農業協同組合新聞 JACOM
   

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シリーズ 農協のあり方を探る-7

生活基本構想の復権を

先ア 千尋 茨城大学地域総合研究所客員研究員


 農協をどうするか、どうあるべきか、農協界隈はこのところ話題に事欠かない。農水省の「農協のあり方についての研究会」がこの三月に報告書を出し、農協陣営は秋の全国農協大会に向けて組織協議案を検討している。
 その伏線としては、小泉構造改革の一つとされた農協改革の方針があり、消費者レベルでは、BSE問題に端を発する一連の農産物偽装表示事件、無登録農薬使用問題など食の安全性が問われる事件が相次いだことが挙げられる。
 私は現場サイドから、農協の今後についての考え方を示したい。
 
◆なぜ協同活動が必要なのか
 
先ア 千尋氏
(まっさき・ちひろ) 昭和17年茨城県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。全販連、群馬県永明農協、水戸市農協、瓜連町農協、瓜連町長を経て現在ひたちなか農協代表理事専務、鯉渕学園、茨城県立農業大学校講師、茨城大学地域総合研究所客員研究員。著書に『農協のあり方を考える』(日本経済評論社)、『農協の地権者会活動』(同)、『よみがえれ農協』(全国協同出版)など。
 迷った時は元に戻れ、という。農協は誰のために、何のためにあるのだろうか。私たちが農村で暮らしていくのに何故協同活動が必要なのだろうか。農協をどうするかという議論の出発点はいつでもここにある。この答えは、かつて我が国の農協運動に大きな影響を与えた山口一門さんが二十年以上前に述べた次の言葉の中にある、と私は考えている。
「農協の協同組合としての事業活動は、その行為の発生のプロセスからみても、農民の営農なり生活の路線上に発生する。問題の解決、期待や願望の実現が自己完結では不十分であるか、不可能な部分を協同活動によって処理していこうとしたものが事業であり、当然すべての事業は、組合員の営農と生活の延長線上に仕組まれたものであるべきはずのものである」。
 また、農協の現状分析と課題については、三十三年前の「生活基本構想」が的確に捉えている。
 「農協が、その基盤である農業者、農業、農村の変化に対応できず、しかも企業との競争にうちかてず、組合員に利益と便宜をもたらしえなければ、その存立さえむずかしい」。「その意味で、将来へのはっきりした展望に立ち、未来を先取りする形で、この激動の時代に積極的に対処することが要求される」。
 「(農協の)事業が運動として展開されるためには、構成員が協同して企画し、協同して活動に参加することが基本であり、構成員の間の人的結合が前提となる」。「組合員の意思にもとづく企画、活動への参加がうすく、役職員が組合員を顧客としてとらえたり、組合員が農協を他の企業と同列視したり、連合会が農協を事業推進の対象としてのみとらえるのでは、それは農協運動の実体をそなえているとはいえない」。
 こうした観点から今日の農協を見ると、進むべき道がまるで違う方向に向いているのではないか、と私には思える。

◆暮らしが見えない大会議案

 例えば、今大会の原案を見ると、まったく国のいいなりであり、完全に軍門に下ったとしか思えない。さらに組合員との関係については、「組合員の負託に応える」と何度も述べている。負託とは「人に頼んで引き受けさせること」と辞書にはある。組合員はいつ誰に、何を頼んだのか。私には分からない。協同活動の強化という表現もあるが、とってつけた、歯の浮くような表現でしかない。通常、負託という言葉は首長、議員などのように選挙で選んだ代表に対して使われる。組合員と農協との関係で負託という言葉が出てくること自体が不思議なことだと考えている。
 問題は「組合員の暮らしがどうなるのか、協同活動によってどう変わるのか」である。これまでの活動で何が不足しているのか、協同活動を現場でどう組み上げていくのかが課題である。しかし、原案をいくら眺めてみても、私には組合員の暮らしがどうよくなっていくのかのイメージが湧いてこない。

◆企業と同じ競争でよいのか

 偽装表示、無登録農薬問題で農協は主役を演じた。偽装表示問題は残念ながらまだ続いている。しかも農協は被害者ではなく、加害者側に立った。食の安全性に不安感を抱いた消費者の声は全中の調査にも表れている。「安全性うんぬんよりも、表示は本当に正しいのか。だまされて買わされているような気がしてならない」。「『信じていたのに・気に入っていたのに』という思いを、ことごとく裏切ったのが一連の偽装事件だと思う」(「日本農業新聞」6月17日号)。
 いまさら言うまでもなく、協同組合の生命線は純良な品質のものを提供することであり、うそをついてはいけない。というより、うそをつく協同組合は協同組合とは言えない。
 しかし現実に農協はうそをついてきた。それがばれてしまった。なぜうそをついたのか。もうけるためであろう。市場での苛烈な競争に勝つ。非営利法人の農協がそのような体質になってしまった結果をどう総括するのか。まさに「存立さえむずかしい」のだ。
 しかし、今回の原案のトーンは「経済事業改革」の項で象徴されるように、企業との競争にうち勝つ市場原理そのものだ。農協の経営がおかしくなったのは、企業と同じレベルで競争した結果、組合員から見放されてしまったためではなかったか。「生活基本構想」の分析は活かされることはなかった。
 では、もつれてしまった糸をどうほぐせばいいのだろうか。私は次のように考える。

◆座標軸は「共益」と「公益」

 「生活基本構想」は次のように言う。
 「農協の機能は大きくわけて、農業所得の維持向上を図る機能と、組合員の生活の防衛・向上を図る機能となるが、後者の機能はこれまで、ほとんど不十分にしか発揮されてこなかった」。「農業者は、生産者であると同時に消費者であり、生活がそこにある」。
 「生活基本構想」の目指したものはつまるところ、協同して生活の防衛を図ること、農産物の需要拡大を図り、これを価値通りに販売していくことの二つである。私は、今日でもこの基本線を変える必要はない、と考えている。そして、石見尚氏が提唱している共益と公益を座標軸に据えるべきだ、と考える。
 農民の集団的利益が共益である。公益は本来国家が担うべきもので、私企業は公益事業を目的としない。しかし、それぞれの事業の結果は、社会的・経済的公益性に関係する。例えば、食品の安全性確保は、生産者と食品業界が自らの責任において保証すべきものだ。それができなければ、雪印食品のように社会的に抹殺されてしまう。
 農協でも同じで、農協の利益は組合員の利益になると考えて行ったことが結果として共益にならず、公益にもならないことが一連の偽装事件で分かったではないか。
 ここでは紙幅の関係で、農業生産面での協同活動、販売等についてはこれ以上触れない。家庭経済の防衛・安定、生命の安全・健康管理、教育文化等生活活動の守備範囲は生産面よりも幅が広い。しかし今回の原案では「生活関係事業については、『選択と集中』を徹底し、事業範囲の見直しをはかる」、としている。要するに、赤字部門は切り捨てるということに過ぎない。地産地消、地域づくり活動、資産管理、高齢者福祉、介護、健康管理など生活活動に関係ある項目が出てはいるが、相互の関連性は薄く、執筆者は「生活基本構想」やその後に出た「生活活動基本方策」を手にしたのかどうか、疑わしいとしか思えない。例えば、地産地消を言うのであれば、10%に近づいた農家の自給率向上のために、まず自給率向上運動を展開することが基本である、と私は主張してきている。
 信用事業や共済事業も、組合員の暮らしからスタートするのではなく、「経営の健全性・高度化」というもっぱら農協の経営がらみでしか触れられていない。
 総じて、今回の原案は国の農協攻撃に対して自らをどう守るかという視点から書かれており、総合事業としての農協のあるべき姿を見通すことができない内容になっている。
 「生活基本構想」の描いた農家像、農協像に立ち帰って国民と農民の関係を整理し、農のあるまちづくりを進めるべきだというのが私の主張である。 (2003.6.25)


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