農業協同組合新聞 JACOM
   

特集 「第24回JA全国大会」記念特集 食と農を結ぶ活力あるJAづくりのために

自立をめざす農山村とJAの役割(2)

みんなで創る「近代的いなか社会」
農業をベースに、自分たちの問題は自分たちで解決

山口市仁保地域(山口県)

 昭和40年代半ば、過疎化が急速に進行し、ムラの活力がなくなるとの危機感から、自治会を中心に地域全体の組織を網羅した「仁保地域開発協議会」を設立。山口大学の協力を得て「近代的いなか社会の創造」を基本理念とする「地域開発の基本計画」を策定。多くの住民参加を得ながら、生活環境の近代化とともに人情豊かないなか社会と農業を大切にするムラづくりを推進し、平成13年には、農水産祭「むらづくり」部門の天皇杯を受賞した山口市仁保地域を取材した。

◆山があるから好きだ

山口氏仁保地域

 北を見て見えるものはと聞かれたら畑と学校、そして山と応えるだろう。
 南を見て見えるものはと聞かれたら道路と川、そして山と応えるだろう。
 東を見て見えるものと聞かれたら田と鳥、そして山と応えるだろう。
 西を見て見えるものはと聞かれたら広場とお店、そして山と応えるだろう。
 都会のように大きな建物なんかない。見わたす限り山ばかり。
 こんな田舎のどこがいいのと聞かれたら、きっと山があるからだって答えるだろうな。
 この詩は平成2年に山口市仁保地域に住む中学2年生の女の子が書いたものだ(仁保農協「協同の歩み 創立50周年記念」誌から)。
 平成18年のいま、12年にオープンした「道の駅・仁保の郷」を中心にAコープや郵便局などが仁保の中心地に集まり「ワンストップサービス」が可能になっているが、仁保の風景そのものはこの詩と大きくはかわってはいない。
 仁保地域は、山口市の最北端部に位置する中山間地域で、面積は7280haと山口市の2割を占めるが、8割が山林だ。三方を山に囲まれ、その中央を南北に椹野(ふしの)川の支流・仁保川が貫流。この流域に沿って上流の北部は山間の谷間が多く、細長く八つ手の葉のように広がった地勢で、南部は平坦な地形となっている。人口は1203戸・3849人(17年国勢調査)。農協(JA山口中央仁保支所)の正組合員戸数は695戸だから、58%の世帯が農業を営んでいるが、その8割前後は兼業農家だ。耕地面積は484ha(12年農林業センサス)だが93%は水田だ。

山が迫る仁保川上流の上郷地区
山が迫る仁保川上流の上郷地区

◆このままではムラの将来が見えてこない

 昭和40年代半ば、高度経済成長がピークを迎え、全国の農村で過疎化が問題となるが、仁保でも昭和30年代に1000戸・5000人だった人口が、45年ころには世帯数は変わらないが3000人余となり、6学級あった中学校の学級数が3つに減少するなど、過疎問題が深刻化する。
 このままでは「ムラの将来が何も見えてこない」。いままでのように農協や自治会など地区内にある組織がバラバラで、しかも「行政頼り」ではどうにもならないという危機感から、仁保自治会(自治会)が呼びかけ、昭和45年に「仁保地域開発協議会」(協議会)を設置する。ここには、仁保農協・仁保土地改良区など仁保地域のすべての組織が参加する。
 そして山口大学農学部農業経営学研究室の協力を得た綿密な地域調査をもとに、「近代的ないなか社会の創造」を基本理念に、「地域開発の基本計画」(基本計画)をまとめる。その心は「都市部に負けんような近代的な生活環境をめざすが、人情だけは古きよき“いなか社会”の伝統を守っていこう。農業を大切にするムラづくりこそが仁保を守る」ということだと、39歳の若さで自治会会長となり、今日まで仁保のリーダーの一人として活躍している山本繁正協議会会長。

◆開発を農業的なものだけに限定した「基本計画」

 そして、産業開発と環境整備の目標として、▽歴史的にも努力を積み重ねてきた土地資源の農業(林業も含む)的開発に限定する▽農業的開発のなかには、農産物の加工を含む▽通常行われているような、工業の農村導入やサービス業などへの土地利用は考えない、という仁保独自の考え方を明確に打ち出す。と同時に、農業的開発を積極的に進めてもそれだけで「みんなが社会的一般的な生活水準を享受することは至難の業である」。そのため▽隣接地域の他産業に通勤就業できやすい道路などの条件整備▽公害のない優れた自然環境の中で通勤者も距離的ハンディをこえて、近代的生活が享受できるような生活環境と田園都市的な条件整備をすることを打ち出す。

◆もっとも条件が悪いところから整備する

一貫野の菊畑。周囲には猪除けのトタンが
一貫野の菊畑。周囲には猪除けのトタンが

 「近代的ないなか社会の創造」のためにまず取り組まれたことの一つが道路の整備だ。とくに昭和47年に大水害で壊滅的な被害を受け、その復旧工事が焦眉の課題となる。その実施地区の選定にあたっては、経済的な効率ではなく、条件が不利な「もっとも不便なところから良くしていく」。実施にあたっては、その地区の合意をえて自治会が用地を確保して、行政に道路整備要求をしていくという「仁保方式」をこのときに確立する。
 条件不利地から公共事業を実施していくことは、昭和42年に道路舗装が問題となったときに合意されたもので、この後のほ場整備などでも貫かれる仁保の基本的な思想だといえる。
 用地の確保については、47年水害で陸の孤島となった一貫野集落は道路拡幅に必要な用地を集落全員で資金を借り入れて自主的に確保し、道路整備要求を行政に行ったが、これ以後も地元で必要と考えられる土地は地元で自主的に用意することが定着する。
 こうしたやり方は「仁保モンロー」といわれたりするが、「仁保の問題は仁保の住民で解決していく」という、仁保地域独特の誇り高い住民意識の表れであり、ムラづくりの大きなエネルギーだといえる。
 そうした意識は、昭和30年代後半から進められていた山口市内14農協の合併を、仁保農協(農協)が40年の臨時総会で、圧倒的多数で拒否し、独自の途を歩むことを決めたあたりから生まれてきたのではないかと思われる。

◆全集落に営農改善組合をつくり 「彩り豊かなむらづくり」

 大水害の翌年、ムラづくりの機会を新しい祭りでと「仁保大農業まつり」が開始される。これは農協と公民館が中心だが「地域の組織・機関がすべて参加し、活気に満ちた極めて先駆的な取組みだった」と山邉勝山口県山口農林事務所長。この大農業まつりは、農協がJA山口中央と合併した平成11年以降も自治会などによって今日まで、仁保地域の祭りとして継続されている。
 この「大農業まつり」で「土を動かすむらづくり」が提唱され、自治委員・集落代表・農協役員らで構成される「仁保地区農業改善推進協議会」(俗称「100人委員会」)が組織され、ほ場整備の方針が検討され、52年から条件不利地を皮切りに仁保全域のほ場整備が実施されていく。
 ほ場整備を先行して行った上郷地区各集落は、農協が設置したライスセンター運営を核に農機具の集団利用などをする「営農改善組合」を62年につくる。その後、この取り組みを参考に、農協は全集落を対象に「一集落一農場」を提唱し、営農改善組合を全集落に設立し、農家総ぐるみで特産品づくりに取り組むことにする。63年に全集落に営農改善組合が設立されることで、自治会と営農組織が表裏一体となったムラづくり推進体制ができあがる。
 それと並行して農協は、市場出荷できるような条件のない仁保の特性を活かした少量多品目による「彩り豊かなむらづくり」をすすめる。

◆省農薬米から特栽米に生協との交流も深まる

 米についても、農薬の使用回数を減らした「省農薬栽培」に取り組み出す。この省農薬米は、地元の山口中央生協(現:コープやまぐち)や生協ひろしまとの産直提携品となり、現在は平成元年に完成した堆肥センターで生産される堆肥を活用した特別栽培米「ふれあい米」となり、生協に供給されている。また、少量多品目野菜なども生協店頭の産直コーナーで販売されるようになる。
 そうしたことをきっかけに生産者と消費者の交流が始まり、生協組合員が田植と稲刈りをする「ふれあい交流田」を設置するなど、「むらとまちの交流」の輪が広がっていく。

◆新たな地域の活動拠点「道の駅・仁保の郷」

「道の駅・仁保の郷」の店内。2階にはシンポジウムもできる研究室や和室も
「道の駅・仁保の郷」の店内。
2階にはシンポジウムもできる研究室や和室も

 しかし、減反政策が強化されたり、青果市場が合併し青果物物流が全国的になり、少量多品目の野菜類の販売が難しくなったことなどから「年寄りはやることがなくなり、元気がなくなってきた」。なんとか元気の出る仕組みをと考え、地産地消や少量多品目生産のノウハウを活かした「道の駅」をつくることにしたと山本さん。
 通常は1日1万台以上の通行量が基準となるのに、仁保は3500台しかなく経営的に厳しいと山口市を始め周囲から猛反対を受けるが、何とか設置にこぎつける。完成前の3年間、アンテナショップ「彩り市」を設けてみると好成績だったことも自信になったという。
 運営方式は、協議会役員や農協が出資し自治会が運営する(有)仁保の郷が運営することにし、12年「道の駅・仁保の郷」がオープンする。「いろどり市」も道の駅に入り、登録生産者が220名となり「イベントに手弁当で協力してくれる人たち」もいて、ここが地域の人たちの活動の拠点となっている。心配された集客も「オープン時の1日700台から、いまでは平日1000台、休日には2000台近くまでになった」と古甲征輝駅長。
 このほか、仁保川を守るなど環境への取り組みや加工品づくり、地域の教育問題など多彩な活動が行われているが、ここでは割愛する。

◆仁保の特性活かした農業の展開を考える

 最後に、合併した農協についてみてみたい。仁保農協からJA山口中央となることで、JA内部では、仁保の問題を仁保だけでは決めることができなくなった。そういう意味では「農協が遠くなった」といえる。しかし、田中潤一JA仁保支所長は、米は仁保の特性をいかして「仁保は源流に近いから、物語がつくれるので、それを消費者にアピールしていきたい」。野菜については、「団地化するなど土地利用して道の駅などで売ることをしないと」と生産部会長たちと話していると、仁保の農業を盛り上げていく決意を語ってくれた。またムラづくりの後継者を育てる「むらづくり塾」の事務局がJAの支所にあるように、地域で果たしている農協の役割はまだまだ大きいといえる。

(2006.10.19)


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