農業協同組合新聞 JACOM
   


《書評》 (財)協同組合経営研究所元研究員 今野 聰
  簾内敬司 著
『獅子ケ森に降る雨』
  定価:2200円(税別)
発行所:平凡社 03-3818-0874
発行日:2004年3月10日
『獅子ケ森に降る雨』

 著者は、秋田県北の二ツ井町在住の作家である。そこは1993年に世界遺産に登録された白神山地の秋田県側の入り口。量産しない作品は新鮮であり辛辣であり、絶望から希望へのかすかなメッセージでもある。本紙でもお馴染みだ。
 さてこの作品、3つのパートから構成される。「I 絶滅の記憶」、「II 人間のくに、神の山」、「III 獅子ケ森に降る雨」。先ず「絶滅の記憶」。山形県の詩人・真壁仁から始まる。戦時中の詩集『青猪の歌』がある。農民であり、米検査員でもあった。「青猪」とはカモシカかイノシシか。鹿とは何か。秋田県には男鹿半島、鹿角などの地名がある。かつて鹿はいた。しかも佐竹藩には、大がかりな鹿狩りの記録がある。だが、今日全く生存しない。宮城県の金華山には鹿が生息する。オオカミは鹿によって生息できた。日本のオオカミは1900年頃絶滅したらしい。民俗学の柳田国男は岩手県「遠野物語」で生息を記録した。トキなど絶滅種に似た経過がある。しかも人々は記憶しない。
 次は「人間のくに、神の山」。ここから著者は異境にまで彷徨う。日本海をはさむ対岸の沿海州が登場する。かの黒澤明監督作品で記憶に残るソビエト映画「デルスウ・ウザーラ」。狩猟少数民族ナナイ族のデルスウ。原作者アルセーニエフは1907年頃、彼と会う。「カラスがいないと、ネズミがくる。ネズミがいないとアリがくる。タイガにはいろんなひとがいる」。なんという自然観であろうか。
 江戸末期の南部藩(岩手県)。三閉伊一揆はオオカミ退治に鉄砲を貸してくれと願い出た百姓が立ちあがったものだった。江戸末期には内側から「日本の門戸を激しく揺さぶ」ったあまたのひとがいた。
 第3が「獅子ケ森に降る雨」。1945年6月30日、秋田県花岡鉱山・鹿島組花岡出張所で強制連行された中国人1000人が蜂起に失敗し、そのうち300人ほどが、近くの獅子ケ森に逃げ延びた。標高わずか225メートルほどの山。「住民の前で、白昼に行われた惨劇」だった。高橋実医師が、この年11月現地に入り、克明に記録した。裁判で無罪になった生き残り中国人は、40年後謝罪と補償を要求。訴訟はゼネコン鹿島と2000年末和解した。一方ドイツは、ナチスのユダヤ民族抹殺補償に国と企業が共同で「記憶・責任・未来」という補償基金財団をつくった。日本国、鹿島に謝罪はもちろん、こうした基金もない。
 菅江真澄、網野善彦、フランクル、柳田国男、アルセーニエフだけではない。マタギ、一揆百姓など多くの証言が文章を支える。岩手県の「セキ・千三母子」の「天皇の赤子」物語は悲しい。しかも多くの無私の助け合いエピソードが、かすかな記憶の糸になって伝わる。こうした組み立てに、従来の民俗学にない生活者の呼吸を感じる。むろん反論もあろう。
 結論はこうだ。「生存の“絶滅”と“記憶”について考えなければならない責任は、生き物たちの側にあるのではなく、あくまで人類史の側にある」。重い課題である。  (2004.4.2)


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