農業協同組合新聞 JACOM
   

シリーズ 時論的随想 −21世紀の農政にもの申す
日本経済の高コスト構造全体に迫れ
食料供給コスト縮減の視点
梶井功 東京農工大学名誉教授


 日本の経済社会全体の構造改革が叫ばれ農業でも、戦後農政の大転換となる担い手に施策を集中させる新たな経営安定対策が導入されようとしている。新たな農政の推進、WTO交渉、JAグループの改革など、今後も課題は多いが、何が本質的に問われているか、持つべき視点は何か、を明確にした論議が望まれる。そこで本紙では今号から、戦後の農政改革にはじまり今日まで、長く農政研究と政策提言を続けてきた梶井功東京農工大名誉教授による「時論的随想−21世紀の農政にもの申す」の寄稿をお願いした。第1回は食料供給コスト縮減問題。検証の力点の置きどころはどこにあるのか―。(月1回掲載します)

◆「数値」目標に根拠はあるのか

梶井功 東京農工大学名誉教授
梶井功
東京農工大学名誉教授

 食料・農業・農村政策推進本部(本部長は小泉首相)が4月に決定した「21世紀新農政2006」のなかで、“食料供給コストを5年で2割削減する”目標が示された。
 “食料供給コストの縮減”そのものは、3月の経済財政諮問会議に、今後の農政の重点施策をまとめたものとして提出された「中川イニシアチブ」のなかでも言及されていたことではある。が、その際は数値目標などは入っていなかった。それが突如“5年で2割”というような数値目標を掲げるようになったのは、日本農業新聞の解説(06・6・17付同紙)によると、
“経済財政諮問会議などで、農業やJAへ風当たりが強く、危機感を感じた同省が改革への意気込みを表すため、経済政策では今や“はやり”となった数値目標を逆先手で設定したというのがもっぱらの見方。ただ、2割縮減の設定根拠が不十分なことも事実で、今後の対応には「正直悩ましい」(同省幹部)との弱音も漏れている”
ということだそうだ。
 “設定根拠が不十分”な数値目標での施策で何ができるんだよ、と茶化したくなるところだが、その“根拠”をはっきりさせようということで、農水省のなかに“有識者”による食料供給コスト縮減検証委員会が設置された。8月までには「食料供給コスト縮減アクションプラン」をとりまとめ、このプランに基づく施策実施状況やその成果をこれから毎年検証していくのだという。農業生産、農産物輸入、流通、加工、外食産業等々、食料供給コストには様々な分野が関係する。農水省の所管分野はその一部でしかない。まさに政府あげて取り組まなければならない問題領域である。そして多くの国民が関心を持っている問題である。だからこそ、首相を本部長とする政策推進本部が5年間にわたる課題として取り上げたのであろう。農水省“幹部”には“悩ましい”などといっていないで、各省の中心になって取り組んでもらいたい、と私なども思う。

図1−21 最終消費からみた飲食費の流れ

◆生産分野限定では不十分

 が、その検証委員会初会合で農水省が示した検討内容を見て、いささか唖然とした。第一に、当面は問題を農水省施策で対応可能な範囲に限定するというのである。こんな最初から他省庁の出方を伺うような態度でいいのか。
 今年の農業白書がこの問題に関連して、平成12年の“最終消費からみた飲食費の流れ”と題する図(白書の図I ―21)を掲げていたが、それによると“飲食費”の最終消費額80.3兆円のなかで、農水産生産段階での生産額は国内生産食用農水産物で12.1兆円、輸入農水産物中の生鮮品は3.2兆円である。農水産物としては輸入も含めて飲食費最終消費額の19.1%、国内生産に限れば15.1%でしかない。最終消費額の大宗51.7%を占めるのは食品加工である。その食品加工を後回しにするようなことでは最初からその取組み姿勢を疑われよう。また、輸入を合わせて15.3兆円の農水産物のうち“直接消費むけ”になるのは9.2兆円だが、その9.2兆円は最終消費段階では1.6倍の15.1兆円に膨らむ。この流通過程にどれくらい農水省施策は対応できるというのだろう。検証を農水省施策で対応可能な範囲で、というような及び腰では話にならない、としなければならない。
 なお、白書には、“飲食費の最終消費額における産業別の帰属割合を見ると農水産業が2年の25.3%から12年には19.1%に低下する一方、食品流通産業が12年には32.4%と全体の約3分の1を占めるまでに上昇している”という記述があるが、図I ―21から算出した前出19.1%とこの文章の19.1%が同じなのかどうか、わからない。原資料は同じ総務省他9府省庁「産業連関表」だから同じだろうと推察するのだが、こういう大事な数字について推察しなければならないような白書では困るし、同じだとすると輸入農水産物をも含めて、“産業別の帰属割合は…”という記述は問題ありとしなければならないだろう。

◆重要になる「中国」との比較

 白書にはこの問題に関連して、もう1つ“農産物や食料品の価格に影響を及ぼす諸要素の米国との比較”という興味深い表(表I ―8)があった。それによると、日本の“諸要素”の価格は、農地価格でアメリカの31.09倍、配合飼料で1.35倍、農薬1.33倍、ガソリン2.18倍、トラック運賃2.97倍、製造業賃金1.22倍となっている。高速道路料金にいたっては、アメリカは“ほとんど無料”なのに日本は大型車100km当たり3564円だという。
 生産者の手から消費者の口に届くまでに、輸送に頼らなくていいなどというのは、産地のごく近くに限られる。が、ガソリン代や高速料金、それらも含むであろうトラック運賃などは農水省所管外だから検証対象外だというのである。こんなことでいいのか、である。
 白書は比較対象としてはアメリカしかとっていない。が、今、輸入農産物との価格対比でコスト問題が論議されることが多いことからいって、もっとも問題になる中国との“諸要素”比較を検証委員会にはやってほしいと思う。ついでにいえば“外食”などには農地価格ではなく市街地価格のほうがはるかに問題になる。これらの“諸要素”の節減可能性の検討こそ、総理大臣が本部長になっているところに設けられた検証委員会にふさわしい課題だろう。
 第2に、当面重点をおいて検討するのは、(1)生産費の縮減、(2)流通経費の縮減、(3)集出荷や生産資材費の縮減の3分野であり、(3)ではJA、とくに全農の経済事業改革のあり方を検討課題にすると農水省は言っている。中心は農業生産面でのコスト節減追求になるというのである。

表1−8 農産物や食料品の価格に影響を及ぼす諸要素の米国との比較

◆検証の力点、どこにおくべきか

 コスト節減。それは農業経営者はもちろん、営農指導に当たっているJAとしても常に心がけなければならない課題であり、どこに問題があり、どういう縮減策があるかを客観的に検討してもらうことは確かに有意義なことである。しかし、さきに示したように、国内農水産生産額は最終飲食総額の15.1%を占めるにすぎない。さらに農業生産資材費は国内農業生産額の50%足らずだということからすると、(1)、(3)に重点をおいた検討というのは食料供給コスト全体の7〜8%ぐらいのところを問題にしようとしているにすぎないことを指摘しておかなければならない。
 検証の力点の置きどころが問題の核心に迫っているとはとても思えないのである。“農産物や食料品の価格に影響を及ぼす諸要素”に見る高コストは、まさしく日本経済の構造的特質がもたらしている高コストだとしなければならない。それを問題にすることこそ、重ねていうが、総理大臣を本部長にする委員会の仕事にふさわしい。であるのに、力点の置きどころを変えているのである。スケープゴートをJA・全農経済事業改革に求めるつもりかと勘ぐりたくなる。こんなことでいいのか。
 最後に希望を1つ。改訂「基本計画」を論議しているとき、農水省は作付規模増大とともに一貫してコストが低下していることを示す“水稲の作付規模別生産コスト”なる図を討議資料として提出していた(04・11・9企画部会提出資料)。10〜15ha、15ha以上だとコストは反転していくのに、10ha以上で切って、一貫して低下していくと錯覚するような図を作っていたのである。委員会は“担い手による生産の効率化”も検討課題にすることになっているが、今いったような資料をつくっての議論だけはやめてほしい。

(2006.7.14)


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