農業協同組合新聞 JACOM
   

シリーズ 田代洋一のなぜなぜ経済教室(4)
直接支払い政策の(非)経済学


◆直接支払い政策の登場

 前回とりあげた経営安定対策は大きくは「直接支払い政策」に属する。直接支払い政策とは、政府が、行政価格等を通じて間接的にではなく、直接に農家にカネを支払う政策である。
 社会的緊張が強まった20世紀、なかんずく戦後の冷戦体制期、なお国民の多数を占める農家層を低所得のまま据え置いたのでは国家体制が安定しない。そこで価格支持政策が必要になる。しかし外国から安い農産物が入ってきたのでは価格維持できないから、関税政策等の国境政策とペアになる。かくして国境政策と価格政策が20世紀農政の華だった。
 しかるに1970年代後半、「大きな政府」から「小さな政府」への転換が始まり、政府が価格を決めるのではなく、市場の自由競争に任せるべきということになった。さら1980年代後半からグローバリゼーションが本格化し、今度は価格は国際的な自由競争に任せるべきだとなった。こうして世紀末には国境政策と価格政策のペアが共に否定された。
 そのなかで唯一存在を許された農業政策が、後述する「デカップリング型直接支払い」である。それこそが21世紀農政の華というわけで、日本も遅ればせながら経営安定政策として取り組み出したわけである。

◆デカップリングへの道

 T.E.ジョスリン他『ガット農業交渉50年史』(農文協)によると、その発端は1958年のハーバラー報告である。同報告は農業保護の水準を国内価格が国際価格を上回る比率として捉え、関税だけでなく国内助成も貿易に影響を与え自由貿易を阻害するものとして俎上に乗せた。これでは輸入国は国産が多くなるほど農業保護率が自動的に高まることになる。
 このような思想がウルグアイラウンド開始時にOECD(経済協力開発機構)によって復活させられ、[国内価格と国際価格の差]×生産量と国内助成(財政支出)をプラスしたものを生産者補助相当額(PSE)とし、日米欧がその大半を占め、内外価格差の大きい日本はPSEのトップとされた。
 これを受けたWTO農業協定は、国境保護と国内助成を分け、後者を[行政価格と国際価格の差]×生産量と削減対象直接支払いの合計額(AMS、助成合計量)として捉え、その削減を打ち出した。AMSがPSEと違うのは、前者が、国内価格一般ではなく行政価格をとった点、直接支払いを削減対象と削減対象外に分けた点にある(後者が「デカップリング型直接支払い」)。
 日本はこの「行政価格」に目をつけ、米のそれを廃止することで、関税で高米価を維持しているにもかかわらず、AMSを大幅に減らし、「AMS概念の抜け穴」を作ったとして海外から非難されている(後藤康夫『現代農政の証言』農林統計協会)。WTO協定の文言には反していないが、精神に反するというわけである。このAMSの過大な削減が、一方では日本の農家を米価下落で悩ませ、他方ではアメリカ等の関税上限設定論に拍車をかけた。過ぎたるは及ばざるが如し。
 話を前に戻すと、要するにAMSの論理は、国境政策のみならず国内助成をも自由貿易を阻害するものとして削減の俎上に乗せる、その反射・代償としてデカップリング型直接支払いのみは削減対象外として一応は延命させる、というものである。

◆デカップリング型の直接支払い

 「デカップリング」とは、生産が増えれば所得が増えるといった、生産と所得のカップルを切り離すことである。WTO協定では、生産の形態(何をどう作るか)、生産量、生産要素(生産手段量)、価格等にリンクさせないことを「デカップリング」の要件として、それを満たす直接支払いを削減対象から外した。
 言い換えれば、それらとリンクした直接支払いは、生産を刺激し、貿易を歪曲するものとして削減対象にするわけである。一口で言えば「増産は御法度」。
 さらに言えば「市場のことは自由競争に任せろ。政策はいっさい市場に介入するな。どうしても政策が必要だというなら、市場経済の外でやれ」ということである。「市場経済の外」とは「外部経済」のことであり、多面的機能等がそれに当たる。かくして農業の多面的機能に着目して、それへの支払いとしてデカップリング型直接支払いが合理化された。
 しかし生産に一切影響しない政府助成などありえない。アメリカも直接固定支払いを導入したが、それでは価格下落に対応できず、不足払いを復活させている。WTO協定は、「いかなる生産を行うことも要求されてはならない」ことをデカップリングの要件にしているが、EUは土地を良好な農業的・環境的条件に維持すること、すなわち農業生産することを義務づけている。

◆輸出国にとっては輸出補助金

 直接支払い政策は、生産中立的でないばかりか、極めて市場・貿易歪曲的である。すなわちそれは自由貿易、国際価格を前提するが、国際価格では先進輸出大国(地域)の生産者といえども採算がとれない。そこで生産を成り立たせるためには生産費との差額の補てんが必要になる。その補てんの一つの形態が直接支払いなのである。金額的にピタリ一致しなくても、その本質的機能は国内生産費と国際価格の差の補てんである。
 それは輸出国にとっては、高い国内生産費に基づく価格を直接支払いで国際価格までディスカウントして輸出可能にする輸出補助金に他ならない。WTOパネルでも、本紙10月20日号の「農協時論」欄で鈴木宣弘氏が詳述しているように、アメリカの綿花、EUの砂糖に対する直接支払いが他の輸出国の利益を侵害するもの、あるいは実質輸出補助金に認定されるに至っている。この例に限らず国際価格との差額を何らかの形で埋める輸出国の直接支払いは実質的な輸出補助金に他ならない。

◆日本にとってデカップリングとは

 では日本のような純輸入国にとって「生産を刺激しない」直接支払い政策とは何か。政策増産による自給率向上効果をもたせないということだ。
 要するにデカップリング型直接支払いしか認めないということは、生産・貿易中立的というウソの口実で、輸入国の自給率向上政策を厳しく制限し、アメリカ・EUといった財政力のある輸出大国がより多く輸出するための極めて輸出国本意の政策である。泣くのは純輸入国と輸出補助金を付ける余裕のない途上輸出国である。
 新基本法で「国内の農業生産の増大を図ることを基本」とした日本は、このような自給率向上否定的なデカップリング型直接支払いを認められるわけがない。なのに経営安定対策として採用した。「国際規律の強化」を口実に、支払いを担い手に限定することで農林予算の削減と農業構造改革を追求しようとする、相変わらずの外圧利用の農政かも知れない。そのツケは米価の暴落となって農家を直撃している。そしてデカップリングの下では増産は禁句だから、自給率向上のためには消費を減らすしか手がない。そこで「食い改め」を推奨する食育が盛んというわけだ。

◆直接支払い政策の非経済学

 消費者負担型の価格政策よりも、財政負担型の直接支払いの方が透明度が高く、農業者の純手取りは高いという。直接支払いは税金から支払われるので、税が累進的であれば金持ちがよけいに負担することになるかも知れない。しかし今や消費税の大幅引き上げ等が画策されている日本では、税は貧乏人から多く取る逆進性を増すばかりである。そして、財政負担といっても税金を負担するのは消費者であり、その点で消費者負担型と大差ない。
 価格政策となれば、農産物の生産費や購買力、需給関係等を反映せざるをえない。その意味で経済学的だが、直接支払い政策は支払い対象や支払額を政府が裁量的に決めることになる。そこに客観的・経済学的な根拠はなく、非経済学的である。

◆直接支払い政策の行方

 のみならずその継続にも客観性がない。先の後藤著によれば、ヨーロッパの学界では直接支払いの期間を限定し、その間の額を確定したうえで証券化する構想が出ているそうである。期間中に証券を売るなりして身の振り方を決めろと言うわけである。後藤氏は、そこに維新政府の秩禄処分、「旧氏族への手切れ金」を見ている。
 直接支払い政策は、当面は農業生産に付随する多面的機能に着目した政策だが、いずれは農業を素通りしてストレートに農村・環境に働きかける政策に純化していく可能性が高い。その意味では21世紀の農業政策の切り札どころか、農業政策の消滅を前に狂い咲くあだ花である。
 しかしそれもこれも世界の農産物過剰が続く限りでのことであり、世界食料需給の逼迫が懸念される状況下では、いずれ増産政策が復活する。その時に泣きを見ないために今どうすればよいのか。不毛のデカップリング政策にうつつを抜かしたり、農業構造改革に利用しようとするのではなく、「多様な農業の共存」、食料自給率の向上、それらを国際的に担保する食料主権の相互尊重のために何をなすべきかを考えるべきだ。
 最近は直接支払いに関連した出版物が多いが、先のジョスリン他と後藤の二著は、私見とは異なるが最も示唆的である。後藤は農水省が生んだ数少ないエコノミスト。前著の訳者はウルグアイラウンドのタフネゴシエーター・塩飽二郎。ともに大著だが読みやすい。

(2006.11.7)


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