農業協同組合新聞 JACOM
   

特集 「第24回JA全国大会」記念特集 食と農を結ぶ活力あるJAづくりのために

鼎談 協同組合の本質を語る(3)

田代洋一氏・内橋克人氏・河野栄次氏

求められる運動性の回復
そして行政からの自立

◆新たな構造問題

田代洋一氏
田代洋一氏

 田代 経済の真実の情報を公開して国民の支持を得なくてはならないということですね。関連して格差社会化について議論していただきたいと思います。この間、国民1人当たりの食料消費支出が減ってきて、しかも若い世代ほど激しく単価も安いものを買っているという状況が見られますが、まず格差問題全般について内橋さんはどう考えておられますか。

 内橋 マネー資本主義のもと、単なる「格差社会」でなく、その格差は幾何級数的に拡大していきますよ、と。その意味で「格差拡大社会」といったのは私が最初だったと思います。米国でいわれるワーキング・プアを「働く貧困層」と呼ぶことにしたのも、私が言い出しっぺのはずです。そのために荒い逆風を受けましたが、いまとなってみれば、メディアが同じ言葉で口を揃える。こうした認識から、私は小泉構造改革は「新たな、もっと深刻な、次の構造問題を生んだ」と主張しているのです。
 その第1はワーキングプア(働く貧困層)の大量輩出です。私たちが10年以上前に出版した『規制緩和という悪夢』(1995年)において、“ミドル(中間層)の崩壊”を予測しましたが、まさにそれが的中した。
 日本では小泉政治の5年間に「圧縮された新自由主義」が加速し、雇用労働の解体が不可逆的に進行したと考えます。
 いまハイテク工場では4種類の労働者が働いていますが、給料は保険料などの社会保障を入れると10対4くらいです。働いているのに、所得は生活保護の給付水準に達しない。生活保護は基本的生存権の考えに基づいているわけですが、働いても働いても、その水準に及ばない。そのような「働く貧困層」の大量輩出です。景気が少し回復したくらいでは解決しない構造問題だと考えます。
 第2に限界過疎地の拡大。小泉構造改革は、へき地の中にへき地を生み出した。不採算の鉄道や空路の廃止に続いてバス路線廃止。人が住めなくなる。いまやそのような限界過疎地は国土の53%にも達しています。
 第3に「所得移転の構造」です。まずは預金金利の移転。私たちは、長きにわたる「ゼロ金利」のために、預金者として「本来、得べかりし所得」が金融機関や、その先の企業に移転されました。バブル崩壊後、その額は実に304兆円。日銀総裁が国会で答弁した数字ですが、私は実際にはもっと大きいと考えています。
 次に勤労者から株主への所得移転です。企業価値の極大化ということで、その企業で働くものの所得が株主配当に回っていく。一般投資家が増えたといっても全体からすればわずかで、大部分は機関投資家への配当に振り向けられる。ホリエモンや村上ファンドのやり方に見られるように「マネー」にからむものの得る所得は、勤労者所得に比べてケタ違いの大きさです。小泉改革は、こうした新たな構造問題を生み出しました。
 その中に農業が位置づけられると思います。農業の疲弊も小泉構造改革が加速させたものです。その中で本当に日本農業を再興していくという決意を持つのであれば、やるべきことはたくさんあると思います。小泉改革の継承をうたう新政権に、きちんとした対抗軸、対抗思潮というものを打ち出していかなければ、日本農業は確実に衰退への道を歩くほかにないでしょう。
 なすべきことは食料(F)、エネルギー(E)、そしてケア(C)という「FEC自給圏(権)」の形成を押し進める運動のほかにない、と私は考えています。ケアはあらゆる意味での人間関係ですね。

◆FEC自給権(圏)とは

 内橋 世界の多くの国が、いま「人間の安全保障」を守るための自給圏(権)形成に力を入れて取り組んでいます。安いところから買えばいい、と、財界人などが「したり顔」で公言しているのは日本ぐらいのものではないでしょうか。
 生活者の中にサポーターを育てる、そういう農業を築いていく「運動性」が強く求められています。これまでのように、ただ農業のことだけ考えているようではだめですね。

 田代 FEC自給圏(権)というのは先生が提唱されてこられた「共生の大地」を実現していく具体的な柱というか道筋と受け止めてよいのですか。

 内橋 そうですね。本当に日本農業を再興する道とは、いま申しましたような「FEC自給圏(権)の形成」を運動として展開していくこと。そのための新たな制度を生み出すことのほかにない、と思います。私は「市民資本」と呼んでいるのですが、これは単にキャピタルという意味ではなく、優れた制度や知恵、教育も含めての共通資産ですね。危機に立つ日本農業だからこそ、農業がリーダーシップをとることができる。そう期待したいと思います。単に農業だけでなく、1・2・3次産業間の産業連鎖が必要なのです。

 田代 FECのお話を食という場に具体化する点について、河野さんのお考えは?

 河野 なぜ消費者が食料問題を価格だけでとらえるようになってしまったかが最大の問題ですね。農協がやらなければいけなかったのに、やらなかったこととしては、「食料生産の時間と空間」という概念の情報開示があります。
 工業製品と違って農業生産には時間がかかり、また広い空間が必要です。例えば時間軸でいえば牛肉生産はお腹の中で10か月、その後、和牛なら30か月かかります。空間軸でいえばBSEにならないように牧草だけを食べさせるとすれば1ヘクタールで2頭しか飼えません。
 そういうことを農協は60年間言ってこなかった。だから消費者はあらゆるものがおカネで買えるという考え方に立ってしまったのです。コメの凶作で困った時だけは価格のことは余りいいませんが、それくらいのレベルではどうにもなりません。
 輸入再開の米国産牛肉に飛びつく人がいるのは、正常プリオンが異常プリオンに変わるメカニズムが解明されておらず、科学的情報開示がまだないからです。
 農協は土づくりには10年かかるなどといってきましたが、それは建前で消費者のニーズの変化に対応した情報開示ではありませんでした。生きるということについては時間と空間の概念が一番のキーだということです。食育がいわれますが、最大の食農教育は情報開示なんです。
 それから食の位置が大幅に低下したことも問題です。エンゲル係数が22%程度に落ちていますね。これは人間の命の再生産ということの価値概念が低下したということです。この点についての食の教育が地域社会の中で、できなければだめです。
 人の命の問題をキーにしてやっていくことが重要です。国産品について情報開示さえすれば消費者も気がつくと思います。エンゲル係数が22%ですから国産品が10%高いとしても生活には2、3%しか影響しません。
 もっと極端に言うと、若い男性は車のローン、女性たちは携帯電話にカネを使う。そのつけが食べ物に回り、将来は医療費の問題になってくるでしよう。
 こうした食問題をどうするか、頭の中の認識ではだめであり、実体験が必要で、小学生の時から体験させることです。だから都市農業が絶対必要条件になります。地域社会の中で実際に見て発見する、そして考えるという仕組みが必要です。だから都市農業を排除してはだめです。
 人間は他の生物の命を奪って生きているということがわかる子どもをどうつくっていくか。農協や生協や行政はこのことをやらなければなりません。

◆地球環境と食料問題

 河野 それから農業に限らない今後の問題として雇用が最大の問題だと思います。雇用を抜きに物事を発想していてはだめです。私たちは小さな働く団体(ワーカーズ・コレクティブ)をいっぱいつくっています。 ヨーロッパでは働くことが苦役だというキリスト教の考えがありますが、日本では働くことが文化であり、社会における自己存在の証しです。その働く場をつくっていく際に第1次産業は最大の雇用創出の場となります。
 産業資本は20・30歳代の効率概念による働き方ですが、そんな時代は終わりました。今後は男女とも70代でも働ける条件を整備しなければなりません。
 自分にとってふさわしい自分の時間に働けるやり方をつくっていけるというのは第1次産業がもってこいです。高齢者の機械操作が危険だったら機械の得意な人を教育してやればよいのです。
 21世紀は労働参加型社会になると私は思っています。それは企業ではつくり出せません。非営利で再生産できる構造を持った協同組合やNPOでこそ、それができると思います。
 しかし私はNPOより協同組合のほうがよいと思います。自己責任という概念があるからです。
 協同組合は法的に構成メンバーに限られた閉鎖的な組織ですが、それと同時に今の社会状況からして開かれた組合にしていく、社会制度化しなきゃいけません。
 だから、そこでは協同組合のあり方も変えなくてはならない。そういうことができれば、まだまだ日本でやっていけるはずです。
 そのキーを最終的に握っているのが食料問題です。なぜかというと、この間の地球環境の異常は予想よりも早いからです。
 北半球だけでなく、南半球もすべて世界同時の異常気象になった時に、食料生産が止まることがあり得ます。そうなれば、いくらカネをもっていても、よその国から食料は入ってきません。
 軍備の安全保障はあっても食料の安保はないのです。にもかかわらず、そういうメッセージは余り出てきません。私たちは一生懸命に世界へ向けても発信しているつもりですが、まだ力が弱くてうまく伝わっていきません。
 しかし、そういう努力をしているという意味では、協同組合は農協、生協を含めて遅れた組織ではない。農協法や生協法の制度にしたがっているから遅れているのです。このことをはっきりさせておきたいと思います。
 協同組合精神を前面に立てて制度を、法律をつくり変えていく。自分たちで新たにつくっていくことができれば遅れていないわけです。しかし多くの人はそういうふうに発想しません。
 生協の員外利用問題も新自由主義に合わせるようなことをやっているんですが、もっと先をいかなければなりません。
 人々の豊かさをつくり出すというテーマを明快に立てて、外部からは批判を受けるくらいの協同組合にならないと結局はうまくいかないと思います。
 農協は1億2600万人に食料を供給し続けています。事業規模もざっと6兆円、人材もいます。この大きな底力を発揮し、新たな仮説を立てて、それに挑戦しようと思えばできるのです。

 田代 では最後に、これまでのご発言で語り残したことなどについてお話下さい。

◆迫る人間存在の危機

 内橋 今日、危機に立っているのは農業だけではなく、1・2・3次産業も同じことです。人間存在そのものが危機に立っているということを強調しておきたいと思います。
 農業問題だけ、という発想ではもうだれも共感しない。いまや単なる「農業問題」というものは存在しません。日本の経済社会全体の問題としてとらえる必要があります。
 人間存在をいうなら、生きる・働く・暮らす、の整合性が問われるでしょう。より良く働き、暮らすことが、より良く生きることに通じるように。
 それを地域社会の中でどう実現していくのか。少子高齢化、高齢者医療費負担など、いろんな悩みが問題になっていますが、コミュニティなきところに子どもが育つはずはない。
 結論的に申しますと、生きる・働く・暮らす、の統合として人間存在をとらえ直していく、これは協同組合だからこそできるのだと思います。そこにもう一度、気づき直しを行うことが大切なのです。
 もう1つ、今の景気は、いざなぎ景気を超えたといいますが、多分に誇大された表現です。私たちの生活感覚に最も近い名目GDPで見ますと、いざなぎの時は2.2倍の成長ですが、今は1.04倍。ほとんど経済は成長していません。
 企業の売上高も増えず、利益率だけが2倍増です。経常利益は全体として65%増ですが、1人当たりの賃金は逆に2.5%減少して家計は潤っていません。
 例えていえば、雨水を大地に流す垂直の樋に栓をつめて、下に流れないようにしたからこそ、上の、軒下に沿って張られた樋に水が溢れるほど溜まったのだ、そういうべき状況なのです。利益を勤労者に流さず、設備投資や株主配当に回しているわけですが、それでも使いようのないカネが一部上場企業だけで80兆円を超えます。それを設備投資に振り向けていく。設備投資が急拡大し、生産過剰がすでに始まり、在庫指数が高まっている。この後の「過剰拡大・過剰負担」が目に見えるようです。あのバブル時代と同じ企業行動です。グローバル化とマネー資本主義のもと、日本産業全体が大きな岐路に立っています。

 河野 おっしゃる通り一番のキーは人間です。人間関係性が1つの資源になる必要があります。今はそれがばらばらになった社会です。あらゆるものが商品化されました。商品にしてはいけない人間の臓器や遺伝子までが商品化されました。
 そこを立て直さなくてはいけません。人間はそれぞれ他者と違うのは当たり前ですから、それが協同して自分たちの社会をつくること、それが1つです。
 もう1つは短期主義をやめることです。時価会計も含めてです。あれは市場の論理なんです。使っている限りは時価会計での評価は関係ありません。
 私は循環型社会という概念ほど日本人にふさわしいものはないと思います。だから、もう少し長い時間軸を置いた仕組みとして位置づけていくことができれば、あわてて市場の価値評価に合わせなくてよいと思います。
 私は逆に、人間がどれだけそこに参画したか、その人数で評価することも基準だと思います。協同組合にふさわしい評価基準をつくりながら社会の批判を仰ぎ、答えを出していく、そういうことが求められているのではないかと思います。

 田代 格差拡大社会の中で分断政策が進行しており、その1つに農協に対する部門別収支計算の要請などがあります。この分断に対して高い観点から共生の運動を進めなくてはいけないというお話でしたが……

 内橋 分断し、対立させ、競争させて、その間にマーケットを置く。そういう政策ですね。たとえば都市と農村、消費者と生産者といった具合に。分断・対立・競争を原理とする「競争セクター」一本やりに代えて、連帯・参加・協同を原理とする「共生セクター」の足腰を強く育てなければ、協同組合の未来も危ういと知るべきではないでしょうか。

 河野 農協を解体して、もうかる分野だけは企業化する、そうでない分野は最後まで残すという政策ですよ。

 田代 そして行政から自立した自主性が大切だということ、農業や農協の経営が苦しいということだけに目を向けると袋小路に入ってしまうから広く経済社会を見て共通する本質的な問題を率直に社会に訴えていくこと、最後に運動性が大切だということなどが強調されたと思います。

鼎談を終えて

 協同組合のミッション、協同組合が担うべき公共性、共生の実現といった高い次元の話に終始した。内部を知らない人の理念論は聞き流せばよいが、農協を熟知するお二人の厳しい指摘は、「協同組合の幻想」から脱却せよという熱いメッセージでもある。
 そこからはっきりしたのは、農協大会に限らず、今、協同組合に必要なことは、国民に向けて協同組合に係わる情報を広く公開すること、自らの使命を高く掲げ、使命共同体としての農協が国民のために何をしようとしているかを強く訴えることだ。
 格差拡大社会化が強まり、地域の経済、国民の生活が疲弊するなかで、どうしたら協同組合が新たな公共(みんなのもの)の担い手になれるのか。そのためには行政から自立した自主的な組織たれ、農業だけが苦しいのではなく人間存在そのものの危機に目をむけろという指摘をいただいた鼎談だった。(田代)


(2006.10.13)


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