農業協同組合新聞 JACOM
   
コラム
消費者の目

町名復活


 生まれ育った故郷のことは、たとえ遠く離れていても気になるものです。私が少年時代を過ごした長崎市では、41年前行われた町の再編で消えた旧町名が今年1月に復活しました。昨年5月に帰郷した時、長崎市の中心部には「旧町名」と「新町名」の2種類の表示板が設置されていましたが、これが市民団体による旧町名復活運動の一つであったのだと、後で知りました。
 今回復活したのは、「銀屋町・ぎんやまち」と「東古川町・ひがしふるかわまち」です。1966年、長崎の中心部の磨屋(とぎや)地区は、20町が9町に再編されました。銀屋町は古川町と鍛冶屋町に、東古川町は古川町にそれぞれ町界町名変更されたのだそうです。銀屋町と東古川町は「長崎くんち」の踊り町として登場していたので、行政区分上存在しない町だとは思ってもみませんでした。

 長崎の氏神さまである諏訪神社に踊りを奉納する踊り町は77カ町。11カ町ずつ、7年に一度廻ってくるのが江戸時代から続く伝統です。41年前の町の再編で町名が消えた町の中には奉納辞退に発展して、地域の結束が崩れてしまったところもあると聞きます。祭りの伝統を支えてきたコミュニティ活動に支障が出たことは言うまでもありません。
 しかし、磨屋地区は新しい町名になっても、行政の町界を越える形で銀屋町自治会、東古川親和会など旧町名単位で自治会を組織して活動してきたのだそうです。旧町名で長崎くんちに参加するなど、41年にわたって地域のコミュニティとしての活動を続けてきたことが町の実体として認められ、今回の旧町名復活につながったということです。

 もともと「長崎くんち」は大人から子供まで町内が一丸となって取り組む祭りです。各踊り町にはその町の出し物があり、親から子、子から孫へと受け継がれています。
 長崎くんちと言えば「龍踊」が有名ですが、銀屋町の「鯱太鼓」は、お囃子の子供達が乗った太鼓山を放り投げ、男達が受け止める勇壮なものです。東古川町の川船は、幼稚園児くらいの飾り船頭と小学生のお囃子の乗った川船を男達が曳く出し物です。クライマックスでは、飾り船頭を降ろして、代わりに小学生位の船頭が舟の舳先に立ちます。投網で魚を一網打尽にすると、お諏訪さんの境内に作られた観客席から拍手が沸き起こります。

 諏訪神社での奉納が済むと出演者は庭先周りといって、日頃お世話になった方、会社、官公庁などを廻り、そこの玄関・店先などで短い踊りやお囃子を演じます。諏訪神社では紋付袴に山高帽で正装していた世話役達は、袴から唐人パッチにはきかえた略礼服で、女性達は着物姿で、子供達も着飾って、10月7日から9日の3日間、出演者と一緒に庭先周りをするのです。
 祭りはその3日間だけですが、練習は6月1日の「小屋入り」から始まります。大人と子供が一緒になって練習する中で、コミュニティのつながりがさらに深まり、次世代を担う人材が育っていきます。伝統を守るということの意味はここにあるのでしょう。今回の町名復活は、「必然」だったのかもしれません。(花ちゃん)

(2007.3.20)



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