農業協同組合新聞 JACOM
   

シリーズ 田代洋一のなぜなぜ経済教室(3)
経営安定対策と集落営農


◆はじめに

 話題を変えたいと思っても焦眉の問題についつい目が行く。経営安定対策の受付が始まり、現地は追い込みに入った。しかしゲームのルールが見えない。税制の扱い、会計検査、対策の行方が見透せない。至るところに落とし穴が隠されているゲームの始まりかも知れない。
 「むら」には長い生産調整の下で培ってきた知恵や現実がある。それを同対策にのせるとなると数々の化粧直しが必要だ。化粧すればするほど素顔と化粧顔、内実と表面、本音と建て前がズレ、そこでまた落とし穴が増える。
 悲しいのは、なんでこんなことをしなければならないのか、その理由が農家の腑に落ちていないことだ。農政はWTOルールに従うため、という。農家は自給率向上に役立ちたいと願う。そのモチベーションやインセンティブを与えるのが政策本来のあり方だが、「バスに乗り遅れるな」の脅しが実態だ。

◆水田地帯は転作対応

 水田農業においては政策の実態は転作対応だ。農政の予算規模からしても、最大費目の政策パーツは産地づくり交付金であり、わずかながらもゲタ対策を上回る。
 転作対応の多くは地域ぐるみである。そこでは様々な主体が入り組んだ重層的なネットワークを仕組むことで柔軟・巧妙に対応している。その複雑で重層的な社会関係に、農政がいくら単一の個別経営的な発想を持ち込もうとしても、それはかなわない。そこで農政も生産調整組織の特例を設けたわけだが、依然として経営体にこだわるため、出荷名義や経理の一元化といった尾っぽを残す。その尾っぽが邪魔をする。

◆東北のある村で

 初秋、東北のある村を訪ねた。そこでは以前から、「むら」・大字の単位で転作組合が組織され、さらに旧村規模でその連合会が組織されている。組合・連合会は地域の転作を取りまとめ、その作業を受託組織等に委ねる。受託組織は少数担い手農家集団が多いが、一戸一法人や、複合経営地帯では多数農家が集まる場合もある。
 産地づくり交付金は転作組合を通じて地権者が受け取る。転作田に対する国家からの地代支払いがその経済的な本質である。水稲だったら自分で作れる水田を提供させるわけだから、その「地代」は稲作所得を機会所得とする水準に高められざるをえない。
 転作物は受託組織等が販売し、代金をポケットに入れる。麦作安定資金や大豆交付金も受託組織に帰属する。転作物収入が思わしくないところでは、転作作業料金を地権者・転作組合からもらう場合もある。

◆転作と米作は違う

 このケースでは、経営安定対策に比較的対応しやすい。受託組織が対象者要件をクリアして交付金を受け、地権者は産地づくり交付金を受け取るというものだ。
 そのポイントは稲作については対応を保留していることだ。前述のように長い生産調整のなかで転作については重層的な受委託関係ができあがってきた。そこでは農地の権利名義は別として、転作物の出荷名義を受託者側に渡すことの抵抗感は薄らいでいる。代償として産地づくり交付金という「高い」地代もある。
 しかし米作は違う。「田んぼの名義→米作り→米出荷名義」は、農家として「むら」に生きることの証だ。水稲を作れなくなったら致し方ないが、そうでない間は渡せない。渡しても稲作機会所得並みの高い地代がもらえるわけでもない。米の関税が引き下げられたり、米価暴落となれば、あるいは自家で耕作不能になれば再考せざるをえないが、それまでは保留しておこう。これが農家の知恵であり、「むら」の暗黙の合意だ。

◆問題も山積

 比較的取り組みやすいといっても、現実対応は「むら」ごとに異なり、実にさまざまなバリエーションがある。そしてそこには幾多の問題がある。主たる従事者の所得目標や法人化は先のことであり、五年先のことなど誰にも分からない。しかし経理一元化は今ただちにやらねばならない。とするとその事務を誰がやるかが問題だ。認定農業者個人とは違う煩雑さがあり、農協に委託すれば手数料を取られるかも知れない。
 麦・大豆には連作障害がつきまとい、ブロックローテーション等が欠かせないが、過去面積は固定されている。転作定着にとっては異質な論理が持ち込まれているのである。
 受託組織のメンバーは稲作のナラシの部分は個別経営(認定農業者)として受けることになるが、要件をクリアできない者もいる。政策対象から外れることに反発する農家が地域ぐるみ転作から離脱し、米を作ったり、加工米対応すれば、転作自体も危うくなる。それは米過剰として跳ね返り、全ての努力を無にする。

◆大規模なJA出資法人による対応

 報道によれば、JAが出資して法人を立ちあげ、個別経営として要件を満たせない、あるいは集落営農化も困難な農家が、集落単位等で法人に出資し、利用権を設定し、作業員として従事する、法人が受け取った諸交付金はメンバーに均霑(きんてん)するといった大規模法人化の仕組みが北陸等で模索されているようである。転作だけのものもあるが、稲作を含むものもある。農協が、零細・高齢な組合員農家のために知恵と力を振り絞っている姿には頭がさがる。
 この場合に、出資農家が協業を組めば一種の生産農業協同組合化といえる。他方で、本教室の初回にも指摘したように、地権者(構成員)が水管理・畔草刈り等の管理作業を実際に担う集落営農は多い。この大型組織の場合、管理作業にとどまらず機械作業まで地権者戻しだとすると、利用権設定と言ってもかなり形式的なものになり、たんなる交付金の受け皿づくり、「トンネル」といった批判を受ける可能性もある。
 しかし東北の村で見たように、稲作まで含めて利用権を設定し、出荷名義を引き渡すことは、農家にとってよくよくのことであり、それはそれで一つの線を乗り越えたことになる。その意味でたんなる「受け皿づくり」「トンネル」とする批判は当たらない。
 他方では、だからこそ名義にこだわり参加を躊躇する農家もありえよう。その場合には無理に稲作部分まで持ち込ませず、転作だけでも結構といった柔軟さが欠かせない。

◆北海道畑作地帯では

 東北から北海道に飛んで、十勝の畑作地帯を訪ねた。平野部のある地域では、認定農業者率90数%、交付金の額も大差なしという計算になった。後継者も確保され、離農も鈍化した。野放図な麦作連作的な拡大は落ち着いたが、なお規模拡大意欲は旺盛という。
 そこでも、過去面積支払いだけを受ける者が現れて生産意欲を阻害しないか、てん菜やでん粉用ばれいしょの需要見通しとの関連で、交付金がいつまで続くか等が悩みだ。「贅沢な悩みではないか」と言うと、苦笑しつつ農協系統等としてもバイオエタノールの開発等に真剣だという。
 農業技術センターの玄関脇に、「トレーラーに千個の南瓜と妻を積み霧に濡れつつ野をもどりきぬ」と時田則雄が大書したベニヤ板が飾られている。いい歌だ。
 しかし今やその妻も、トレーラーならぬいも掘り機の丈高い後部に座らされる時代。そんな嫁のなり手がいないのも、相変わらずの悩みだ。
 同じ十勝でも中山間地域では、基準面積に満たない農家や高齢農家が多く、集落営農による対応等が伝えられている。

◆何が政策の本質か

 品目横断的といっても、実際は、品目ごとの金額の積み上げでしかなく、極端な例では緑ゲタ、黄ゲタ、ナラシの交付金が別々に支払われる。WTOに表面だけ合わせた代物だが、そのために地域も農家も苦しむ。
 その本旨とするところが直接支払い政策だとすれば、それは農業構造改革が成った段階に採られるべき政策であることを十勝平野の事例は如実に示している。そこではほぼ全農業経営・農地を対象にすることができる。「直接支払政策を通じて農業構造改革を」などという現在の農政は、本末の転倒がはなはだしい。
 水田農業にあっては、それは現状では転作政策の補完物に過ぎないし、またそうあるべきだ。補完物というより阻害物の面が多いので、そこを地域の知恵でうまくクリアしつつ、産地づくり交付金ともども、地権者農家と実転作作業者との利害調整に役立てるしかない。そもそも転作政策として考えれば、こんな大がかりな政策転換は不要だった。これからは農業者・農業団体による生産調整の成否がカギとなる。そちらが天王山、農協の正念場だ。

◆多様な農業の共存

 中川前農水大臣がどんな妥協案を胸にWTO交渉に臨んだのかは知る由もないが、いざ米の関税引き下げという事態になれば、以上のような対応では済まない。
 地獄絵の世界にならないためにも、各国の「多様な農業の共存」という日本の国際的主張を裏付けるような農業政策が求められる。そして各国の農業はそれぞれの生態系・歴史・社会に埋め込まれている。経済だけでそれを仕切れると思うのは大間違いだ。本欄は「経済教室」と銘打っているが、経済(政策)の限界を知ることも経済学の要諦である。

(2006.10.25)


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