農業協同組合新聞 JACOM
   
シリーズ 歴史を振り返り農協のあり方を考える

事業分量からの発想はだめ
農家の欲しがるもの求めて

奈良県5農協連元共通会長 吉村宗一郎氏に聞く
聞き手:梶井功 東京農工大学名誉教授



 吉村さんは戦時中の産業組合中央会を振り出しに戦後は全販連で再建整備促進に取り組み、そして奈良県経済連に移って専務から会長、県5連の共通会長などを歴任された正に歴史の生き証人だ。経済連では全国に先駆けて数々の新しい事業を精力的に展開し、成功させた。「パールライス」の名付け親でもある。その実績は実に多彩だ。農協のあり方については「事業分量を増やそうというような発想で事業を始めてはだめだ」などと指摘した。米寿を迎えた今も颯爽として教育基本法問題なども話題にした。県の教育委員長をしていたからだ。シリーズの今回は梶井東京農工大名誉教授に加え、全販連と全農の仕事で吉村さんとなじみだった中川農協協会会長にも聞き手となってもらった。


◆父の影響で産組へ

よしむら・そういちろう

よしむら・そういちろう

大正6年8月奈良県御所市生まれ、88歳。昭和16年東京農業大学農学部農学科卒業。同年産業組合中央会入会、23年全販連入会、29年奈良県経済連参事、36年専務理事、53年奈良県5農協連共通会長、平成5年退任(会長在任15年)。この間、奈良県教育委員会委員・委員長、全国共済農協連合会副会長などを歴任。趣味は読書、野菜づくり、カメラ、小旅行。写真には県展入選、市展入賞作品も多い。

 梶井 昭和16年、東京農大卒と同時に産業組合中央会に勤められたのは何か特別な思いがあったからですか。

 吉村 村長を辞めて村の産業組合をつくった父の姿に影響を受けたのです。父は自費で土地を買い、それを産業組合に寄付して事務所用地とし、自ら組合長を務めました。因みに、祖父は明治時代に信用組合をつくっています。村には家庭配置薬の行商人がたくさんいたので、その資金ぐりを助けたのです。

 中川 そうすると現在はご長男が全農職員ですから、すでに4代にわたり組合の仕事を続けていることになるわけですね。

 吉村 しかし残念ながら5代目には引き継がれません。孫が東大法学部在学中に司法試験を通り、現在修習中だからです。今後は別の世界での孫の活動を新しい楽しみにしています。

 梶井 農大に入られた頃の学長は佐藤寛次先生でしたが、佐藤先生の産業組合論の講義は聴かれましたか。

 吉村 大学で佐藤寛次学長から産業組合論を学び、その上、学長の紹介状をもらって中央会の試験を受けてパスしました。

 梶井 産組は18年に農会と統合して中央農業会となり、統制団体になってしまったというのが通説ですが、内部におられた吉村さんの感じはいかがでしたか。

 吉村 中央農業会では農会との主導権争いに負けた産組系が“クーデター人事”で地方へ飛ばされ、私も近畿支所勤務になりました。当時は農業団体も戦争に協力せざるを得ないという重いテーマが出ていました。

 梶井 産組拡充5カ年計画(昭和8年)の中で部落実行組合を産組に団体加入させました。経済更生運動の一環であったのですが、それを戦後の農協法にも取り込んで実行組合を農協の下部機構にしようと小倉武一さんは立案過程でGHQ(連合軍総司令部)と粘り強く折衝しました。
 その発想は、中央農業会に合体後も産組系の人たちががんばってやっていたから出てきたのかなと私は考えていたが、そうではなかったのですか。小倉案は結局GHQの反対で実現しませんでしたが。

梶井功名誉教授
梶井功名誉教授

◆再建整備に取組む

 吉村 実行組合のことは議論されていましたが、若い私らはそれに参加していません。
 戦後、私は全販連大阪支所に移りましたが、やがて要請を受けて奈良県経済連に転職し、29年から県連参事として再建整備促進に取り組みました。

 梶井 その頃連合会整備促進法ができ、今の系統経済事業の3原則ができ上がるわけですね。

 吉村 当初は無条件委託の導入で「値を決めずに商品を渡すようなそんなバカな取引があるか」との抵抗を受けました。
 また代金決済の自動引き落とし導入でも、単協には例えば信連から借りた肥料代を経済連にしばらく払わず、それをほかの事業に使えば得だなどという考え方があったため、「売掛金を金融にするな」と大激論をたたかわせたりしました。
 しかし結局は理解を得て、経済連の増資や不稼動資産の処分、人員整理なども含めた整備促進を5年6カ月で完了しました。計画期間の9年8カ月を大幅に短縮したわけです。
 単協役職員との論争を重ねましたが、夜もまた酒を酌み交わし、腹を割った徹底的な話し合いで信頼を築いたことがよかったと今も思っています。おかげで自腹もたくさん切りました。

 中川 私は当時、全販連にいましたが、真っ向から論陣を張ってくる迫力にたじたじだった記憶があります。

 吉村 忘れられないのは竹村奈良一県連会長が全面的に私を支援してくれたことです。
 竹村さんは戦前、小作争議なんかで全国を走り回った旧労農党グループの闘士で全中会長だった宮脇朝男さんの仲間です。
 すっきりした農協理論の持ち主で初代の県5連共通会長となり、私はその下で36年から経済連専務を務めました。私の提案に「よし、お前やれ。おれがしりを拭く」とよくいわれました。

◆流通改革を進める

 梶井 吉村さんのお仕事では県連事業としての大和茶づくりを私どもも聞いています。それについてお話下さい。

 吉村 茶の産地は県北東部と吉野川流域ですが、45年に全国でも初めての広域茶流通センターを都祁村(現在奈良市)につくって流通を一本化し、今は集荷率が90%を超えています。
 茶の取引は代金清算が年1回、現金支払いは2割引きといった具合に封建的だったので私はこれを何とか改善したいと考え、流通近代化を図りました。
 補助事業の対象を行政区域単位から広域施設にも広げるよう法改正を働きかけたりもしました。そうしたことも含めてセンター開設までには数々の曲折がありました。
 センターの施設は低温倉庫、入札取引所、加工処理場などです。生産者は茶を出荷し、入札にかける、農協は落札業者名義で茶を預かり、倉庫に入れ、手形を受け取る、その金額から金利を引いた代金が生産者に支払われるという仕組みです。
 農家はほぼ現金払いの形で、しかも2割引きをされずに代金が入るため大喜びです。低温倉庫は担保商品の格納庫ともいえますが、そうした私の発想のもとはお米の倉荷証券でした。

 中川 将来を見通した大変な流通改革でしたね。いろんな課題と精力的に取り組まれましたね。

 吉村 さらに品質向上を追求しました。県産ブランド名を大和茶に統一し、全国品評会を奈良に誘致して農水大臣賞を受け、51年には室生寺の近くに「大和茶発祥伝承地」という碑を建立しました。弘法大師が唐から持ち帰った薬用茶の種子を弟子がその地にまいて栽培したという伝承によります。

 梶井 パールライスというのは全農が作ったとばかり私は思っていましたが、実は吉村さんの命名だと今回初めて知りました。

◆パールライス命名

 吉村 奈良県連は全国に先駆けて39年に大型精米工場を建設し、集中精米事業を始めるとともに白い米が引き立つ小袋につける愛称を公募しましたが、良い応募作がありません。そこで私がパールライスという名称を考え、みんなの大賛成を得たため結局これに決まりました。
 私は農協のお米のイメージを高めたいと願って命名しましたが、その後、この名称を使いたいという府県連が増えました。

 中川 当時は米屋さんがそれぞれ精米し、有り合わせの袋を使っていました。統一のビニール袋を使用したのは奈良県連が最初ではなかったかと思います。

 吉村 そんなことで販売事業の米取り扱い量は奈良県連が全国一でした。事業を始めて10年目の49年に、全農から全国統一ブランドとして名称を譲ってほしいとの申し出があり、思案の結果、系統事業の拡大に役立つならばと、これに応じました。

 中川 その時の全農の担当課長が私でした。

 吉村 私にとってパールライスというのはわが子であって、今もたまたま地方に旅してパールライスの看板を見かけると「お前もこんな所でがんばっているのか、これからも達者でなぁ…」と声をかけたくなります。

 梶井 そうだったのですか。ところでプロパンガスの供給事業を始めたのはいつからですか。

 吉村 37年からです。薪炭よりも安くて良い燃料だから将来は家庭用として伸びると先を読みました。原価計算をすると10キロ入り600円でできるのに一般は800円で売っていました。早く農家に普及させたほうが良いとして600円で発売したところ新聞が「農協のプロパン戦争」などと書き、それが宣伝になって普及が進み、今も県下の農家の8割は農協のガスを使っています。
 この事業も全農より先発だったので全国から視察や研修がたくさんきました。
 いろいろな事業をやってきましたが、農家は何を欲しがっているか、何がこれから必要か、そのために何をなすべきか、を考えたらよいと思います。事業分量を増やそうとするような立場からの発想ではだめです。

 梶井 農協観光事業も全国で初めて実施したのですね。

 吉村 33年から始めました。知り合いの農協組合長が旅行貯金をつくり、金利分で旅行にいく事業を始めていましたが、企画は旅行業者任せでした。
 私はそれをにらみ、企画も旅館との交渉も自らがやってコストを追求すれば観光事業も有望な商品になると考え、県知事の認可を取って県連としての観光事業をいち早く始めました。

 中川 これもまた奈良県連の多彩で意欲的な事業展開の1つだったと思います。

◆元教育委員として

 梶井 最後に吉村さんは県教育委員会の委員と委員長を計6年8カ月務められましたが、その関係で何かご意見があればお聞かせ下さい。

 吉村 教育環境をもっと良くしなければいけませんね。異常な犯罪の多発などを見ると、家庭教育、両親の教育、親子関係を見直す必要があります。生みっ放しではだめです。その意味で教育基本法の問題では、愛国心なんかよりも、教育環境をもっと深く考え直す議論を尽くすべきです。

◆家庭教育を考える

 梶井 親子がそろって夕食を食べる家庭は東京では29%でしかないが、ニューヨークで40%、パリでは60%という東京ガスの調査(90年)がありますが、そういった環境から考え直す必要があります。
 農協の組合員教育にしても農協法の01年改正で「教育」の条項がすっぽり抜け落ちちゃいました。そういう環境です。

 吉村 産業組合でも組合員教育がありました。組織の原点は教育ですからね。
 それから今は政治のほうも経済政策にばかりとらわれて効率性などがいわれています。農協が経済合理主義の旗頭になるようではいけません。農協はもっと後ろへ戻っても構わないと思います。守旧派といわれてもいいじゃありませんか。人間存在の基本を忘れてはだめだと思います。
 宗教にしても経済的な神仏、宗教と称する事業になってしまっています。カネもうけや病気をなおすだけの神様、仏様ではいけません。人間本来のあり方を教えて下さいとお願いできる神仏であるべきですね。
 話は戻りますが、私は人に喜ばれる仕事をしている父の背中を見て育ちました。なんといっても家庭教育が大事だと思っています。

インタビューを終えて

 米の倉荷証券から想を得た広域流通センターを核にしてのお茶の手形決済、JA精米販売の先頭を切ったパールライス事業、また燃料改革の到来を見越してのプロパンガス事業等々。吉村さんはJA流通革命の旗手だった。
 その吉村さんが、“農家は何を欲しがっているか、何がこれから必要か、そのために何をなすべきか”をJAは考えろと言われている。“事業分量を増やそうとする立場からの発想ではだめ”“農協が経済合理主義の旗頭になるようではいけません”と注意される。
 三代にわたっての協同組合運動を踏まえ、“人に喜ばれる仕事をしている父の背中を見て育った”ことに誇りをもっておられる人の発言である。「新たな事業方式の確立等競争力ある事業の展開と万全な経営の確立」を目指す第24回JA全国大会組織協議案の検討が始まっているが、JA役職員はむろんとして、組合員もこの大先達の言葉はよくよくかみしめながら協議案を見てほしいと思う。
(梶井)

吉村さんの作品『明日香の残照』16年5月下旬、明日香村で撮影。遠景の山は畝傍山
吉村さんの作品『明日香の残照』
16年5月下旬、明日香村で撮影。遠景の山は畝傍山

産業組合の灯籠が橿原神宮の参道に
歴史は何を物語る?

橿原神宮参道にある産業組合寄贈の石灯籠。右から吉村氏、梶井氏、中川氏
橿原神宮参道にある産業組合寄贈の石灯籠。
右から吉村氏、梶井氏、中川氏

 農協の前身である産業組合の名を刻んだ一対の大きな石灯籠が奈良の橿原神宮にある。広い参道の両側にひときわ高くそびえているが、台石の側面にある「全国産業組合員一同」の奉納者名に気付く人は少ない。
 神社や寺への団体寄付はたいてい上層部の判断で支出するため会社名や組織名だけを掲げた奉納物が多い。ところが、この灯籠には組合名ではなく「組合員一同」の文字が刻まれている。組合員個々の自発的な浄財拠出を強調したようで意味深い。
 寄贈は昭和15年。その7年前から産業組合は拡充計画を進めて販売・購買事業を強化し、全戸加入運動を成功させた。「組合員一同」の記名にはどこか協同組合としての自信や自主性さえ感じさせる。
 飛鳥古京に接する神域には、こんな農協前史のモニュメントもあるのだ。16年に産業組合中央会に入った吉村宗一郎さんにはまた格別の想いがあり、奈良県5農協連会長時代は、協同組合の歴史を語る時、この石灯籠を1つの話題に温故知新を説いたこともあったという。
 15年といえば大政翼賛会ができた年。ファシズムの嵐が吹き荒れて翌16年には太平洋戦争が始まり、産業組合も18年には農業会に統合されて、なくなった。そうした歴史の風雪を経てきた石灯籠は現代のJAに何を問いかけているのだろうか。
 〈注〉橿原神宮は奈良県橿原市。祭神は神武天皇。記紀神話による紀元二千六百年の昭和15年に全国からの勤労奉仕で大整備が行われ、産業組合員一同もこの時に献灯した。

(2006.7.6)



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