コラム

思いの食卓

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【秋貞淑】
食卓の持つ表情から

 狭い我が家では、リビングとダイニングとが別々になっておらず、リビングの一方に食...

 狭い我が家では、リビングとダイニングとが別々になっておらず、リビングの一方に食卓が置かれている。椅子が4脚セットになっている、楕円形の木製で、来日した当時、必要に迫られ、急いで購入したものである。
 18年間使っているので、それ相当の傷は付き、どことなく古びた感じがする。それに、後で気付いたことだが、楕円形は余計なスペースを取ってしまう嫌いもある。
 引越しの時や部屋の模様替えをする時など、この際、思い切って買い替えようかという衝動にかられることもあったが、これといった不具合があるわけではなく、年を重ねることに、その傷よりはるかに多い思い出が刻まれてしまい、今は、ある種の愛着が湧き、手放す気持ちはなくなってしまった。
 そういえば、このコラム名は、「思いの食卓」である。このタイトルを選んだのは、食とは、確かに人間の生命保持のための必須要素ではあるが、それと同時に、人間の精神的・社会的欲求を充足させる有効な媒体でもあり、その後者のほうに比重を置いてみたいという思いからであった。
 いわば、食とは目的であると同時に手段でもあり、その食が置かれ、行われる食卓とは、食を作る人とそれを食べる人(これを拡大してゆくと生産者と消費者との関係になろう)、または、その食卓を囲む者同士が、食べ物を媒体に、こぼしてみせる種々の思いの受け皿の役割も担っている。
 食べ物が媒体となる思いの伝達の身近な例として、日本人の家庭によく見られる仏壇を挙げることができる(韓国にはない風習である)。その仏壇は、生者が死者をもてなす食卓としての役割を兼ねているのである。
 日本の仏壇のみならず、世界の諸民族は、冠婚葬祭などの通過儀礼や宗教的行事の際、何らかの飲食物を媒体として供え、神との関係を求めていて、その祭壇も、時空間を越えた者同士間の食卓として位置づけることができる。
 ついでに、今でも時々思い起こされ、その度に胸が一杯になる私の思い出の食卓を紹介してみたい。
 小学校の時分の我が家の食卓である。学校から帰ると、卓袱台の形をした小さい食卓は、きれいな刺繍が施されたお膳かけが被され、部屋の片隅に置かれていた。母が準備しておいた夕飯であって、箸の横にはいつも手紙が添えられていた。母の居ない家は寂しく、友だちと遊んで帰りたいと思っても、寂しい部屋で私の帰りを待っている母の手紙を思うと、寄り道ができず、急ぎ足で家に向かった。
 母の手紙を取り、一字一字大きな字で丁寧に書かれたその文面を追ってゆくと、得体の知れぬ悲しみや母への恋しさが襲ってきて、喉を詰まらせながら、ご飯を口に運んだのが、一度や二度ではなかった。
 その母が世を去り、その時の卓袱台みたいな食卓も、母の手紙の数々も既に無くなってしまったものの、母の愛情のこもった食卓の風景は、色褪せることなく私の心に刻まれている。
 さて、18歳になる我が家の食卓も、来日当時の心細かった我が呟きや夫と語り合った将来の夢をはじめ、その食卓を一緒に囲んだ多くの友人・知人がこぼしてくれた笑いと涙、そして、喜びと悲しみの声を受け取ってくれている。これからもこの古い食卓を通して更なる愛情と友情を育んでゆきたい。

(2008.02.13)