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シリーズ 農政は「生産者優先・消費者保護軽視」だったのか

日本経済自立のための米増産政策


梶井功 東京農工大学名誉教授


◆敗戦後の数年は、不足する外貨の心配が

 “入超と失業のジレンマ”という言葉などは、もう死語になったといっていいのであろう。こんな言葉があったことなど、知らない人のほうが圧倒的に多くなったが、1952、3年ごろは、日本経済の特質を示す言葉として盛んに使われたものである。
 鉱工業資源の少ないわが国の工業展開は、原材料輸入で成り立つ。これは今も昔も変わらないが、違うのは、今は輸入に必要な外貨を心配する必要がないが、かつてはそうではなかったということである。特に敗戦後数年はそうだった。

◆国際収支のバランスをいかにとるか

梶井功氏

 敗戦後のアメリカ軍占領下では、占領軍の援助資金という外貨収入があり、援助資金打ち切り後は朝鮮特需でドルが入ってきた。が、その朝鮮特需も1952年で終わる。ドルは輸出で稼がなければならなくなったのだが、当時の日本の工業のレベルは、今の工業からは想像できない人が圧倒的に多くなったであろうが、国際競争力はすこぶる弱かった。
 国際的“限界供給者”的地位にある、というのが内外一致した評価だった。アメリカやヨーロッパが好景気で、それぞれの国内供給で不足するようなとき、はじめて日本からの輸出は可能になるという状況だったのである。そういう状況下では、ちょっと輸出の調子が良くて生産を活発にすれば当然原材料輸入を増大させるが、その工業原材料の輸入増大は製品を輸出してその対価が返ってくるのに時間がかかるから、国際収支の赤字を大きくする危険を常にはらむ。
 国際収支が悪くなれば金融を引き締めて工業生産活動を低下させ、原材料の輸入をおさえ、外貨流出をくい止めなければならない。
 しかし、工業生産の活動低下は当然ながら失業問題を発生させる。失業問題を解決しようとすれば工業生産活動を活発にしなければならず、原材料輸入を増やさなければならないが、それは入超を招き、国際収支を赤字にする。入超をおさえようとすれば失業、失業を解決しようとすれば入超そして国際収支赤字、これが“入超と失業のジレンマ”といわれたメカニズムである。当時の日本の経済力の弱さを端的に表現したフレーズだった。

◆国民経済の自立にかかわる食糧農産物の安定供給

 国内資源の活用で入超要因を消すことができれば最善だった。そしてその最たるものが食糧農産物、とくに米だった。1952年をとって若干の数字あげておこう。この年の農産物輸入額は6億1800万ドルだったが、それは輸入総額の実に30%を占めていた。輸入総額のなかでのこの高い割合もさることながら、食糧農産物が生活必需品だということが国民経済の自立にかかわる。“入超と失業のジレンマ”克服にとって重要な問題を提起する。
 工業原材料の場合、国際収支赤字にともなっての金融引き締め→減産→原材料輸入削減ということになっても、直ちに国民生活全般に危機をもたらすわけではない。失業問題は確かに深刻な問題を都市部に生むが、国民生活全体を脅かすことにはならない。しかし、生活必需品である食糧農産物は、輸入がなければ需要量を充足できない状態のとき、輸入をストップすれば直ちに国民生活に重要な影響を与える。国際収支が赤字だからといって、国民に食べるのをやめろということはできないからである。統制下で政府からの配給で食生活が営まれていた時代である。食糧農産物の輸入を含めての安定的な供給は、政府の重要な責任であり義務だった。食糧農産物に外貨を割かなければならず、しかも、外貨流出を止めるために金融引き締めをやっているときでも、輸入農産物は例外にしなければならぬ、ということは、“入超と失業のジレンマ”のなかでの経済運営にとって、不愉快な重荷だった。国内農業が不作になり、食糧輸入を増やさなければならぬということにでもなれば、不愉快どころか大変なことになる。
 1953年がまさにそういう年だった。前々年の51年、朝鮮戦争が終わり、52年は停戦不況といわれることになったが、特需ブームが去ってあとにブームをあてこんでの原材料輸入がドルを増加させていたそのツケが貿易収支4.1億ドルの赤字となり、金融引き締めに入り53年にはその効果が期待されていた。

◆経済白書が力説した食糧自給の達成

 が、1953年は作況指数84という戦後最大の不作の年だった。国民食糧確保の為に米輸入を64万トンも増やさなければならなかったのである。外貨流出を必死になっておさえているその時に、大幅な外貨流出をせざるを得ず、それは当然に景気回復の足どりを大幅に鈍らせることになった。
 日本経済再建のためには、食糧自給の達成、なかんずく国民主食としての米の増産を最重要視しなければならぬ、ということを53年度経済白書――農業白書ではないことに注意――が力説したのだった。米輸入を減らすことで3億ドルの外貨節約になることを、この年の経済白書は強調している。

◆産業空洞化傾向が進めば赤字幅はGDPの14.3%に

 この程度の外貨流出が大問題になる当時の経済状況だったのだが、そういう状態に日本経済がなることはもうない、などといっていいだろうか。そうはいえないことを、食糧、農業・農村問題基本調査会へ農水省が提出した経済企画庁作成の「財政・社会保障問題についての参考資料」は指摘している。いうところの経済グローバル化のなかで進んでいる国内産業空洞化を問題にしてだが、産業空洞化傾向がこのまま進むとすれば、海外立地した工場からの製品輸入の増加によって、2010年から海外経済余剰は赤字になり、2025年には赤字幅はGDPの14.3%になるというのである。53年の教訓を忘れてはならないということである。

◆優遇米価という認識は算式名称に幻惑された誤った認識

 2025年のことはさておき、53年のこの経験が食糧増産政策を農政の、としてではなく国政としての重要政策に浮上させるのであり、以降増産政策が本格化する。が、増産のためには何よりも働く農業者に意欲をもってもうらう必要がある。そのためには何といっても価格である。国際価格サヤ寄せが政策論として登場したくらいの極端な低米価是正がこのときから始まる。
 前回、1955年に戦前なみの米価になったことを指摘し、それには“二つの事情が生産者米価上昇を規定した”と述べておいたが、二つの事情のうち説明を残しておいた事情とは以上のような事情だが、しかし、戦前なみになった米価はことさらに生産者を“優遇”する米価ではなかったことを、次回見ることにしたい。55年以降の生産者米価、とくに1960年から採用された生産費ならびに所得補償方式という米価算式のもとで算定された生産者米価について、所得均衡政策を米価で実現させようとした優遇米価だという認識が一般化しているが、それは算式の名称に幻惑された誤った認識であることを、この際はっきりさせることが大事だと考えるからである。




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