農業協同組合新聞 JACOM
   
特集 「第24回JA全国大会」記念特集 食と農を結ぶ活力あるJAづくりのために

JA全国大会にあたって

東京農工大名誉教授 梶井 功

 JA組織は、小泉構造改革内閣が遺した農政改変が始まったまさにそのときに、第24回大会を迎える。この農政改変を行政当局は“戦後最大の農政改革”だと事あるごとに強調している。改変がJAのあり方に大きくかかわるこというまでもない。本当にこの改変が日本農業の強化になり、JA組合員の生活向上にプラスすることになるのかを大会で吟味し、次期大会までの3年間、JAとして何をすべきか対応策を真剣に議論することを望みたい。
 私自身は、この農政改変は“国民に対する食料の安定供給の確保に資する”(関係法案提案理由中の表現)ことにはならないし、大多数のJA組合員の生活向上にプラスすることにはならないと考えている。いうところの“担い手”のみを施策対象とする農政は、構造改善の加速ではなく減速を結果し、施策対象外とされ、低迷する農産物市場に裸でほうり出される大多数の農業者から営農意欲を奪い、農業生産を後退させ、食料自給率の更なる低下を結果すると判断するからである。
 そういう見地からいって、第24回大会議案組織討議案が、“米・麦・大豆等の土地利用型農業の太宗を集落営農など政策対象となる担い手で担う姿をめざす”とか、“担い手のもとに出向き…きめこまやかな個別事業対応”を行うとかを強調して、担い手育成強化政策追従的ととられても弁解の余地のない表現になっているのが気になっていた。品目横断的経営安定策の立案過程では、施策対象を一定規模以上の認定農業者にしぼろうとする行政当局に対し、JA組織は集落営農組織の果たしている役割を強調、一定要件を備えた集落営農を施策対象に組み入れさせた。それは確かにJA農政活動の成果として評価していいことである。また、多くが認定農業者になり、新施策で“担い手”とされるであろう企業的農業者のJA離れがすすんでいることも事実であり、この事態にどう対処するかは組織上の重要課題とすべきことではあろう。が、だからといって、兼業農家も包含できるという集落営農組織にも厳しい枠がはめられている以上は、施策対象外とされる組合員農家がおそらくはJA組合員の多数を占めることになるであろうのに、多数を占める組合員への事業対応が如何にも弱々しく感じられる表現でしかないのは問題といわなければならないだろう。

◆大切な「担い手」の「協同」への参加

 組織討議でこの点を各JAも問題にしたのであろうか。大会議案として決定された文書をみると、“米・麦・大豆等…の太宗を政策対象になる担い手が担う姿を目指すとともに、園芸、畜産においても地域実態を踏まえて担い手を明確化し”とか、“個別事業対応”のみを強調していた事業対応のあり方をも、多数組合員農家を対象にした従来の“組織的な事業対応に加えて、今後は個別事業対応を並行して展開する”というように、その位置を変える変更を行っている。“多様な農業者を支援する”ことを明確にしたし、組織討議案ではふれることのなかった“小規模農家”についても“小規模農家等は、一定の規模を持つ担い手とともに地域農業を支える重要な役割を担っており、今後とも、小規模農家等に対して生産指導等のニーズを中心に組織事業対応を継続する必要があります”と明記している。組織討議を経て大会議案は、JA本来の姿になったと評価していいだろう。
 歓迎すべき適切な修正が組織討議の中で行われたといっていい。この修正の持つ協同組合運動上の意味を、大会では是非議論し、認識を深めてほしいと思う。いうところの“担い手農家”に“対応するためには個別事業対応が必要不可欠”となっているにしても、それも協同に参加させる1つの方式であることを、常に“担い手農家”にも一般組合員にも理解させながら取り組むことが大事だと私は思う。この点に関連して、古い本だが産組中央会第2代会頭・志村源太郎の著書『産業組合問題』(1926年刊)の最後の一節を紹介しておこう。こう書かれている。
 是れ産業組合は本来、組合員間の精神的結合が中心であり、連帯責任感が連鎖である。之あればこそ正直の資本化が可能となり、道徳と経済が並行し、少量の生産物も商品たるに適し、所得少なき人々の購買力を大ならしめ、事業経営及び生活の改善も亦、之を実現し得るのである。寔(まこと)に精神的方面の組合的訓練を忘れては、産業組合は無いも同然なりと思うのである。故に予は産業組合関係者に対して、巻頭に述べたる「産業組合の精神」を回顧せられんことを庶幾(こいねが)わねばならぬ
 “組合員間の精神的結合”強化を、ちがった事業方式をとるにしても忘れてはならないことを強調しておきたい。

◆市場原理主義との対峙姿勢明確に

 組織討議による修正があっても、なお大会議案に残っている気になる点に、JA批判に対する対応がある。
 小泉構造改革戦略の参謀本部だった規制改革会議を先頭に、財界からのJA批判がこの数年激しかった。大会議案は、その批判は“JAグループは制度に守られた古い組織である、JAの総合性が農業の発展を損ねている、などの誤った認識に基づくJA批判”であり、それに対しては“今後も適切にJAグループの主張を明らかにしていくとともに、広報活動等を通じてJAグループの果たしている役割について正しい理解の促進に努めます。加えて最も重要なことは、…さまざまな取組みを通じ、JAグループが組合員をはじめとする利用者・地域住民・消費者の信頼を得ること、さらに国民の理解と支持を得ることであり、このことが、JAグループへの批判に対する強い反論となります”としている。組織討議案には、“今後とも…理解の促進に努めます”という箇所はなかった。この文章が加わったことで、反論をせずに事実で応えるとしていた消極的姿勢を変えたとみていいのであろう。今日のJA批判を“誤った認識”からくる批判というような認識、“正しい理解の促進に努め”るといった対応でいいのだろうか。
 今は裁判中の身だが、市場原理主義のチャンピオンとして一時は時代の寵児になっていた、あのホリエモンこと堀江貴文氏が“高くてもいいからおいしい野菜を食べたいという人は多いが、残念ながらそれを流通させる仕組みがない。それは農協が農作物の流通をはじめ農家の経済の根幹を握っているから。農協は日本最大級の金融機関でもある。農協が崩壊するとなると、すごいビジネスチャンスになる”と語っていた(『週刊ダイヤモンド』04年12・25、05年1・1合併号)ことが端的に示しているように、今のJA批判は“誤った認識”などから出ているのではなく、JAの正確な認識のもとに、自らのビジネスチャンス拡大のためにJA潰しを意図している批判と認識する必要がある。“強きを助け、弱きを挫く”のが市場原理主義の政策論だが、その市場原理主義と対峙していく姿勢・論理を明確にすることが重要なのではないか。かつてJAには、“百姓をいじめると、国は滅びる”という大論文を書いて財界イデオローグに対抗したリーダーがいた。そういう気概でJA批判に対峙することが求められているのではないか。

(2006.10.10)



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