農業協同組合新聞 JACOM
   

シリーズ 時論的随想 ―21世紀の農政にもの申す(10)

「事実」と「政策方向」にズレ―18年度白書

梶井 功 東京農工大学名誉教授



 発表されてから1ヶ月がたち、やや時期遅れの感もあるが、08年度「食料・農業・農村の動向」を取り上げる。
 「動向」は「食料・農業・農村白書」として市販されているが、それには“21世紀にふさわしい戦略産業を目指して”という副題がついている。国会への報告である「動向」には副題はないが、市販の「白書」には副題をつけるのがこのところ慣例になっており、前々年度は“新たな「食料・農業・農村基本計画」に基づく「攻めの農政」”、前年度は“「攻めの農政」の実現に向けた改革の加速化”という副題だった。その年の「白書」の主題が何かがこの副題に示されているとみていい。今年の副題から「攻めの農政」が消えたことは、農政が新たな課題にぶつかり、新たな対応が求められていることを示そうとしたのであろう。
 今年の「白書」の力点は、冒頭に置かれているトピックスに示されている。“(1)食料自給率向上の意義と効果”“(2)担い手への施策の集中化・重点化”“(3)農業・農村の新境地の開拓―バイオマスの利用の加速化と地球環境対策、農産物の輸出促進の動向”“(4)農村地域の活性化―農業の多面的機能と農村資源の保全・活用、都市と農村の共生・対流の促進、農業と農村地域の活性化を目指して”の4点だが、新たな対応が求められている課題として重視されているのは、世界の穀物期末在庫率がすでに“70年代前半と同様の低水準”になっているのに加えて、途上国での食料需要の一層の増大、エタノール需要の急増、地球温暖化による気象異常等で“世界の食料需給は中長期的にはひっ迫する可能性”が大きいということである。

◆食料需給のひっ迫を強調するが……

 この新たな課題に、農政はどう対応しようというのかこそが、私たちが一番知りたいことだが、白書が記述しているのは、40%のカロリー自給率を2010年までに45%に引き上げようという旧「基本計画」の目標年次を2015年に繰り延べたにすぎない現「基本計画」に基づく「自給率向上に向けた行動計画」の解説でしかない。
 低い期末穀物在庫率時代として白書が言及している70年代前半の73年、アメリカ国民の食卓を守るためにということで大豆の禁輸措置を受けたことを記憶している人も多いだろう。実をいうと問題は大豆だけではなかった。当時食糧庁長官だった中野和仁氏の回想によると、そのとき
  “中野…大阪の某団地で取付騒ぎがありそうだということを、その筋から連絡がありまして、すぐに大阪食糧事務所にいつでも、いくらでもコメを放出するよう命令した覚えがあります。
  あのときはコメだけでなくて、麦の国際価格が暴騰したでしょう。だけど食管制度下では全然売値を上げない。…普段なら輸入食糧勘定というのは数百億円の黒字ですが、あのときはたしか1年で1400億円くらい損したんですね。

  ――大阪の団地で取付騒ぎがあるというのは…

中野 石けん、砂糖、しょう油とワーッと値上がりし物がなくなって、コメもという噂がとびまして。当時はもちろん伏せておりました。が、今いったようなことです。”(「日本農業年報」第28集)
 そういうことをやれた食管制度はもうなくなった。「基本計画」には一応、“不測時の食料供給安定確保のためのマニュアルについて、国民に対する普及・啓発を行うとともに、国内外の食料の需給動向を踏まえ、毎年度の実効性を点検し、必要に応じ見直しを行う”と書かれてあり、確かに、たとえば“国民が最低限度必要とする熱量の供給が困難となるおそれのある極めて深刻な”レベル2になったら、“非食用作物等から熱量効率の高い作物への生産転換を内容とする食料確保計画を策定し、緊急実施の実施手順に規定する手段に準じて実施する”マニュアルはつくられている。が、“普及・啓発”を受けているはずの国民のどれだけがこのマニュアルの存在を知っているだろうか。“不測の事態に陥った”ときでも生産転換で“最低限必要な熱量を確保する”ことができるが、“食事の中身はいも類が増加します”というよりは、白書としてはまずはこのマニュアルの存在には言及しておくべきだったのではないか。

◆構造問題、もっと踏み込みを

 マニュアルの“実効性”で最も問題になるのは、生産転換を実行してくれる営農主体を確保できるのか、である。それに対する農政の答は、だからこそ品目横断的経営安定対策などの“担い手への施策の集中化・重点化”で“農業の体質強化”を図っているのだということなのであろう。白書も第II 章で、“体質強化”がどこまで進んでいるかについて様々な角度から分析し、販売農家数減少、耕作放棄地増大・耕地減少、農業従事者の高齢化進行など、体質弱化が進んでいる反面で、高販売額経営での常雇の増加、5ha以上農家数の増加、作業受託および借入地の5ha以上農家への集中など、体質強化に関連する重要な事実を明らかにしている。
 が、この問題にかかわっての白書の記述に対しては、“農政改革の初年度にもかかわらず、農業構造分析に深みがなく物足りない”と批判する向きもある(5・26付日本農業新聞「論説」)。重要な事実に注目はしていても、体質強化の観点からどうそれを評価しているのかが明確ではないからであろう。また、政策展開が、事実から導出されるべき政策方向とちがっているのに反省の弁がないからであろう、
 たとえば、農業センサスの組替集計で作る農業構造動態統計が初めて今年の白書に登場した。図II ―24「5.0ha以上農家の動態」がそれだが、5ha以上農家のなかから5年の間に20%以上が“5ha以上層から離脱”し、替わって離脱農家数に倍する数の農家が5ha以下層から“5ha以上層に加入”してくるという激しい動態の中で5ha以上層は増えてきている、というこの事実から、我々が考えなければならないことは、特定規模階層以上に所得安定対策を講ずることの危険性である。この点については、06・8・30本欄ですでに論じたし、同趣旨の論稿は拙著「小泉『構造改革農政』への危惧」(農林統計協会刊)にも収録してあるのでこれ以上はふれない。ご参照いただければ幸甚。問題は、白書にはそういう評価がないことである。
 事実から導出されるべき政策方向と施策のズレに関しては、“担い手への農地利用集積の阻害要因として、農地の貸し手は、借り手の不在や自分ができる限り作業を続けたい意向、資産として保有したい意向を、借り手は、農産物価格低下による営農意欲の減退やほ場条件の悪さを多くあげている”という調査結果に注目はしながら、政策としては、“農地政策の再構築に向けた検討が必要”と言っているにすぎないことをあげておくべきだろう。引用した調査結果は、貸し手と借り手も、農地政策は何も問題にしてないし、“営農意欲の減退”を防ぐのにどういう政策が必要なのかは、改めていうまでもない。
 最後に注文を1つ。“ドーハ開発アジェンタ”という言葉を紹介しながら、なんの解説もない。解説があれば、WTO交渉が今ストップ状態になっているのは、これまでの交渉が“開発アジェンタ”になっていないからだということが一般によく理解されただろうに、と思う。

(2007.7.3)


社団法人 農協協会
 
〒103-0013 東京都中央区日本橋人形町3-1-15 藤野ビル Tel. 03-3639-1121 Fax. 03-3639-1120 info@jacom.or.jp
Copyright ( C ) 2000-2004 Nokyokyokai All Rights Reserved. 当サイト上のすべてのコンテンツの無断転載を禁じます。