農業協同組合新聞 JACOM
   

シリーズ シリーズ:時論的随想 ―21世紀の農政にもの申す(8)

集中化路線の早期転換こそ「哲学」にふさわしい

梶井 功 東京農工大学名誉教授



 前回及び前々回の本欄で、日豪EPA/FTA交渉入りにGOサインを出した両政府共同研究報告書が、日豪の“EPA/FTAは、…世界的に食糧供給不足が生じた場合を含め、日本が食糧安全保障の目的を実現することに資する”と書いていることを問題にした。他国に食料安全保障を委ねることなど論外としてきたのが従来の農水省の“哲学”だったことからすると、こういうことを書いている両政府共同研究報告書に農水省も合意したということは、農水省は“哲学”を変えたと思わざるを得ず、そういうことならこれまでの“哲学”に基づいている“現行基本法の是非を問い、その改定をしてからにしてほしい”と考えたからである。
 が、それは私の思い過ごしだったようだ。開始決定後の2月26日に発表された「国境措置を撤廃した場合の国内農業等への影響(試算)」及びその試算を含む「国内農業の体質強化に向けて」と題した農水省作成の文書を見る限りでは、農水省は“哲学”を変えたとまではいえないと思われる。一安心した。
 試算はまず国内農業への決定的なダメージを数字で示す。対オーストラリアEPAで仮に「国境措置の撤廃」を約束すれば――オーストラリアは、これまでアメリカ、タイ、シンガポール、ニュージーランドとFTAを締結しているが、例外を認めたのはアメリカとの砂糖のみ――それは対オーストラリアにとどまらなくなることを、当然想定しておかなければならない。それで、試算は“我が国が、すべての国に対して、すべての農産物及び農産加工品・加工食品等…の関税をはじめとする国境措置を撤廃する”ことを“前提”にして算定されているが、その試算によると“国境措置の撤廃により、国内市場に価格の安い外国産の農産物が大量に流入、それにより、多くの農産物が大幅に市場シェアを失い、国内生産が縮小。最終的に、約3兆6000億円、現在の農業産出額…の約42%に相当する国内生産額が減少”“関連する農産物加工品”で“2兆1000億円の生産減”が生じ、それに加え“生産資材、飼料、農業機械等の製造業、運送業など幅広い産業に影響が波及”し、“GDP全体の約1.8%に当たる9兆円の総生産が減少”“全就業者の5.5%に相当する約375万人分の就業機会を喪失”する。当然ながら食料自給率は大幅に低下し、現在のカロリー自給率40%が12%になる、としている。

◆高まる自給強化を求める声

 日本農業の崩壊というべき大変な試算である。数字はともかくとして、そうなるだろうと多くの人が惧れていた結果が示されたわけだが、“食料安全保障の確保のために「国内生産に頼ることがベストではない」という声も上がっている”(2・27日本農業新聞)という経済財政諮問会議作業部会のメンバーにとっては、12%など問題にする必要はないということなのであろう。が、それは国民の声ではない。
 現状の40%ですら不安、“外国産より高くても、食料は、生産コストを引き下げながら、できるかぎり国内で作った方がよい”とする者、“…米などの主食となる食料については、生産コストを引き下げながら、国内で作る方がよい”とする者、合わせて86.5%を占め、“外国産の方が安い食料については輸入する方がよい”とする者は僅かに7.8%でしかない(2006内閣府「食料・農業・農村に関する調査」)。それが国民の声なのであり、この国民の声は、1993年の同じ世論調査では前者が77.4%、後者が17.4%という結果だったことが示すように、近年ほど“国内で作った方がよい”とする者が増えている。地球温暖化が食料危機を必至にするといわれているなかでは、食料自給強化を求める声は強まることはあっても弱まることはないとしていい。
 「国内農業の体質強化に向けて」が、この国民の声に応える農政でなければならないとしているのは当然のこととして、今回、私が特に注目したのは、国内農業崩壊が食料不安をもたらすばかりではなく、“農業生産が維持されることによって発揮されてきた国土、自然環境の保全等の多面的機能や不測時にも国民に食糧を生産・供給する力(食糧供給力)が大きく低下。これらは、一度失われると再び回復させることが困難”であることを指摘し、“国境措置の撤廃の是非は、我が国の食糧安定供給や農業のあり方に止まらず、この国のかたち、日本人の生き方そのものに大きく関わる問題”であることに注意を喚起していることである。“国のかたち”にかかわるとした一句は“美しい国づくり”を掲げられている首相を意識しての一句かもしれないが、問題の本質を端的に表現した一句とすべきだろう。“哲学”は堅持されているとしていい。

◆非「担い手」農家にも営農意欲を

 問題は具体的施策がその“哲学”に沿ったものとなっているかだが、この点に関連して、前回ふれた89年9月の「農業交渉グループにおけるステートメント」が、“潜在生産力を保持すること”を食料安全保障の基本的な措置として“選択し難い”とした理由を“実際の生産活動を通じて生産の技術や担い手、農用地、水資源、生産施設等の生産条件を常に良好な維持管理の下に置かない限り、不測の事態における生産力の維持が困難となり、かつ、ひとたび当該生産力の低下が起これば、これを短期的に回復、向上させることは容易ではない”のが農業の特性だからだとしていたことを追記しておこう。今年から始まった“国内農業の体質強化に向けた農政改革”は、“担い手への施策の集中化・重点化”を売り物にしているが、それで本当に“実際の生産活動を通じて…生産条件を常に良好な維持管理の下に置”けるのか、が問われなければならない。
 気になる数字を1つあげておこう。耕地面積の推移を示したものである。耕地面積統計によると近年耕地面積減少率は低下している。本当なら歓迎すべきこととしていいだろう。が、センサスでは逆に減少率は急激に高まっている(下図、センサスの数字は2000年までは農家の経営耕地面積と農家以外の農業事業体が経営する耕地面積の計、05年は農業経営体の経営耕地面積と自給農家の経営耕地面積の計)。
 耕作放棄地面積が近年増えていることを行政は大いに問題にし、その対策として一般株式会社のリース方式による農業参入を容認し、今回の「国内農業の体質強化に向けて」の中でも“企業参入支援総合対策”に1ページを割いている。ほかには有効な耕作放棄地対策は見当たらないが、圧倒的多数を占める非担い手農家に対する施策を抜きにしては、耕作放棄地増は止らない。耕地面積統計の減少率低下は本当なのか――その減少率が基本計画が450万ha確保のために想定している率とほぼ同じなのが私は気になる――の吟味からはじめ、非担い手農家も営農に意欲を持てるようにする必要がある。
 “地域は、担い手経営者、兼業・高齢・ホビー農家、それを支援する住民が存在して初めて成り立つものだ”“効率一辺倒で走ってきた20世紀は終わりだ。競争の時代は、「排除」だが、これから多様な人、経営が共に生きていくことを考えなくてはいけない”と元農水事務次官・渡辺好明氏も言っている(2・23付全国農業新聞)。“担い手への施策の集中化・重点化”路線の早期の転換こそが国内農業重視の“哲学”にふさわしい。

耕地面積の推移

(2007.4.10)


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