コラム

目明き千人

一覧に戻る

【原田 康】
「四周遅れのカンボジア」

 この欄の2005年11月に「三周遅れのカンボジア」を書いたが、今回行った農村は日本に比べて四周遅れである。カンボジアはインドシナ半島の下の方、南にあってタイ、ラオス、ベトナムに囲まれている。面積は日本の約半分、人口は1340万人(2008年)で人口の80%が農村に住んでいる農業国である。

 この欄の2005年11月に「三周遅れのカンボジア」を書いたが、今回行った農村は日本に比べて四周遅れである。カンボジアはインドシナ半島の下の方、南にあってタイ、ラオス、ベトナムに囲まれている。面積は日本の約半分、人口は1340万人(2008年)で人口の80%が農村に住んでいる農業国である。
 カンボジアは、1953年にフランスから独立したが、1965年からのベトナム戦争では両国の長い国境線のホーチミンルートが戦場となり東西冷戦に巻き込まれた。その後も1990年の初めに小康状態になったが再び内戦が起き、カンボジアの「戦後」は2000年になってからという不幸な歴史である。
 首都プノンペンから110kmの近郊にあるロンコール村にはまだ電気がない。稲作も田植えから収穫、脱穀まで全部手作業で小型の耕うん機もまだ入っていない。
 農家は玄米ではなく籾を産地集荷業者に庭先で現金で売っておしまいである。この村には農協のような組織はない。カンボジアの人は相互扶助、助け合いを共同ですることが不得手で、農村によっては農協もあるが共同出荷、共同販売は難しくて出来ていない。
 一方で、首都にはスーパーマーケットや、小型のコンビニが出来ており、若い人はアイフォンやコンピューターを手放せないといった姿となっている。
 小売店で売られている野菜も主要なものはみなベトナム産で7割くらいを占めている。リンゴも中国のふじ、アメリカのスターキングのSSクラスがどんな田舎の小売店にも並んでいる。コメはさすがに自給率120%である。
 プノンペンから車で約3時間のベトナムとの国境に行ってみた。
 国境は農村地帯で幅18mくらいの道に小さな番小屋があり制服を着た係官が2〜3名いた。
 竹竿の遮断機は上がったままで、両国の国旗が立ててあるので国境であるとわかる。
 地元の人たちはバイクも自転車も自由に通っている。20トンの大型トラックが荷物を満載して何台も通ったが、徐行はしてもそのままノーチェックで検問はしていない。村の人は、外国人や普段通らない車は検問をするといっていた。
 隣同士の国であるのでいがみ合って紛争を起こすよりはよいが、ベトナムが数歩進んでいるだけにカンボジアは原料を持って行かれ、製品が安く入ってくるという姿になっている。

(2011.11.30)