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シリーズ 農政は「生産者優先・消費者保護軽視」だったのか

「優遇米価」は錯覚だった


梶井功 東京農工大学名誉教授


◆生産者米価算定方式

梶井功氏

 生産費ならびに所得補償方式といわれる生産者米価算定方式は、「60年産米から正式に採用された。都市と農村に賃金格差がある以上、この方式が採用されれば、稲作の生産性がよほど高まらない限り、米価の上昇は必至である。その狙いは製造業並みの労賃評価で都市と農村の所得を均衡させることにあった。結果は60年こそわずかな上昇にとどまったが、61年以降68年まで毎年、大幅な上昇を続ける。(中略)それにしても、農業基本法制定とともに米価が上昇したのはなぜだろうか。もともと『10年間で2・5ヘクタール規模の自立経営を100万戸育成する』という所得倍増計画の数字は性急すぎた。農業の構造を変えるには時間がかかる。しかし、高度成長の中で広がる所得格差には歯止めをかけなくてはならない。短期間に格差を埋める手段として米価が選ばれたのである。」
 長い引用で恐縮だが、この文章は岸康彦氏の文章である(同氏著『食と農の戦後史』162ページ)。生産費ならびに所得補償方式についての常識的な理解を端的に表現している文章として拝借した。

数式1

 その生産費ならびに所得補償方式とは“コメの生産にかかった費用を補償するほか、農家の労働に対する報酬を農村の労賃より高い製造業の労賃単価で計算し、その合計で生産者米価を算出する方式”だと説明されている。“農村の労賃より高い製造業の労賃単価で計算し”直すことで米価を所得“格差を埋める手段”にしたというのである。
 これはあまり――というよりほとんど世間には知られていない文章だが、農水省も同じように考えていたことを示す文章を紹介しておこう。全日本農民組合が行った米価決定処分取消請求事件に際して農水省が提出した準備書面(三)のなかにあった文章である。こうなっていた。
 “もしこの評価替えを行わないとすると、昭和45年産米穀の政府買入価格は、実際に決定された・・・・20320円よりも4926円低い結果となるのである。すなわち、家族労働費の評価替えという要素のみをとりあげても、決定された政府買入米価は、純粋の再生産費用よりも150キログラム当り4926円高い水準となっているのであり、このことだけから考えても、昭和45年産米穀の政府買入価格が憲法二九条三項にいう「正当な補償」に満たないとは言えないことは明らかである”(傍点は筆者)。
 “純粋な再生産費用”を構成する自家労賃は農業臨時雇賃金でいいのだとする思想、本当はそれでいいのだが“米穀生産者の利益保護のための政策的判断”(先の文章の直前にあった文句)から“都市均衡労賃へ評価替え”を行い、あるべき価格水準より高く生産者米価を決めてやっているのだという考えである。岸氏の文章もこの考えに立っていること、明らかだろう。政策的保護米価算定方式だというのである。
 本稿第1回目に、私は戦中戦後の極端な低米価が1955年にようやく戦前平常時なみになったことを指摘しておいた。いうところの政策的保護米価算定方式のもとで算定された米価は、生産費との関係でいえば1970年ごろまで戦前平常時なみでしかない。格差是正という政策的意図のもとに優遇されたのなら、戦前の自由市場で形成された米価よりも、生産費との比較ではよくなっていなければおかしいところである。算定結果がなぜ戦前なみの米価になってしまうのか。当然そこにはカラクリがあると考えるべきだろう。優遇算式になっているようにみせかけながら、結果はちがうものにしてしまうカラクリが事実あったのである。それは地代だった。
 農地改革の成果を守るためにつくられた農地法は、きびしい地代政策をとっていた。固定資産税を納めたらあとには何も残らない、というくらいの低額に小作料を統制していたのである。
 戦前の小作料は、小作争議の嵐をくぐり抜けた1935年ごろには差額地代化していた(この点については拙著『基本法農政下の農業問題』第二章を見ていただければ幸甚)。そして平常時に自由市場で形成された米価は、この小作料こみ生産費とほぼトントンだった。そしてそのころは小作米も自作米も区別なしに米価は一つだったから、平均収量地での小作料こみ生産費は限界地(小作料ゼロ)の費用価格に一致していた(これは単純な算数の問題)。だから、差額地代化した小作料こみの生産費をカバーする米価なら、限界地の費用価格をまかなうことができたのだが、その小作料が政策的に圧縮され差額地代を示さないものになってしまうと、米価算定のためにはあらためて限界地費用価格を何とかして探し出さなければならない、ということになる。戦時下の1943年米価決定で使われたバルクライン生産費なども模索の結果の一つであるが、生産費ならびに所得補償方式こそが限界地費用価格探しの努力の結晶だった。
 この方式を算式として示すと別掲のようになる。(食糧庁説明資料) の評価替えのなかでの重要点が都市均衡賃金への評価替えだが、そしてその点は岸氏をはじめ、大方のひとが注目する点だが、もう一つ、一標準偏差ぶんが平均反収から差引かれている点に注目する必要がある。それは“反収は、通常の経営能力、技術をもってしても、主として土地条件によって左右されることが農業の特性であることに鑑み、農家の責に帰することができない事情に基づく通常の低単収をカバーするため”(説明資料)だった。
 一標準偏差差引きは、収量を限界値収量に近づけ、限界地費用価格を把握するための一操作だった。が、それだけでは不十分だったのである。その穴を埋めたのが労賃の評価替えだった。戦前の小作料率を44%とし、米価が小作料こみ生産費をカバーしているとして、その米価が小作料を含まない生産費の何倍になるかを計算すると1・8倍になる。1955年以降その倍率になったので戦前なみになったといったのだが、臨時雇評価の自家労賃が小作料を含まない生産費の半分を占め、都市均衡賃金は臨時雇賃金の2倍だとすると生産費ならびに所得補償方式の算式は、

●生産費・所得補償方式による算式
数式2
P:
求める価格
農林大臣の定める年の災害農家を除く米販売農家の平均反当たり生産費を価格決定年に評価替えしたもの。
農林大臣の定める年の米販売農家の平均反収。
農林大臣の定める年の米販売農家の反収の分布表から算出した反収の標準偏差。
N:
実数

と書き直すことができる(標準偏差を平均で除したものが変動係数で、この値は米生産費調査の収量分布ではほとんど変わらず16%になる)。この答えはほぼ1.8Cである。
 一標準偏差を差引き、そして賃金評価替えをして、ようやく戦前なみの限界地費用価格が算定できたということである。評価替えで優遇されたわけではなく、小作料統制で政策的に圧縮していた差額地代をまともに計算しなおしたにすぎないというべきなのである。むろん農業と非農業の所得格差はちぢまらなかった。
 ヤミ小作が増えて実納小作料が統制小作料を上回るようになり、更に統制が廃止されて標準小作料制度に移ってもなおこの算式を続けたとするなら、それはまさしく優遇米価になり、保護米価になっただろう。が、そんなことはなかった。実納地代が上昇してからは固定資産税評価地価に利子率をかけて人為的地代を算出したりしていたし、1970年からは標準偏差差引きもやめてしまった。しかし、所得補償方式という聞こえのいい言葉は残り、米価は政策的に優遇されているという錯覚をもたせることには役立ってきた。




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