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コラム
砂時計

文化と経済のハザマで

 東京には、空が無い と昔の詩人が嘆いたが、どっこい自然は、都心にも生き残っています。皇居の周りを歩けばそのことをすぐに実感できます。香りの高い蝋梅は、もう終わってしまいましたが、千鳥が淵を中心に有名な桜が近づく春を待っているのがわかりますし、柳はすでに冬眠から覚めて薄緑の枝をぽっと煙るように伸ばしています。朝日にきらめくお堀の水面には野鳥も沢山きています。中でもシベリアから渡ってきた鴨と近くの東京湾からきたカモメの群れは2大勢力です。憎まれ役のカラスが何故かここでは攻撃性をあまり見せない。遠慮がちに自分の番を待っているのは都会派の鳩と雀です。お堀の土手には、いっぱいの陽を浴びて野草の若芽が成長をはじめています。
 こういう風景が、銀座から歩いて10分も離れていないところで見られることは案外知られていないのではないかと思います。東京の働き蜂は、コンクリートとガラスの巣箱の出入りに忙しいし、観光客は定番の二重橋あたりに集中するからです。
 このような自然が残っているというよりも残しているといった方が正確でしょうが、そこに行く行かないは別にして大事なことだと思います。そのことは,最近よくテレビで見るアフガニスタンの首都カブールの埃っぽい街並みを見るたびに思います。かつては緑にあふれた都市が、気候の変化と戦乱に明け暮れた結果、荒廃した遺跡のようになってしまったのを見ると無惨としかいいようがありません。他方で、わが国の恵まれた環境にしみじみと感謝したくなります。わが国だけを見ていれば、政治/経済/社会状況は混乱/停滞のきわみのような絶望感にさえおちいりますが、それならかの国の状況は、いったいなんと表現したらよいのか言葉に詰まります。私たちの祖先は代々自然と対立するのではなく、里山のような自然と一体感のある生活を守ってきました。東洋思想では、自然は征服する対象ではなく、自然と調和することを理想とします。この延長線上で高齢者は離農ではなく帰農にあこがれてきました。  
 他方、現代では、農業は文化ではなくひとつの産業として捉えねばならない側面があることも忘れてはなりません。この場合は、生産性/効率性が優先され国際競争にもさらされます。競争に勝つためには、労働コストだけでなく、資本と技術が絶対的に重要です。農業は、大量の資本と高度の技術を必要とする先端産業として位置付けねばならないことが軽視されているような気がしてなりません。わが国の農業は、文化と経済のハザマで、ロマン派は農本主義の伝統に固執し、現実を見ようとせず、現実派は市場経済の旗のもとでまったく別の思想と言語で論争を繰り返します。どこまでも平行線は続く。この間、莫大な時間と国費が失われ、肝心な農業は衰退し荒廃していく。これも無惨と思う。(ジョージ)


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