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定年からが本番だ

定年からが本番だ
河野芳郎

【発行所】文芸社

【発行日】2008年3月15日

【電   話】03(5369)2299

【定   価】1300円(税込)

評者名:河野芳郎
仏国土をつくろう会会長

 大望を抱いて堂々と出発を  私は40代半ば全農本所の課長時代から鎌倉円覚寺の朝比奈宗源管長様に師事しました。管長様は私を大変かわいがって下さり、「丈夫たれ!」のご訓誡を下さいました。また、君は性格から宗教教育家が適任だとアドバイスして下さいました。定年後、私は全農から派遣されて関連会社の常務をしていましたが、2年経って朝比奈管長様の御導きに生きることを誓って、会社役員を自ら辞めて「仏国土をつくろう」の発願をしました。 仏国土をつくるなんて常識はずれの発願でありますから、家族は勿論相談したすべての人が必ず失敗する、そんなことは止めよと忠告しました。しかし私は朝比奈管長様の「丈夫たれ」の御導きに...

 大望を抱いて堂々と出発を

 私は40代半ば全農本所の課長時代から鎌倉円覚寺の朝比奈宗源管長様に師事しました。管長様は私を大変かわいがって下さり、「丈夫たれ!」のご訓誡を下さいました。また、君は性格から宗教教育家が適任だとアドバイスして下さいました。定年後、私は全農から派遣されて関連会社の常務をしていましたが、2年経って朝比奈管長様の御導きに生きることを誓って、会社役員を自ら辞めて「仏国土をつくろう」の発願をしました。
 仏国土をつくるなんて常識はずれの発願でありますから、家族は勿論相談したすべての人が必ず失敗する、そんなことは止めよと忠告しました。しかし私は朝比奈管長様の「丈夫たれ」の御導きに生きる人生かけた誓願を周りの反対ぐらいで止めることはできませんでした。それだけに私の決心は悲壮なものでした。
 難しい発願であってもお釈迦様の教えを実現しようという聖願でありますから天下の名僧松原泰道先生、天台宗大僧正室生貞信先生お二人の名僧が会員となって積極的にご協力下さいました。また、私の発願をマスコミが取り上げてくれました。続いて毎日新聞が1頁大、私の写真入りで全国版に紹介してくれましたので会の規模は全国に広がり、会員は急激に増えました。
 私は熱心な観音信者でありますから、仏国土の会の本尊様は観音様としました。このことを知られた日本一の大仏師松久朋淋先生が会員になって下さり、仏国土観音様を彫って下さいました。それで観音様を奉安するお堂を建設しなければなりませんが資産はなく苦悩しました。
 こんなとき、私は何故か熱海の興亜観音にお参りしたくてたまらなくなってお参りしました。ここで私は二人の女性の方にお会いしました。この女性の方々は比叡山延暦寺様とご縁の深い方で、比叡山の名僧小林執行(しぎょう)様をご紹介下さいました。かくて日本仏教の母山延暦寺様と仏縁ができ、仏国土観音様を横川中堂に奉安させていただくこととなりました。 私は円覚寺で学んだ日供(にっく)の実践を十円日供として仏国土の会実践事項に取り入れました。
 この金はインドに帰化した日本僧佐々井秀嶺師に布施します。佐々井師はこの金で恵まれぬ貧しい人達のために学校と病院を建設して下さいました。インドの人達に大変感謝されています。
 私は感ずるところあり、日の出を拝み、長谷観音に早朝参りの千日行を発心しました(当時、鎌倉の稲村ヶ崎に住んでいました)。
 満願して間もなく、ある方に誘われて南房勝浦に来て観音聖地を建設することとなりました。この串浜の聖地に23尺の石仏大観音、慈母観音、参道には百観音が建立されました。立派な心願堂、南天精舎も建って一大聖地が実現しました。
 「仏国土をつくろう」の発願から苦節25年。100パーセント失敗が決まっていることを何故やるか、と批判された私の発願は間違っていなかった。
 私にとっては願いを超えた心願成就、最高の人生実現であります。
 正しい大願は信念をもってやれば協力して下さる方は必ず出現します。願いは必ず実現します。
 定年は新しい人生の始まりです。大望を抱いて堂々と出発して下さい。   合掌

(2008.04.03)