農業協同組合新聞 JACOM
   


自著を語る  福岡伸一 青山学院大学化学・生命化学科教授
生物と無生物のあいだ
生物と無生物のあいだ
(講談社、2007年5月20日、777円)

福岡伸一 青山学院大学化学・生命科学科教授 


福岡伸一 青山学院大学化学・生命化学科教授

 この本の出発点は、なぜ、私が生命という現象に興味を持つに至ったのかというところから始まります。私は昆虫少年でした。蝶や甲虫を追い、その美しさや精妙さに魅了されました。
 その延長で、私は京都大学の農学部に入学しました。大学に入りたての頃、生物学の時間に教師が問うた言葉を思い出します。人は瞬時に、生物と無生物を見分けるけれど、それは生物の何を見ているのでしょうか。そもそも、生命とは何か、皆さんは定義できますか?

◆生命は「機械」か?

 私はかなりわくわくして続きに期待したが、結局、その講義では明確な答えは示されなかった。生命が持ついくつかの特徴――たとえば、細胞からなる、DNAを持つ、呼吸によってエネルギーを作る――、などを列挙するうちに夏休みが来て日程は終わってしまったのです。ファーブルや今西錦司のようなナチュラリストを夢見ていた私も、大学に入るともはや純朴な昆虫少年でいることは許されませんでした。ちょうど分子生物学の大波が押し寄せてきたときです。生命の秘密はミクロの世界にこそある。私もまた時代の熱に逆らうことはできませんでした。
 遺伝子を中心教義とする分子生物学から見ると、生命は端的に次のように定義されます。生命とは自己複製を行う分子機械である、と。つまり、生命体とはミクロなパーツからなる精巧なプラモデル、すなわち分子機械に過ぎないとなるわけです。デカルトが考えた機械的生命観の究極的な姿です。生命体が分子機械であるならば、それを巧みに操作することによって生命体を作り変え、改良・改変、あるいは修復することが可能なはずだ。遺伝子組み換えや臓器移植・生命操作を是とする考え方の通奏低音には、この機械論的生命観があります。あるいは、狂牛病のような新しいタイプの病気も、効率性だけから食物連鎖を組み換えて、草食動物に肉食を強いたことに端を発しています。
 果たして、この考え方は正しいのでしょうか。生命は単なる分子機械なのでしょうか。私たちが海辺で、貝と石を見て、生物と無生物のあいだを見分けるのは、それが自己複製する分子機械かどうかを判別しているのでしょうか。

◆食べることの意味問う

 私は一人のユダヤ人科学者を思い出します。彼は、DNA構造の発見を知ることなく、自ら命を絶ってこの世を去りました。その名はルドルフ・シェーンハイマー。彼は、生命が「動的な平衡状態」にあることを最初に示した科学者でした。私たちが食べた分子は、瞬く間に全身に散らばり、一時、緩くそこにとどまり、次の瞬間には身体から抜け出て行くことを証明したのです。つまり私たち生命体の身体はプラモデルのような静的なパーツから成り立っている分子機械ではなく、パーツ自体のダイナミックな流れの中に成り立っている。そのことを最初に示した科学者でした。私は先ごろ、シェーンハイマーの発見を手がかりに、私たちが食べ続けることの意味と生命のあり方を、狂牛病禍が問いかけた問題と対置しながら論考してみました(『もう牛を食べても安心か』文春新書)。この「動的平衡」論をもとに、生物を無生物から区別するものは何かを、私たちの生命観の変遷とともに考察したのが本書です。動的平衡論に基づく有機的な生命観という、古くて新しいパラダイムのルネサンス(復興)を論じたものです。
 現時点でわたくしが考えるところの”生命とは何か”について、可能な限りのベストを尽くして書きました。生命と日々対峙されている農業を営む方々にこそ是非読んでいただきたいと思います。

著者略歴
1959年東京生まれ。京都大学卒。米国ロックフェラー大学およびハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授を経て、2004年4月より、青山学院大学・理工学部に新設された化学・生命科学科教授。分子生物学専攻。研究テーマは、狂牛病感染機構、細胞の分泌現象、細胞膜タンパク質解析など。専門分野で論文を発表するかたわら一般向け著作・翻訳も手がける。近作に、狂牛病禍が問いかけた諸問題について論じた『もう牛を食べても安全か』(文芸春秋社、科学ジャーナリスト賞受賞)、『プリオン説はほんとうか?』(講談社ブルーバックス、講談社出版文化賞受賞)、Y染色体の由来と未来を展望した翻訳書『Yの真実 危うい男たちの進化論』(化学同人)など。

(2007.6.20)


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