農業協同組合新聞 JACOM
   

特集 農協愛友会 創立50周年記念


農協愛友会が創立50周年記念の座談会開く

農協愛友会50年の歩みと期待

座談会 その1

愛友会メンバー

出席者(敬称略・五十音順)
赤羽 昭二(農林中金ОB=前会長、現顧問、会友)
江草 猛(旧協同放映梶♂員、前代表取締役会長、会友)
小澤 渉(共栄火災海上保険梶♂員、現相談役、現副会長)
川口 克郎(家の光ОB=元世話人、会友)
行徳 克己(共栄火災ОB=元顧問、会友)
島田新太郎(リズム時計工業梶♂員、元代表取締役社長、会友)
鈴木 秀治(共栄火災ОB=前顧問、会友)
中川 敞行(全農ОB=元世話人、会友)
(紙上参加)
鈴木 常正(農中OB=元会長、会友)
山口 巖(全中OB=前世話人、会友)
司会進行 前田千尋(全共連OB=現会長、会友)

 「農協中央機関と常に密接かつ有機的な提携を保持し、農協運動の発展に寄与する」ことなどを目的に農協の外郭団体として大きな役割を果たしてきた農協愛友会が今年十月、創立五十周年を迎えた。これを記念して同会は今後の運営の展望などを語る会員・会友代表の座談会を開いた。
 農協の各事業を横断するメンバーの親睦団体とあって、その内容は多彩だった。
 まず半世紀の歴史を振り返って創立時の原点を確認し、そして50周年の節目に当たって今後どのように活動を強化していくかなどに話題を発展させた。現役である会員とОBである会友の連携をどう強めていくかなどの課題も挙がった。

現役メンバーの積極的な活動参加などが課題

◆衛星のような団体

前田千尋氏
前田千尋氏

 前田 農協愛友会五十年の歩みを振り返るとともに今後の運営の展望などを含めて幅広い視点から大いに語っていただこうという趣旨で、会員・会友のみな様方を代表するかたちで、ここに九名の方々にお集まり願いました。この座談会の記録は農業協同組合新聞に大要を掲載して会員・会友にお届けし、五十周年の喜び、歴史、愛友の精神といったものをお互いに共有していきたいと願っております。
 では楽しい思い出とか運営の苦労話、会員・会友との出会い、それから先輩として後輩諸氏にぜひ伝えて置きたいことなどを自由にご発言下さい。
 江草 農協愛友会の初代事務局長は依田静衛さんです。協同組合通信社の専務でした。私はその下で働いていて「愛友とはアイ(I)とユー(YOU)、つまり私とあなたの相互扶助の意味だ」と聞かされました。
 しかし昭和二十九年に首相となった鳩山一郎氏が色紙なんかに「友愛」とよく書いていたので、その影響もあるのかなとも思いました。私は初代愛友会長の宮城孝治さん(共栄火災海上保険社長・元中央農業会近畿支所長)と依田さんが愛友会という名称を考えたと思っています。しかし公式的には全中会長の荷見安さんが名付け親です。
 さかのぼれば二十二年に宮部一郎さん(家の光協会会長・全中理事)らが協同組合懇話会というのをつくりましたが、開店休業の時期がありました。そうした中で、農協を地球に例えて、その衛星となるような外郭団体の集まりをつくろうという流れが出てきて愛友会ができた、そんな気がしています。宮部さんも創立当初の会員代表です。
 付け加えれば宮城さんも宮部さんも仙石興太郎さんの高弟ですよ。

体育会の優勝杯
前田千尋氏
コチア杯
宮城会長杯
コチア杯
高さ 26センチメートル
幅 40.5センチメートル
ブラジル国コチア産業組合からの
寄贈杯
宮城杯
高さ 32.5センチメートル
幡 22センチメートル
初代会長杯昭和40年創設
グランドシニア(開催日時点満70歳以上者)優勝杯
総合優勝杯
両杯とも平成4年度限りで体育会持ち出しを打ち切り「永久保存」扱いとされて、共栄火災・御殿場研修所資料室に保管されている。

 行徳 私は長い間、愛友会の事務局次長を務めました。懇親行事としてはゴルフ(体育会)が有名でした。優勝者には宮城会長の杯と、ブラジルからきましたコチア杯が贈られました。
 私はまだプレーできない状態の時で、もっぱら先輩たちの世話役でした。富士高原でやった時に一度、カップを2つとも持って行くのを忘れて、向こうに着いてから気が付き、泡を食って取りに戻り、何とか間に合わせたという思い出もあります。
 農協の外郭団体をつくろうということで愛友会ができましたが、当初の会員代表者は農協運動の中枢にいる人がたくさんいました。その後、農林中金の関連融資が始まったので、その融資先の会員が増えました。全販連や全購連などの取引先も会員であるのはもちろんです。

◆和気あいあいで

島田新太郎氏
島田新太郎氏

 宮城さんと依田さんのコンビは次々にいろんなことを考えましたよ。また次元の低い思い出話になりますが、新年賀詞交換会のお年玉は会員企業から集めましてね。例えば乳製品は協同乳業と雪印乳業からといった具合です。私は各社を回ってライトバンで、それらを会場に運び入れて並べる作業をしました。
 当時の会員企業の応対は今から思えば鷹揚でゆったりした感じだったとの印象があります。とにかく和気あいあいとしていました。事務方として当時からの生き残りは今は江草さんと私だけになってしまったようです。
 島田 時計屋がなぜ会員かと思われる方もいらっしゃるから経過を申し述べます。
 終戦後、外地からの引揚者が農村にだぶつきましてね。それで失業者対策として時計をつくろうと全国農業会が株主となって株式会社農村時計を各地につくりましたが、どこともうまくいかず、結局、長野県の会社だけが残りました。
 しかし株主の農業会が占領軍命令で解散となったため農林中金が後を引き受け、社名をリズム時計と変えました。ところが解散前の農業会は農村工業部長の谷碧さんに「会社を整理してこい」と命じ、谷さんがリズム時計に出向してきました。
 けれども谷さんは逆に協同組合精神で会社存続に向けて粘りを発揮し、朝鮮動乱の特需で息をついたこともあって何とか会社を再生させ、やがて社長になりました。そして愛友会の生みの親の一人となったのです。
 江草 谷さんへの鎮魂の意味で申し上げると、あの方は陸上競技で二百bの日本記録保持者でした。「おれも協同組合学校にいかないでスポーツ校に進んでいたらオリンピックに出場していたかも知れない」とおっしゃっていたことを思い出します。
 赤羽 私は五代目の愛友会の会長になった当初まで会の性格がわからなかった、沿革なんかについても詳しく知らなかったのです。たまたま評伝「宮城孝治 虹の航跡」という本を読んで、そもそも論がやっとわかりました。あの本は行徳さんらを編集委員としてつくったんですね。愛友会と協同組合懇話会のことが一章設けて書いてあります。
 それによると、三十二年十月に行われた愛友会の創立総会には二十一団体三十三名が出席し、非常に熱気があったとのことです。荷見さんが格調の高い演説をされたりしましてね。

◆財界を意識して

赤羽昭二氏
赤羽昭二氏

 赤羽 前年の三十一年には「もはや戦後ではない」といわれ、日本経済は復興期から、いよいよ高度成長期に入るころでした。三十六年には所得倍増計画が打ち出され、産業が興隆期へと進んで農業もそれなりに発展し、農協も勃興期に向かいました。
 我々の若いころは貧しさからの解放がみんなの願いでした。そういう中で、並木正吉さんの「農村は変わる」という本も出ました。日本経済全体の中で農業にも魅力があり、将来が明るいとされていた時代でした。
 ちなみに、当時のデータを見ますと、人口は九千万人で、GDPが十一兆円、その中で農業の産出額が一兆七千億円と、相当大きなウェイトを占めていました。農業は力を持っていたのです。
 また農業を取り巻く外部環境に与える力も、マーケットとしても大きな比重を持っていました。農協の補完事業も発展途上の時代でした。
 それで農協の各事業を横断する自発的な親睦団体をつくって会員団体自らの発展を図るとともに農協の事業と運動に貢献しようという愛友会づくりの動きにも熱気がこもっていたわけです。
 「虹の航跡」には経団連とか経済同友会を意識した発言や記述が出てきます。愛友会の創立総会が、日本資本主義の総本山みたいな東京・丸の内の工業倶楽部で開かれたことも、そうした志しを裏付けています。
 創立メンバーはそうそうたる顔ぶれで、その意気や壮たるものがあると私は思いました。とにかくエネルギーにあふれていましたね。 「その後、農協の飛躍的発展は、肥料、農薬、農機具などの系統取り扱いの増大、また融資関係の拡大をもたらし、農協中央機関から関係企業への役員派遣、あるいは取引の拡大につながりました。
 農協中央機関の事業の多角化にともない新たに設立される法人、団体が多い時期があり、これによって愛友会への加入が増えて会員数は一時期百二十五社を数えました。振り返れば何だかまぶしいような気がします。
 行徳 「虹の航跡」は宮城さんの自伝です。ところが愛友会に関する項目はあまりなく、協同組合懇話会の記述がたくさんあるのです、どういうわけがあるのかと頭をひねっています。
 川口 きょうの出席者の中では私が一番の若輩者です。愛友会とのかかわりは、まだ十年とちょっとです。
 私は三十三年に家の光協会に入って、総務の秘書課に配属されて、協会の会長である宮部さんの下でずっとやってきました。
 宮部さんは愛友会だけでなく協同組合懇話会の創立メンバーでもあるため、両方に目配りしながら運営を進めていました。しかし私は宮部さんと一緒にいながら、最初のうちは懇話会と愛友会の区別がつかないくらいの状態でした。
 依田さんが愛友会の役員として宮部さんのところへやってきて、いろんな話をしながら、何か相談をすると、宮部さんは「宮城さんと相談してやりなさい」とよく答えていました。
 だいたい宮部さんは自分が前に出るということをしない人で、常に宮城さんを一番信頼する人として前に出していました。自分は後ろから支える形でやっていました。
 愛友会も協同組合懇話会も、宮部さんに相談にくる人はだいたいが現役でした。とくに懇話会のほうは地方からきている若手が目立ちました。
 愛友会のほうも会長の宮城さんを中心として現役の社長や専務がお見えになって非常に活気がありましたね。みなさんにはまだ若々しさがあったのです。宮部さんも七十歳代の現役で、今の私よりも、ちょっと若くて元気でした。
 鈴木(常) 私は谷さんから引き継いで赤羽さんに後をお願いするまで会長を務めさせて貰ったのですが、農協愛友会のことはそれまで話には聞いていたものの、よくよく知るようになったのは実は雪印にいってからのことですね。
 ですから、今回のような記念の時を捉えて座談会が開かれて、農協愛友会の様子が広く紹介されるのはいいことだと思っていますよ。
 私の勝手な思いですが、五十周年を迎える農協愛友会とは言え、これまではどちらかというと、知る人ぞ知るといった認識のされ方が強かったように思います。そこのところから脱却するチヤンスになればしめたものだと思います。
 追々、これから五十年後の会運営の課題等も語られるのでしょうが、よい知恵が出されることを期待します。
 中川 愛友会ができた三十二 年当時、私は全販連にいて県担当を五年、それから「ほかに誰もいないから」ということでコンピューターシステムの仕事をさせられましてね。したがって愛友会の存在すら知りませんでした。

座談会@
 単協と渡り合う≠ニいった仕事をしていたため、大先輩の宮城さんとか荷見さんとかは存じ上げてはいても直接そういう方々のお話を聞く機会もなかったのですよ。
 愛友会を認識し始めたのは全購連との合併後に全農の総務部長になってからです。各連合会の総務部長とか、その上にいる所管の役員と直接お話しする機会を持つようになって愛友会を知りました。

◆会員数は一進一退

川口克郎氏
川口克郎氏

 そのころ、全農のグランドOBである谷碧さんが、なぜか私を気に入ってくれて、多いときは週に二回も三回も私のところへきて昔話をしてくれました。その中で愛友会の話が出ました。
 昭和五十四年以降のことですが、谷さんが愛友会の会長になったのは昭和六十年十月ですから、その前のことだったと思います。
 私は最初、農協中央機関を横断する懇談会のような組織かなと認識していました。やがて谷さんは愛友会の事業や運営について「いろいろやっている」などと説明し「お前も参加しろよ」と勧誘しました。
 その後、私は全農をやめて全農管財株式会社のほうに移って、そこで愛友会と直接かかわりあうようになりました。
 行徳 愛友会とのかかわりで全販連と全購連には温度差がありました。全購連からは関連企業に何人かが行っておられて愛友会の会員が割りと多かったのですが、全販連は全然ではないけれども関連企業へはあまり行っていないのです。
 中川 当時、全販連としては再建整備に追われていて、そっちのほうの活動はあまりなく、役員たちも愛友会にはきちんと顔を出さなかったのです。
 私のころからようやく共栄火災さんへ何回か出向いて、話を聞いたりして、それで私が愛友会の副会長もして、お世話になりながら、こちらも世話役をするようになりました。
 それから話はちょっと変わりますが、愛友会のような親睦機関には浮き沈みがありますね。農協中央機関の事業の多角化にともなって設立される企業や団体が多い時期には加入が増えて会員数も百二十を超えました。
 しかし一方では情勢の変化で農協との事業上の関係が不調になったり、人事関係が薄くなったりということで退会する企業もあり、会員数は一進一退を繰り返してきたわけです。
 近年はいうまでもなく、経営の合理化・効率化でリストラが進んで会員数はぐんと減りました。しかし愛友会という親睦団体は厳然として存在し、五十年の歩みを続けてきました。
 そこでですね、愛友会と区別がつかないとよくいわれる協同組合懇話会。先ほどから時々話題になっている組織ですが、この際、協同組合懇話会と、もう少し事業提携というか連携していけば、もっと質が高いというか活性化できる仕組みができるのではないかという感じがします。思いつきのような話ですが、どうでしようか。
 山口 いま、谷碧先輩が「いろいろやっている」から「参加しろよ」と声を掛けた話が出たけど私も全く同感だね。
 折角、先輩方が苦労して系統と系統関係先の交流の場として農協愛友会を作ってくれたのだから、中央機関の現役・OBを問わず、行事の時には大いに活用しなくちゃ。案内も貰っているんだし、もったいない話だよ。
 現場の仕事が時代とともに専門化・細分化されてきている時こそ逆に農協愛友会みたいな組織の枠を超えた人的交流の場をなおさら大切にしていくべきだと思うね。
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(2007.10.31)

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