危惧します。

◆「中間とりまとめ」は小泉構造改革の象徴では

河相一成氏

 河相 今日、議論している米政策の再構築に向けての「中間とりまとめ」と、「食と農の再生プラン」、それから今話題になった「不測時の食料安全保障マニュアル」の3本が出そろい、今後の農政の具体的な方向を示す政策が見えたわけですね。
 これらをみると、私は新基本法の考え方と明らかに違うと思います。トータルとして考えると方向転換したといえるんじゃないか。

 梶井 とくに小泉内閣になってからの農政はそうですね。その象徴が今度の中間とりまとめになっているわけです。
 生産調整の位置づけは、今までは食料安全保障の観点から言って、水田の機能は極力保全したい、しかし、米を全部作ってもらっては困るから米は減産する。ただし、水田の機能は維持してください、さらに維持するばかりではなく、自給率の低い農産物を作ってくださいということだった。だから、それが国の政策たり得たわけです。
 ただ単に価格維持のためのカルテル行為として生産者が生産調整をするという程度のものだったら、国のバックアップもなくていいということになってしまう。このような生産調整をめぐる根本的な議論は一切されていませんね。

 村田 その議論を押し流してしまったのが、限界論、不公平論だったと思います。

 梶井 まさにその議論からスタートしましたからね。しかし、では、限界感、不公平感は一体なぜもたらされたのかという根本を議論したのかといえばそうではありませんね。(以下、近日公開)




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