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コラム
砂時計

自力本願

 コメ政策の改革論議は、国による生産調整の配分廃止の是非とその時期の議論に焦点が移ってしまった感があるが、“あるべき姿”についてもっと時間を早めて議論を深めて欲しいと思います。そもそも、生産調整は何のためか、原理原則さえ分かりにくくなっている。これは本当にすべての生産者自身のためになっているのか、基盤整備をした水田の荒廃を最小限に抑えるためか、中山間地域の景観をまもるためか、さらに、これは、消費者のためにもなるのか。また、その費用と効果をどう総括するのか。以上いずれについても、生産調整そのものを含めて筆者は否定的にうけとめています。
 逆に、11月20日付本紙コラム“落穂”は、“コメの生産調整廃止は愚”として、“生産調整・縮小生産を続ける限り、日本の農業は良くならないが、コメ過剰のなかで、生産調整を止めれば米価の暴落を招くだけ。従って、生産調整の廃止は愚策。この問題の解決策は、コメ消費の拡大しかない。”として幾つかの対策を提案されている。当コラムは、“同紙討ち”は好むところではありませんがこのご意見には賛成できません。白か黒かの議論なら、生産調整は廃止するのが適当だと思います。生産者を守るためには、価格政策ではなく、別に所得政策をベースにセ−フテイネットが議論されるべきです。
 コメ政策は、生産調整の歴史であるが、この負担について、もはや国民の理解と同意が得られないからです。すなわち、すでに莫大なコストをかけたに拘わらず、それで、わが国の稲作が筋肉質の健康な体質に転換したのか。答えはおのずと明らかです。若い世代が夢を持てずに、背をむけて去っていく限りどんな産業であれ衰退しやがては消滅してしまいます。
 従来の農政の延長線上では、問題を大きくして先送りするだけで、なんの展望も開けないのです。“落穂”で指摘されているように、コメの消費が拡大できれば、問題の大半が解決するかもしれません。消費が、生産量を上回れば価格が上昇することは誰でも知っています。だが、実はここが一番難しいのです。太平洋戦争前は、日本人は、コメを一年に140kg食べていましたが、いまは、半分以下です。学校給食を含めて消費を法律や行政指導で回復させることは、現実的ではありません。“アジアのコメ備蓄構想”も先ず誰が財政負担をするのかが問題になります。いわんや、MA米の輸入を“即止める”とは、貿易立国であるわが国が国際貿易上で世界の孤児になることを意味します。再び、玉砕戦術を取るのでしょうか。わが国は、先年、コメの輸入は“一粒もしない”と国会の先生方が大見得をきって、対外的な交渉窓口の手足を縛り関税化を先送りした代わりに対外的に約束したのが現在の輸入枠なのです。いまや、国がやれることは限られています。ケネデイ大統領に倣って言わせてもらえば、生産者の一人一人が、明日のためになにをなすべきか自力本願で考え進路を探し決断するべき時期がとっくにきているのではないでしょうか。
 野菜農家でも畜産農家でも産地間競争の中で特徴のある商品を開発する工夫をすでにしています。消費者が国産米嗜好を強く持っているうちに、稲作もこれに応えて欲しい。すなわち、減反に頼るのではなく、競争原理を導入し、より魅力のあるコメを市場に供給するために切磋琢磨する。結局それが、需要を増やすとともに瑞穂の国の稲作を活性化させ若者を呼び戻すことにつながると考えます。 (ジョージ)


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