コラム

「正義派の農政論」

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【森島 賢】
拝金主義農政への危うい転換

 全中が政策提言案をまとめた。第1の提言は、直接支払制度の創設である。来月の理事会で正式に決定する予定だという。いよいよ、農協は直接支払制度を政策要求の基本に据えるのだろうか。
 直接支払制度とは、市場価格が下がって今後の生産の継続が危ぶまれ、農業が衰退することを食い止めるために、政府が農業者にカネを支払って生産を続けてもらう制度である。
 いい制度のように見えるが、そうだろうか。農業者の心をむしばむ制度ではないか。

 市場価格が正当な価格になっていれば、今後も生産を続けられるし、農業が衰退することもない。
 だが、そうでない場合には、政治が採るべき方法に2つある。1つは、市場価格が正当な価格になるように、政府が市場に介入して誘導する方法である。もう1つは、市場価格と正当な価格との差額を政府が農業者に直接支払う方法である。
 こんどの提言案は、後者の直接支払制度の創設である。

 この制度は、市場価格こそ正当な価格であって、それで農業を継続できないのは、市場側ではなく農業側に問題がある、農業関係者が怠けているからだ、として市場原理主義者が考え出したものである。
 これまでは、政治が市場に介入して、市場価格を「歪めて」高くし、消費者が「不当」に高い価格で買わされて、つまり消費者が負担して、農業を維持してきたが、これからは、市場価格の「歪み」を正して安くし、それで農業が維持できないのなら、政治がしばらくの間、農業者にカネを支払って、農業を維持するのがよい、というのが彼らの考えである。
 つまり、これまでの消費者負担の農政から、財政負担の農政へ転換すべきだ、という。そうすれば、農業を維持するための費用、つまり、農業保護の程度が透明になるという。
 無知な消費者に分かりやすくする、というのだろう。だが、消費者は無知ではない。大多数の聡明な消費者は騙されない。それは農業保護の程度を示すものではなく、市場の不当性を示すものである。透明にして糾弾すべきは、農業関係者ではなく、市場の不当性なのである。

 この考えの底流には、市場価格を安くし、いわゆる消費者の負担を少なくすることで無知な消費者を味方につけ、政府が支払うカネを、次第に減らすべきだ、という考えがある。
 こうした考えを、農協は受け入れるだけでなく、積極的に政策として要求する、というのだろうか。
 市場価格は決して正当なものではない。提言でも言っているように、食糧安保など農業の多面的な価値を無視した不当なものである。だから、不当な市場価格を正すことが本筋ではないだろうか。不当な市場価格をそのままにしておいて、不当な分を政府が支払うというのは、筋違いというべきだろう。まして、支払うカネを次第に減らしていく、というのである。

 米の場合を具体的に考えよう。これまで市場原理主義者は、日本の米価は高いといってきた。国際米価が正当な米価で、それと比べて高いというのである。高いのは確かである。それは、この欄でも述べた。しかし、比較する国際米価は正当な価格ではない。そのことも、この欄で述べた。考えを続けよう。
 彼らは、日本の米価を「正当」な国際米価にまで下げようとしている。国際米価は、いま3000円(玄米60kg当たり、以下同じ)程度である。それに対して生産を続けられる正当な価格を1万5000円程度と考えよう。だから、その差額の1万2000円を直接支払制度で政府が農業者に支払うことになる。つまり、収入の大部分を政府に頼ることになる。

 こうした制度を農協が要求することになる。だが、農業者は受け入れるだろうか。農業者は収入が1万5000円になりさえすれば、それが市場からでも、政府からでも、どこからでも支払われればよい、と拝金主義者のように考えているのだろうか。
 そうではなくて、市場がきちんと正当に評価して、市場が1万5000円を米価として農業者に支払うべきだ、と農業者は考えているのではないだろうか。そうした心情を持っているのではないだろうか。それなら、農協は、そうした要求をすべきだろう。
 そのためには、農協は政府に対して、米粉などの新しい需要を飛躍的に拡大するための支援に全力を尽くし、また、公約どおりに300万トンの棚上げ備蓄を早急に実行して、市場米価を1万5000円に近づけることを要求すべきだろう。だが、提言案には米粉の文字はどこにもない。
 蛇足を1つ。口蹄疫で殺処分と決まった牛に、餌を与え続けている農業者の心情を、現場の農協組合長が日本農業新聞で淡々と話していた。拝金主義者にはできないことだろう。

(前回 米の不適切な値引き圧力

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(2010.05.24)