農業協同組合新聞 JACOM
   


《書評》 今野 聰 (財)協同組合経営研究所元研究員

『自由民権の先駆者 森 藤右衛門』


            
佐藤治助 本体1,429円
            発行所:良書センター鶴岡書店 (電話)0235-23-7041
            発行日:2002年12月20日

自由民権の先駆者 森 藤右衛門

 山形県庄内地方には知り合いが多く、その農協運動の特異性から多く学んできた。なによりも庄内経済連という事業連合会があった。現在も全農庄内本部として存在している。何故県内に2つの全農系事業本部か。また、特異な生活協同組合共立社の本部が鶴岡市にある。しかも山形県全域に事業網を張り巡らしている不思議さ。
 本書は、協同組合研究の先輩から紹介された。だから読む動機は、この何故を解くヒントが欲しかった。回答は出ないが、興味深く、楽しく読めた。ただし歴史的事実関係はやや煩雑だ。これも考証にこだわっているから、許容範囲なのだろう。
 著者略歴によると、1922年、鶴岡市生まれ。中国から復員後、長く中学校教師をした。1981年退職。作品は『ワッパ一揆』、『野に生きる』など実に多い。現在サークル「地下水」同人。このサークル会員は、亡き詩人・真壁仁、先駆的有機農業者・星寛治氏他多彩で、山形県に深く根を下ろして活動している。
 さて本書の概要。明治初期、1873(明治6)年から78(明治11)年まで、「ワッパ騒動」という農民一揆が起きた。73年に地租改正が行われ、農民に金納が認められた。それなのに庄内地方(酒田県)では、従来どおり現物のコメだった。
 「酒田県はその年貢米を御用商人に売らせ、政府にはその金の中から税を納め、差引巨額の利をひとりじめにした。そして、その公金のほとんどは旧士族たちの授産のための私的事業松ヶ岡開墾につぎこんでいた」(はじめに)事実を知って、決起した農民の闘い。余分に納めた年貢が1人当たり「ワッパ」(木製の弁当箱)1杯ほどの配分になるという意味が込められている。蜂起に対し、刀を振りかざす旧藩士。これでは勝てない。裁判闘争に打って出る。酒田の酒造業者・森藤右衛門の登場である。
 裁判官・児島惟謙の判決は6万3千余円の下戻金で農民側の勝利。そこに県令三島通庸の登場。寄付を強要され、それが土木事業に使われた。森はここでも三島と対決。その後『両羽新聞』を発行するなど、自由民権運動に全力投球。1885(明治17)年には飽海酒田地区選出の県会議員となった。だが現職1年4カ月で急逝。44歳の若さだった。
 こういう闘いの指導者・森藤右衛門の一代記である。著者が取材に払ったエネルギーを随所にみる。上京して国に直訴。その間の出費を留守の妻宛てに書いた手紙など。森は次男で養子解消で実家に帰った後の闘いだった。実は亡き長男の実子が東京・共立商社の社員だったという。明治時代の最初の生協だ。ここに共立商社生協との奇縁も見える。
 現在も庄内では森評価は割れているらしい。反権力を貫いたからだと著者は言う。まあ、有名な石原完爾の評価も似たようなものだ。さらには、酒造業者自身が地主だし、巨大地主・本間家を含めて、庄内での地主の初期的土地取得など資産蓄積と収奪過程にも解説が欲しかった。
(2003.4.15)

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