農業協同組合新聞 JACOM
   

特集 「食と農を結ぶ活力あるJAづくりと女性達の役割2008」


JA女性 かわろう かえよう 未来のために

黙っていてはダメ今こそ声を上げるとき

女 優 竹下景子さん

聞き手:作家・評論家 吉武輝子さん


 格差拡大の中で農村は空洞化し、食料自給率は40%を割り込んで、米価は低落。原油高で飼料や農業資材が高騰し、生産現場からは悲鳴が聞こえる。そうした中でも元気なJAを支えるJA女性部の活動がある。本紙は、そのパワーを確認するJA全国女性大会にエールを贈る対談を企画し、女優の竹下景子さんと作家・評論家の吉武輝子さんに語りあってもらった。話題は竹下さんが主演した芝居の内容を手始めに先進的な女性の生きかたや体制批判と女性の連帯、そして食や環境の問題などへと発展した。

女性の底力を信じて 変革の輪 拡大を

◆昔話ではない棄民政

竹下景子さん
たけした・けいこ
1953年名古屋市生まれ。
東京女子大学文理学部卒業。NHK「波の塔」でデビュー、大河などのテレビドラマ、映画、舞台に出演。今年6月名古屋・御園座「御いのち」に出演。

 吉武 竹下さんは昨年、「朝焼けのマンハッタン」というお芝居に主演して紀伊国屋演劇賞の個人賞を受けられました。石垣綾子さん(評論家)役を演じたご感想はいかがでしたか。
 竹下 大正デモクラシーの洗礼を受けて自由奔放な生き方をした女性が身近に感じられました。あの作品は石垣さんの自伝をもとにしたすばらしい作品です。私は石垣さんの名前だけしか知らなかったので、初めて著書を読む機会も得ました。
 石垣さんは背負っているもの全てをかなぐり捨てて米国へ行きますが、それは、お嬢さん的な行動ともいえます。
 吉武 テレビのレギュラー出演をご一緒した関係で、とても身近なお付き合いをさせていただきましたが、彼女は稀有な存在だと私は思います。国家が間違いを犯した時に、どうやって自分の座標軸をつくって生きていくかを示した女性としては最高の先輩だと思うのです。
 竹下 劇中で綾子さんの夫で画家の石垣栄太郎役の夏八木勲さんが「国というのはひどいことをするよ」と言います。戦前、大志を抱いて渡米した開拓農民は、移住後も苦労を強いられた上、生涯市民権を得られませんでした。その子供達日系二世は、アメリカ人になるために、両親の祖国を相手に志願兵として戦ったんです。
 吉武 小零細農家を見捨てるという今の農業政策なんかを見ても戦前の棄民政策と変わりありませんよ。
 竹下 そうですか。
 吉武 第2次大戦で米軍の死亡率が1番高かったのは黒人部隊、2番目は日系のパイナップル部隊です。貧しい日本の農民は新天地を求めてハワイへ移住しましたが、戦争が始まると収容所送りとか様々な問題が起こります。そこで2世たちは米国への忠誠心を示せば差別もなくなるだろうと志願兵になってパイナップル部隊が編成されます。
 そして最も危険な前線に送られ、たくさんの戦死者を出します。石垣綾子はニューヨークで、そんな状況を見ていました。

◆出生時に国は選べない

吉武輝子さん
よしたけ・てるこ
1931年芦屋市生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。作家・評論家。小説、評論、伝記などの著書多数。近作は「病みながら老い3時代を生きる」(岩波ブックレット)、「老いては子に逆らう」(講談社+α文庫)。

 竹下 歴史や情勢を見るには世界の中の日本という視点が必要だと思います。石垣さんはその立場で、当時の情勢を受け止めて1つ1つ声を上げていたのですね。それらが今につながっています。それにしても今の世の中は何となく事なかれというか日和見というか閉塞感があって重い感じがします。
 吉武 個人の持つ底力を信じなさ過ぎますね。石垣綾子さんはそれを信じていました。
 竹下 日記を読むと、あの人は食べることが好きでした。面白かったのは昼食と書かないでヒルメシと書いたり、また「おいしい」でなくて「うまい」などと書いている。お嬢様、率直で飾らない方だなと。
 吉武 竹下さんは「朝焼けのマンハッタン」に続いて「海と日傘」の主役・直子を演じていましたよね。
 竹下 私は2作品に主演しており、合わせて紀伊国屋演劇賞の受賞対象になりました。
 吉武 「海と日傘」のヒロイン直子の死因が一緒に見に行った30代の女性には分からなかった。戦前育ちの私には舞台が九州だから原爆症だと分かりましたけど。
 竹下 作家の意図として実験的に敢えて描かなかったということのようです。それで私は演出家に聞いたところ「作家は長崎県出身だから、僕は原爆症だと解釈している」との答えでした。私も死因は白血病であると解釈して演じました。
 吉武 原爆投下を次の世代へ語り継ぐためには、きちんとヒロインの死が原爆症であることが誰にでも分かるように書きこんだほうがよいと思います。
 要するに人間は、どこの国に生まれたら良いか選べないじゃありませんか。それでいて国が政治の過ちを犯した時は原爆を落されていのちを奪われたり、棄民されたりしてツケを回され、それを引き受けなくてはなりません。
 だから石垣綾子さんのように個人の底力を信じ、イヤなことはイヤだといわなくてはなりません。そのことを次世代へ伝えていくためには次から次へと語り部をつくる必要があります。でないと今、政治がどっちの方向へ動いているか認識できません。
 とにかく2本ともとてもいい芝居でした。農村の人たちも見られるようになれば良いと思います。

◆育っていない大人たち

 竹下 できれば、これからは地方も回って“出前”の公演をやりたいと思います。
 私は一昨年、「燐光群」という劇団に客演で参加しました。チェックポイント、検問所をモチーフにした作品でしたが、そこでも、今の世の中を黙って見ているだけで良いのかという熱い思いが語られていました。
 芝居の持っているエネルギーはそうした思いを糧にして社会に訴えていく力を発揮します。また私たちはそれを信じないと走り続けられません。
 吉武 私が「置き去りサハリン残留日本女性たちの六十年」(海竜社)という棄民の本を書いた時に竹下さんはあとがきのあとがきという形でお父さまの思い出を書いてくれました。すばらしい文章だった。JAの女性のためにお父さまの思い出を語って下さい。
 竹下 父は九州で4人兄弟の次男に生まれ、当時の満州に理想の国家を建設しようと渡しました。ところが終戦直前に召集され、その時シベリアに抑留されました。
 帰国後は国家公務員となり、40歳を過ぎて弁護士になりました。私が「悪いことをした人の味方になるの?」と聞くと「弱い人や貧しい人達のために働くんだよ」と話をしてくれた記憶があります。
 困っている人を放っておけない性格だったのだと思います。若いころは文学青年で、私にはお土産によく本を買って来てくれました。父のシベリア抑留の話から私はラーゲリとかダモイなどというロシア語を覚えました。
 旧満州には棄民として生きざるを得なかった開拓農民などがたくさんいました。そこで思うのですが、歴史やニュースはデータとしては残りますが、人の心にはなかなか残りません。しかし記憶は、個々の人間の生きた証し。だから人の心を打ちます。私も父の話などをしっかりと記憶して次世代に伝えたいと思います。
 吉武 竹下さんにはお子さんが二人いらっしゃいます。食べることについてはどういう点に重きを置いてこられましたか。
 竹下 まず食べることを大事にしてほしいですね。地球上には餓死する子どもも多いのですから。また食べることは、ほかの命を食べることだということもわかってほしいのです。流通が便利になればなるほど実感し難いと思いますが。
 わからせるのは大人の義務ですが、その大人がきちんと育っていないのが問題で、私にもじくじたる思いがあります。

◆利益よりも生命が大切

 吉武 命の糧を供給する農業者や漁業者が大切にされない時代だから、ほかの命を食べているんだという想像力も利益第一主義のなかで、どんどん欠けていきます。食品表示をめぐる不正事件も後を絶ちません。
 竹下 命の大切さは自然が教えてくれるのですが、子どもたちは自然から切り離されています。また、そのことを不思議に思わない大人も増えています。例えば川のそばに近寄ると危ないからといって自然から遠ざけようとします。
 これに対して北海道には倉本聰さん主催のNPО法人富良野自然塾があります。私はそこで2年前から環境教育プログラムのインストラクターをしています。夏休みのキャンプに来た子どもたちに自然のすばらしさ、はかなさ、自然を守ることの大切さなどをボランティアで教えています。
 吉武 竹下さんは本当に地道にボランティア活動をつづけている。竹下さんのがんばりはJAの女性に通ずるものがある。今は農業を営む人の過半数が女性です。
 竹下 えっ、そうなんですか。専業農家が少ないからですか。
 吉武 そうです。男は勤めに出て農業は女性が担っているのです。だからJAの女性たちは個人々々の力を信じるようになってきて、安全な農産物をどうやってつくっていくかとか、利益よりも命が大切なのよといった発信を女性から出しています。女性部の活動も活発です。
 竹下 それは切実な問題ですもんね。私たちは安全と安心については食品企業からだまされ続けてきましたから。
 吉武 石垣綾子さんとJAの女性たちを重ね合わせると、ほんとに「維新」を起こすのは女性なんだという気もします。
 男性たちは組織に組み込まれていると、少しはご褒美も出ますから、だんだん自分の「個」がわからなくなります。女性はかなり農協活動をしても理事になるのは難しく、ボランティア的要素が強いのです。
 勝ち組、負け組などと格差が広がり、命がないがしろにされる中で、みんなが手を差しのべ合って輪を広げれば世の中を変えていくことができるだろうというメッセージを伝えていく「ななにん会」を立ち上げたいと、竹下さんに声をおかけしたらすぐさま参加して下さった。ボランティア的要素の強いこの会は、語りと朗読で「平和・いのち・やさしさ」を発信する会ですが、メンバーは竹下さん、岩崎加根子さん、高田敏江さん、クミコさん、深野弘子さん、それに自称座長の私。しみじみ女っていいなって感動しました。

石垣綾子(1903〜96年)
 昭和初期に外交官夫人の姉について渡米。画家の栄太郎と結婚。一貫して日本の軍国主義と侵略戦争に反対。全米で講演会を開いたりした。戦後、帰国して女性の恋愛、結婚、職業などで新しい生き方を提示する評論などを展開した。
「朝焼けのマンハッタン」
 石垣夫妻の米国での日々を描く斉藤燐作の戯曲。地人会主催で昨年7月公演。綾子役は竹下景子。

吉武さん×竹下さん

インタビューを終えて
 竹下景子さんとはかって神楽坂女声合唱団のお仲間だった。忙しい仕事の合間を縫って実に几帳面に月3回の練習に出席していた。神楽坂女声合唱団はスターシステム的傾向が強く1回も練習にでない人でも、メディアでの露出度の強い人はディナーショーの当日、主役を張ることが多かった。だんだん仕事が忙しくなり、練習にでることができなくなってきた竹下さんは、「わたくしは合唱が好きで参加した。まじめに練習をしている人に光が当たらないのはおかしい」と言って退団していった。かって「フランシーヌの場合は」でミリオンセールを出した歌手の新谷のり子さんも同じ理由で団を辞めていった。新谷さんは長年にわたる心の友だが、竹下さんとは、合唱団で始めて出あった仲だったが、人生に対するまっとうさ、誠に率直、素朴な感覚にすっかり惚れ込んでしまっていた。彼女の人柄と磨きのかかった演技力が花と咲き、第2の最盛期のまっただ中にあるが、私が惚れ込んだまっとうで当たり前の感覚にはいささかの崩れがないことが、インタビューのさなかに確認され、こうした後輩がいてくれるからかろうじて世の中の人間らしさが保たれていると、幾たびも熱いものがこみ上げてきた。希望と勇気を後輩からいっぱいいただいたひとときだった。竹下さんありがとう。(吉武)

(2008.1.30)

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