農業協同組合新聞 JACOM
   

風向計
医療課題の回答は“信州の赤ひげ”が示唆
JA長野厚生連 佐久総合病院名誉院長 松島松翠氏に聞く
聞き手:原田康本紙論説委員

 医療費抑制のもと、医療崩壊が進む中でJA長野厚生連佐久総合病院の存在がひときわ光彩を放っている。農民、地域住民とともに歩んできた同院の軌跡は地域医療の再生という今日の課題に貴重な回答を出しているともいえる。五十年間院長を務めて“信州の赤ひげ”ともいわれた若月俊一氏の一周忌をひかえ、名誉院長の松島氏に若月氏の業績や苦闘をたどってもらい、地域医療の今後を考えてみた。聞き手は原田康本紙論説委員。

JA長野厚生連 佐久総合病院名誉院長 松島松翠氏
まつしま・しょうすい
昭和3年4月神奈川県生まれ。東京大学医学部卒。外科医として佐久病院に赴任。院長などを経て現在名誉院長。
◆芝居つき出張診療

 ――松島先生はどういういきさつで佐久病院へ来られたのですか。農村医療の原点を問う意味からも当時のお話からお願いします。

 「東大付属病院からの派遣で昭和29年に赴任しました。当時は2年間ほどの交代派遣でしたが、私の場合は居ついちゃったのです。外科手術の経験を積める条件があったことなどからです」

 ――終戦後の当時の佐久病院はどんな状況でしたか。

 「木造で病室には障子や畳のベッドがありましたね。廊下にはコンロが並び、患者の付き添いが食事をつくっていました。食糧難で患者給食も困難な時期でした」

 
  ――院長だった若月先生は、病気でも我慢して医師にかからない農民の「潜在疾病」をなくすために「出張診療」を始められ大変な評判となったとのことですが、どのような方法をとられたのですか。

 「例えば虫垂炎や胃かいようにしても、腹膜炎を起こしてから病院へ来る人が多かった、そこで患者が来るのを待っているだけでは手遅れになることも多い、早期発見に努めなければと終戦直後の20年12月から各集落に出向く巡回診療を始めたのです」
 「診療後に住民を集めて衛生講話をし、また芝居もやりました。予防医学の内容などを面白おかしく劇に仕組んでわかりやすくしたのです。テレビやビデオのない時代ですから子どもたちも集まってきて大入りでした」
 「医師や看護婦たちが役者に早変わりしましてね。脚本はほとんど若月先生が書きました。運動家であり、教養人である先生の活躍は非常に多面的でした。私はといえば一夜漬けの練習で劇や歌のアコーディオン伴奏をやらされたりもしましたよ」
 「芝居の後は村人と車座になって語り合い、一杯やりました。先生はそれを重要視しました」

◆病人と社会を診よ

 ――医者は病気を診るだけでなく病人を診よ、そこから社会が見えてくる、というのが若月先生の考え方でした。

 「先生は『農民のために』という病院のスローガンを後に『農民とともに』と改めました。そのほうが患者も医者も一緒に運動していこうという一体感が強まるからです。『住民とともに』とも置き換えられます」
 「それから運動は面白くないと発展しにくいともおっしゃっていました。素人芝居にしても観衆だけでなく演者も楽しんでいるんですよ。苦労はするけど…」

 ――当時は医師が患者の所へ出ていく出張診療には反発とか中傷もあったと思います。

 「武見太郎会長時代の日本医師会には『なぜ医者が“出前”をするのか』『やめさせるべきだ』などの意見が出ましたが、それだけの議論にとどまりました」

 ――試練を乗り越えて佐久病院が発展してきたのは住民の強い支持があったからこそです。

 「医療は住民とともにあるということを基本に住民の要望に1つ1つ応えて体制を整備しているうちに大病院になりました」
 「若月先生の原理には『センチメンタルヒューマニズム』というのがあります。単なる感傷ではなく、広く人間感情をとらえた大脳生理学や大衆心理学にも通じる言葉です。人間は理屈だけでは動きません。心の通じ合いが運動の基本になるという考え方です。亡くなられる前には、それは究極的には『愛』であると、強調されておりました」

 ――出張診療の現状はいかがですか。

 「昔はほぼ全職員が交代で出張診療班を編成していましたが、今は基準看護制などになって規則が厳しくなったため健康管理部という部門の専任スタッフで巡回健診に回ることが多くなりました。若い医者の中には巡回健診をしていると専門的な勉強や技術が遅れちゃうといって出たがらない人もいます」

◆“何でも屋”が必要

 ――対策はどうですか。

 「大学は専門分科に対応する教育が中心で、第一線医療(プライマリ・ケア)に必要な教育をやっていません。どの医者でもカゼ引きの治療ができるとは限らないわけです。地域医療の推進をいうなら“何でも屋”の医者を育てなければいけません」

 ――特定症例以外は『わからない』というお医者さんでは困ります。救急医療のたらい回しも医師の教育の仕方にも問題があるのですね。

 「だから若月先生は30数年前に農村医科大学をつくろうと提唱し、農協全国大会でも建設を決議しましたが、田中角栄首相が難色を示し、立ち消えとなりました。左翼系の医師が増えると困るとでも思ったのでしょう」
 「その代わりというわけでもないけれど全国農村保健研修センターが52年、佐久病院の近くにできました。農山村で働く医師、保健婦、農協の生活指導員、栄養士などの再教育機関です。今はJA長野厚生連の運営です」

 ――佐久病院の研修医受け入れ状況はどうですか。

 「当院独自の後期コースも合計すると研修医は今、約50人いますが、もっと多い年もあります。大学の教育だけでは飽き足りないという意欲的な人たちが佐久へきています」

 ――教える側はどうですか。

 「農村医学とかプライマリ・ケアなどをきちんと理解している中堅医師が必要です。研修医からはそういう中堅も育ってきて、教える側に回っています」
 「もっと多くの医者を育てたいのですが、病院には財政的余裕がありません。昔のインターンと違って今の研修医は有給ですし、国の補助はごくわずかです。勤務医の少ない病院などでは研修医を即戦力とし、教育どころではないといった実情もあります」

◆反資本で助け合い

 ――医療の進歩とともに期待も過大となり、医事紛争が増えて、行き過ぎた患者の権利主張も見られますが、若月先生は58年にすでに『患者の権利と責任』を掲げました。医者から説明を受ける権利など当時としては画期的な項目が並んでいます。

 「日本で最初の権利宣言ともいわれています。昔は患者の権利なんて全くなく、たいていは泣き寝入りの状態でした。自己決定の権利など後から追加された項目もあります」

 ――また先生は協同組合についても例えば▽政治的に中立であれ▽権力に対して一定の距離を置け▽特定の権威と結びつくと内部から堕落する、とか数々の貴重な発言を遺しています。

 「農村が破壊され、食料自給率が下がり、農業が厳しい状況に陥っているのは資本のせいだ、協同組合は反資本で立ち上がって闘わないと、農業はほんとにだめになってしまうなどと、危機感を持って語っておられました」

 ――協同組合の基本は資本に対抗するところに意義があるなどとの指摘もされました。

 「協同組合は助け合い組織である、21世紀は協同の時代である、などの強調もありました」
 「一方で先生は病院経営を大事にして、赤字は絶対に出してはいけないという主義でした。経営が悪化すれば住民の要望に応えられないし、思ったことができなくなるというのです」

 ――公立病院はたいてい赤字でしょう。こんな時代に黒字を続けるには大変な努力がいります。

 「だから、みんなよく働いていると思います」

 ――最後に「若月俊一の遺言」という本の編集長を務められた感想をひとこと。

 「先生の実践の哲学を世に問いたいという思いからです。一周忌を過ぎると記憶の風化も進むので、まとめを急ぎました」

若月俊一氏
平成18年8月没。96歳。JA長野厚生連佐久総合病院名誉総長。昭和20年3月、東京大学付属病院分院から長野県臼田町(現佐久市臼田)の佐久病院に外科医として赴任。50年にわたり農村医学を実践し、それを世界的なものにまで高めた。予防と健康管理を実践して地域医療に新しい1頁を切り開いた。51年にはアジアのノーベル賞といわれるマグサイサイ賞を受賞した。今年7月に家の光協会から若月氏の小論文や対談をまとめた「若月俊一の遺言」が出版された。現在、同院の規模は分院や老健等を含めて1200床。医師数約200人。


インタビューを終えて

 若月俊一先生の考え方、行動の基本は「ヒューマニズム」であるが、恥ずかしいので「センチメンタル・ヒューマニズム」と呼んでおられた。
 長野県の佐久総合病院は農村医療から地域医療へ、更に地域社会の拠点病院として“医療崩壊”に対する回答を実践されている。病院で働く医師、看護士、職員の皆さん全員が献身的な努力をされ、地域の人達が支え、地元や県行政もサポートをする、という姿である。
 若月先生と共にゼロから現在の佐久病院を築き上げられた松島先生に歴史と現在の姿をお話しいただいた。過去も現在も佐久総合病院では救急患者のたらい回しは決してしない、365日24時間の体制を作っているそれが地域の医療で最も必要なことだ、との哲学である。この体制を維持することは並大抵のことではないが、それが出来ているのが佐久総合病院である。(原田)

(2007.7.18)


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