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コラム
大宇宙・小宇宙

名称の由来

 パレスチナ難民とイスラエル側との間で、涯しない果たし合いが続くが、この問題に関連して登場する名称の多様さは、われわれにとっていささか分かりにくい。
 というのも、この地域の4千年にさかのぼる歴史と、旧約聖書についての知識が前提となっているからにほかならない。
 パレスチナ(palestina)は、西南アジアの地中海東岸一帯を指す地名で、古代エーゲ海北部から移住してきたペリシテ人の名に因んだ「ペリシテ人の土地」の意で、ペリシテそのものは、古代ギリシャ語で「俗人」を表している。
 第1次大戦以降のパレスチナの範囲は、イギリスの委任統治領の地域(2万7千平方メートルで、四国と鹿児島県を合わせた程度の面積)を指している。
 パレスチナ難民と呼ぶゆえんは、この地での1948年のイスラエル共和国建国や、その後の占領などの余波で、永らくこれら地に住んでいたイスラム教徒たちが、ユダヤ人入植のため、イスラエル政府により、着の身着のまま自宅から放り出されたからである。
 古代、この地は地中海特産のアッキ貝からとった紫紅色の染料で染めた衣装をまとった人びとが住んでいたので、カナーン(Canaan:紫の地)とも呼ばれ、「乳と蜜の流れる豊沃の地」であった。
 紀元前2千年ころ、メソポタミヤから追われた人びとは、旧約聖書によれば、ヘブライ人の祖アブラハムが、ヤーウェ(Yahweh:彼らが信じる唯一神)から受けた「カナーンに行け。その土地を子孫に与える」との啓示に導かれて、荒野を旅し、カナーンに入った。
 先住民は、荒野から自分たちの沃地に入ってきた遊牧民を、一般的に「ユーフラテス川の向こう(eber)からきた人」という意味で、ヘブライ人(Hebrew)と呼んだが、この言葉は次第に「選民」としての呼称に限定され、神に選ばれたユダヤ人を表わす最も古い別称となっている。
 さて、アブラハムの孫ヤコブが、ある夜、天使と戦う夢をみ、yisra(戦う)とel(神)からなる「神の戦士」イスラエル(Israel)がヤコブの称号となった。これが現共和国名の淵源にほかならない。
 その後、ヤコブの末えいの12部族は、エジプトへの移住中、「イスラエルの子等」と呼ばれたが、モーセがシナイ山で聞いた神の声「エジプトで苦しんでいる仲間を救ってカナーンに行け」により、紀元前13世紀に脱エジプトを果たし、カナーンの地に戻った。
 時代は下り、前10世紀にダビデが定めた都エルサレムのシオンtsiyon(丘の意)に、子のソロモンが神殿を建て、モーセの十戒を刻んだ石板を収めた。この両王の時期は、統一王国として栄華を極めた。
 しかしながら、前925年に王国は南北に分裂、北の部族はイスラエル王国を、同じくユダ(judah)の流れをくむ南の2部族はユダ王国を築いた。
 前者は前723年にアッシリアにより命運を絶たれ、以後、歴史から姿を消した。一方ユダ王国も前586年に新バビロニアに滅ぼされ、支配者層は捕囚の身となったが、前539年、今度は新バビロニアがペルシアに倒されたので、捕囚のユダヤ人は、カナーンに帰還できた。
 そこで神殿が再建されたが、紀元後70年にローマに対し反乱を起こし、鎮圧された結果、神殿は破壊され、135年の重ねての反乱で、ユダヤ人の大半はディアスポラ(diaspora:離散状態)となった。
 このように2千年近く前に各地に離散した人びとは、唯一神ヤーウェへの信仰と、前1世紀ころ最終的な編集をみた旧約聖書等に書かれている教えを忠実に守ってきた。
 その人たちの悲願は、ヤーウェの住まうシオンの丘のある土地に祖国を再建すること(シオニズム)であったが、1948年5月14日、テルアビブ市で「イスラエル国として知られることとなるユダヤ人国家を樹立する」と宣言し、悲願が達成された。
 シオンの所在するエルサレム(jerusalem)は、ヘブライ語のイエル(jeru:町)と、シャレイム(shalayim:平和)とを重ねた「平和の町」の意である。
 その地で、テロと報復、インティファーダ(民族蜂起)と鎮圧が続くのは、まことに皮肉なことであるが、一刻も早い「平和の町」の実現を願わずにはいられない。  (MMC)


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