農業協同組合新聞 JACOM
   

シリーズ 財界の農業政策を斬る(3)

説得力の弱い財界提言
森島 賢 立正大学名誉教授

もりしま・まさる
昭和9年群馬県生まれ。32年東京大学工学部卒。38年東大農学系大学院修了、農学博士。39年農水省農業技術研究所研究員、53年北海道大学農学部助教授、56年東大農学部助教授、59年東大農学部教授、平成6年立正大教授。16年定年退職。現在(社)農協協会理事。著書に『日本のコメが消える』(東京新聞出版局)など。
 政府が有識者を集めて、「食料・農業・農村基本計画」の検討を行っているさなかの去る3月8日に、有力な経済団体の経済同友会が、農政全般についての提言を行った。
 近年、財界の農政に対する影響力が、とみに強まりつつあるだけに、この提言は各方面から注目された。
 提言の内容は一読すれば分るが、しかし、それが如何なる現状分析に基づき、如何なる根拠で提言しているのかが分らない。それゆえ、この提言は説得力がきわめて弱いものになってしまった。

◆現状分析のない提言

 この提言は、「農業の将来を切り拓く構造改革の加速」(以下では括弧をつけて「提言」と略す)という題名である。この「提言」を検討してみよう。
 この「提言」は9ページに及ぶもので、詳細な提言がなされている。しかしながら、これらの提言は、その根拠をほとんど示していないか、不十分なものである。だから提言というよりも、主張だけがなされている、としか読みとれない。
 このような提言に説得力はない。せめて提言の根拠にした現状分析の資料を示しておけば、それなりの説得力があったかもしれないし、提言をより深めることができただろうが、それもなされていない。

◆空疎な「食料自給の改善」

 「提言」を具体的に検討してみよう。「提言」は多岐にわたっているので、ここでは重要なものだけを検討しよう。はじめに、いまの農政の最重要課題である食料自給率向上の問題を取り上げよう。
 先日、参議院選挙が行われたが、主な政党の公約をみると、すべての政党が食料自給率について数値目標をかかげて、その達成を公約している。これは、大多数の有権者が、数値目標を示すべし、と考えているからだろう。
 この最重要な農政課題について「提言」では、前後の脈絡がほとんどないまま、唐突に「現段階では、食料自給率の数値目標を掲げるべきではない」という重要な提言を行っている。やや推測をまじえて、あえてその根拠らしいものを読みとってみよう。
 「提言」では、構造改革をすれば「食料自給の改善」が図れる、と言っている。「食料自給の改善」という新語を使っているが、その言葉の意味の説明はどこにもない。意味深長なようで、全く空疎としか言いようがない。
 その上、「提言」でいうような構造改革をすれば、自給率は向上するどころか、低下するのではないか、という重大な疑問があるのだが、この点の説明もない。だから、これは提言というよりも、単なる声高な主張になってしまっている。
 どのような主張をしても自由だが、しかし根拠を示さない主張は、反対論との対立を深めるだけの、無意味な主張に終わってしまうだろう。
 わが国の経済の第一線で活躍している有力な経済団体の提言であるだけに、また、誰しもが、構造改革は必要と考えているし、食料自給率は向上させねばならない、と考えているだけに、まことに残念というほかはない。

◆実現不可能な前提条件

 コメに関わる提言を、やや詳しく検討してみよう。「提言」では構造改革をすれば、生産コストを3ないし4割削減できるし、一方、品質を良くすれば1.5倍の価格で売れる、としている。そうすれば、輸入米と競争できるし、それだけでなく、海外への輸出も十分可能だという。そうだろうか。
 「提言」のこの部分も論証は全く不十分である。生産コストを全国で3ないし4割削減することは至難のわざだが、しかし、議論を進めるために、百歩ゆずって、それが可能だと仮定しよう。
 このばあい、注意すべきことは、あれこれの農家がコストを4割削減できた、という成功例をいくつ示しても意味がない。「提言」では「食料自給を改善する」というのだから、全国のすべての農家がコストを4割削減できねばならぬのである。
 また、コメを1.5倍で売ることも、ほとんど不可能だが、それも可能と仮定しよう。このばあいも、1.5倍の価格でコメを売った農家をいくつ例示しても無意味である。すべてのコメが1.5倍で売れねばならない。
 さらに、この仮定は将来像のもとでの仮定であることにも注意しなければならない。「提言」の将来像は、無関税の完全自由化で、補助金はゼロ、という想定だから、国内価格は国際価格と同じになる。その価格と比べて1.5倍で売れる、という仮定である。
 実現不可能と思われるこれらの仮定が、すべて実現できたとしても、国際競争はできないのではないだろうか。

◆荒唐無稽な提言

 はじめに、コストを考えてみよう。2003年産米は不作だったので、すこし古いが2002年産でみてみよう。政府の調査によれば、コストは全国平均で、玄米60kg当たり1万7339円である。このコストを4割削減できると仮定すれば1万403円になる。
 このコメが輸入米の1.5倍で売れると仮定するのだが、どれ程の価格になるだろうか。国際米価は、毎日、日本経済新聞が夕刊に前日のシカゴの相場を載せている。それをみると、昨日(7月12日)は、玄米60kg当たりに換算して1835円だった。
 いま国際米価は上がっているが、それでもこの程度である。だから、1.5倍で売れるとしても2753円にしかならない。
 ここで、あらかじめ想定される反論を検討しておこう。それは、国産米は輸入米よりも旨いから、もっと高い価格で売れるはずだ、というものである。
 たしかに国産米は世界中で一番旨い、と筆者も思っている。しかし、そう思う人は世界中の人の約1割しかいない。約9割の人たちは、日本産のようなネバネバしたコメよりも、輸入米のようなパサパサしたコメの方が旨い、と思っている。だから、パサパサしたコメを作り、それを食べているのである。
 もう1つ注意すべきことは、つぎのような誤解である。つまり、パサパサしたコメのほうがコストが安く、したがって価格が安いから、パサパサしたコメを作って、不味いのを我慢してそれを食べている、という誤解である。
 実際は、パサパサしたコメも、日本人好みのネバネバしたコメも、コストは同じで、国際市場での価格もほとんど同じである。
 だから、もしも「提言」が想定しているように、日本が輸入を完全に自由化すれば、世界中の各地で日本人好みのコメを作って、いまの国際米価のままで輸出してくるだろう。
 実際に、いま中国は日本人好みのコメを作って日本へ輸出している。そして、そのコメの味を日本市場では国産米の中位のコメと同じ程度に評価している。
 以上のように、「提言」でいう実現不可能と思われる仮定を、すべて認めたとしても、1万403円のコメを2753円で売れ、という提言になるのである。だからこの提言は説得力がない、というよりも、荒唐無稽な提言という方が適切だろう。これでは「自給の改善」などできはしない。まして、「海外への輸出も十分可能」などというのは論外である。

◆市場原理を修正せよ

 この米価とコストとの差額について「提言」では、あくまでも数年間に限定した時限的な政策として、また、ごく限定して選別した農家を対象にして、という強い制限のもとで、直接支払い制度を提言している。つまり、米価とコストの差額分を、補助金として政府が農家に直接支払って、再生産ができるようにする、という提言である。この部分を検討してみよう。
 農家を選別し、差別する政策については、協同組合精神と真っ向から対立して全面否定するもので、農村共同体を、その根底から破壊するものだ、ということを述べるに止めておこう。
 直接支払い制度について、先日(7月4日)の朝日新聞は、農業者の次のような意見を載せている。その主旨は「直接支払いは、訳の分らぬカネがもらえるから、農業者をダメにする」「参議院選挙で、主な政党のすべてが直接支払いを公約しているが、かわいそうな農家を救ってあげよう、という考えなのか」という怒りを込めた否定的な見解である。
 ここには、すべての政治家から見放された、しかし、誇り高き農業者がいる。このような農業者が健在なかぎり、日本の農業は安泰だと思う。
 そのことはさておき、筆者も「提言」でいう直接支払いには賛成できない。その理由はこの農業者の意見のほかにも、つぎのような問題点があるからである。
 先ほど示した数値を使えば、農業者は2753円を市場からコメ代金として受け取る、そのほかに政府から7650円(1万403円引く2753円)を直接受け取らねば、生産を続けられない。このような制度は、市場原理を無視するものである。筆者は市場原理を全面的に肯定もしないが、全面的に否定もしない。旨いものを安く作る努力には十分に報いる、という市場原理の長所は生かすべきだと考えている。
 その上、この直接支払いを受けられるのは、ごく少数の選別された農家だけだというし、しかも、やがて廃止する時限的な措置だというのだから、なおさら賛成できない。
 そうではなくて、市場原理を修正して、供給量を制限することで、つまり、輸入を止め、国内供給量を制限することで、市場に農業の多面的な機能、つまり、食料安保、環境保全、社会の安定という機能を認めさせ、その対価を市場価格として、すべての農家に対して、市場がきちんと支払うようにする政策こそが、本筋の政策ではないだろうか。 (2004.7.22)


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