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始まっている未来新しい経済学は可能か

始まっている未来新しい経済学は可能か
宇沢弘文・内橋克人 著

【発行所】岩波書店

【発行日】2009年10月14日

【電   話】

【定   価】1470円(税込)

評者名:北出 俊昭

 本書は宇沢弘文、内橋克人の両氏の4回の対談と二つの補論からなっているが、そこに一貫して流れているのは市場原理主義に対する厳しい批判とそれに代わる新しい経済学の理念と必要性についてである。近年、"経済学とは何だろうか"という疑問がよく聞かれた。その後、市場原理主義が強調され経済的、社会的、地域的な格差が拡大すると、この疑問は経済学への不信にまで発展するほどになっている。本書では経済学がこうした状況に陥った要因を歴史的な経過も含め理論的に明らかにし、新しい経済学について語られている。

人間が人間らしく生きるための経済学とは?


 本書は宇沢弘文、内橋克人の両氏の4回の対談と二つの補論からなっているが、そこに一貫して流れているのは市場原理主義に対する厳しい批判とそれに代わる新しい経済学の理念と必要性についてである。近年、“経済学とは何だろうか”という疑問がよく聞かれた。その後、市場原理主義が強調され経済的、社会的、地域的な格差が拡大すると、この疑問は経済学への不信にまで発展するほどになっている。本書では経済学がこうした状況に陥った要因を歴史的な経過も含め理論的に明らかにし、新しい経済学について語られている。
 経済学における市場原理主義はミルトン・フリードマンをリーダーとした経済学者により主張されたが、それは“最小の費用で最大の効果”の理念をさらに推し進め、人間の「生命」をも「効率」という天秤にかける理論である。これは「儲けるために法を犯さない限り何をやってもいい」という、経済学というより一種の信念であり、イラク戦争、サブプライムローン問題などアメリカが直面している困難の原点でもある「悪魔的」考えであるとする。
 日本が細川内閣から、とくに小泉内閣になって「規制緩和一辺倒」、「規制緩和万能論」一色に染め上げられたのも、「その毒を飲んだ」経済学者、つまり「フリードマンそっくりさん」達の政策によるものであり、このパックス・アメリカーナと市場原理主義にこそ日本が直面している危機の要因と深刻さがあると強調されている。これはまったく正当な指摘であるが、また非常に勇気のある発言でもある。
 現在、このパックス・アメリカーナの崩壊が始まっているので、世界と日本の危機を克服して、人間らしく生きるための新しい経済学について語られていることが、本書のいまひとつの特徴である。本書で宇沢氏は持続的な経済発展には社会的共通資本がリベラリズムの理念にしたがって運営される必要があると述べられているが、それはJ・S・ミルの「定常状態」を実現するための制度を具体的な形で考えたものであるという。周知のように、ミルの「定常状態」の理念は経済的進歩よりは人間的進歩を重視したものなので(杉原四郎)、新しい経済学は人間が人間らしく生きるための経済学ということができ、内橋氏が主張される「共生経済」、「FEC自給圏」も同様である。
 また、宇沢氏はミルの「定常状態」はアダム・スミスが展開した古典派経済学のエッセンスであるともいわれている。アダム・スミスの著作には自然的自由、自由競争の言葉はあるがどこを探しても自由放任という言葉はないので(高島善哉)、ミルの「定常状態」、したがって新しい経済学の理念は市場原理主義の対極にあるということもできる。
 さらに、補論1は農業協同組合新聞紙上における梶井功氏司会の2回の鼎談を整理したもので、経済学が直面している危機との関係で農業問題を理解することができ、補論2は宇沢氏の著作から社会的共通資本にかかわるところを抽出したものである。
 いずれにしても本書では、「煮えたぎるほどの熱い論述」で「歪んだ日本のこれまで」がえぐり出されている。「これ以上黙ってはおれない」として「これまでパブリックな席で話さなかったこと」が話されており(宇沢氏)、また、「個人攻撃を最も好まないがその居直りぶりに息をのむ」ほどであり(内橋氏)、それ故「改革者を名乗った学究者たちの正体」が実名で遠慮なく暴き出されている。
 これは読む人に強い興味とともに深い感動を与える。また、対談なので読みやすい。本書が多くの読者を得て、新しい経済学確立への確実な前進が図られることを期待したい。農業・農協関係者もその一翼を担いたいものである。

(2009.11.30)