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コラム
砂時計

二兎を追う

 イスラムやキリスト教などの一神教では、自分の信じる正義なり、真理はひとつだけです。それと違うものは悪であり許しがたいということで“文明の衝突”となります。
 他方、わが国の神道には、“八百万の神々”がおられる。それだからかどうかは分かりませんが、わが国では、“正義”や“真理”は必ずしも絶対的なものではなく、むしろ相対的なものではないかと考えられてきたのではないでしょうか。色々な価値観やさまざまな主張をなんとなく受け入れ、時間をかけて発酵させ消化してしまう風土があるように思います。それにしては、昨今、まるで一神教の国になったように白か黒か、正か邪かの二者択一を迫る議論が横行しはじめているのはグローバリズムの一環でしょうか。
 農業の分野でも、遺伝子組み換え作物については、問答無用で切り捨ても同然、そうかと思うと農薬も“悪玉”として執行猶予つきだが有罪、さらには、化学肥料まで不良息子のような扱いです。これとは対照的に、“有機作物”という名前がつけば、定義もあいまいなままで優等生の“良い子”とみなされて“ちやほや”されています。おまけに、“安全性”という文字を掲げた“御用提灯!”を片手に、十手が振り回されそうな気配もあります。
 日本とアメリカの農業は違いが大きすぎますが、たとえば病虫害対策(IPM)でも、かの国はもう少し現実的に総合的な管理の手法を研究しているようです。それ以外でも、家族経営をどうやって守るかとか、土壌保全を含めて持続性のある農業を指向しているところなど共通の課題もあります。“井の中の蛙”にならないように、学ぶべき点は見習うべきです。いま流行の“有機農業”という分野があっても悪いことはなにもありませんが、消費者や行政が中途半端な理解のまま“有機教”にのめりこんで、無農薬・有機農業のみを“正義”とする“一神教”に走るのはいかがなものか。つまるところ“有機農業取締法”でもつくって“まがい物”を罪人にして取り締まることが必要になったり、生産コストをさらに押し上げたりするだけで、結局わが国の農業をさらに弱体化させる結果に終わるだけではないかと心配です。
 農業にとって大事なことは、“安全性”と“経済性”という“二兎”を同時に追求することであり、二者択一をすることではない。
 たとえば、遅効性であり、土壌細菌にも有益な有機肥料と即効性のある化学肥料の特徴を組み合わせて、それぞれの土地や作物に合わせて効果的に、また経済的に使用する技術を発展させることが大切なのであって、どちらかを善玉、もう片方を悪玉と決めつけることは間違いだと思います。
 農薬についても、消費者が口にした時の安全性を検証することが大事ですが、同時に、生産者が農薬を取り扱う時の安全性について、生産者自身を守るという観点から十分な啓蒙活動が必要です。それが、結局、減農薬にもつながるはずです。
 最近は、検査機器の発達により残留がどんなに微量でも検出されるようになりましたが、おびえる前にそれが本当に危険なものかどうか見極めが肝心です。農業には、水質に対する汚染問題もふくめて環境に対しマイナスの側面もありますが、だからといって農業そのものを“悪”とはだれも考えない。それでも、環境に優しい持続性のある農業を構築するための努力をすることは、コメなど個々の作物戦略と平行して、わが国でも取り組むべき課題のひとつだと思います。(譲二) (2003.4.8)


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