コラム

思いの食卓

一覧に戻る

【秋貞淑】
住処物語 ―10度目の引っ越し

 人間は、どこかで生を得、幾つかのどこかで生を営み、そして、どこかで生を終える。...

 人間は、どこかで生を得、幾つかのどこかで生を営み、そして、どこかで生を終える。生を得るどこかをはじめ、われわれが身を置くどこかは、運命的な付与としか言いようがない場合が多くあるものの、日頃、われわれは、人間の意志を超える力の働きなど意に介さず、節々訪れる人生の転機に際し、その住処を変えてゆく。
                         *    *
 来日してから18年、これほど長期滞在なら、日本に住み着いて18年、と言うのがよさそうだ。今のところ帰国する予定もなく、住み着いたついでに、この辺で賃貸暮らしを清算し、もう少し落ち着いて住み着くのも悪くない、という思いを抱くようになった。それから数ヶ月、今住んでいるところの近くに適当なマンションが見つかり、3日後、引越しを控えている。
 極力物を持たない生活を心掛けていたものの、いざ引越しの準備に取り掛かると、やはり処分を要する物が少なくない。ここ数日、暇を見つけて片付けに取り掛かっていると、これまでの10回の住まい探しにまつわる苦い思い出が頭をよぎる。
 例外はあろうが、異国暮らしとは、地縁・血縁はむろん、人脈の乏しい環境での生活である。学校や職場などの支援を得ることもあるが、住まい探しは、基本的に、自ら不動産屋を訪れることから始まる。
 外国人というだけで門前払いを食わされたことが一度や二度ではなかったし、運よく物件リストを見せてもらっても、「水商売・ペット・外国人不可」という文言が太字でくっきりと明示されているのが大半であった。それらの条件が付いてない場合は、古びた安いアパートか、数十万を超える高級マンションかであって、一般のニーズがありそうなところは見せてもらえない場合が多かった。「外国人なんだから貸してくれるだけでありがたく思え」と言われ、そのまま店から出てきてしまったこともあった。時には、「貸してあげたくても、外国人はトラブルを起こすことが多くて」とやんわりと断られたり、「西洋人は靴のまま部屋に上がりこみ、中国人は部屋を汚く使い、韓国人は気が強くてうるさい」といった異文化論を持ち出して断られたりもした。
 とはいえ(にもかかわらず)、今までそれなりの住まいを得て、それなりに楽しい暮らしをしてきているのは、色々な人の助けがあってのこと。感謝を忘れまい。
 周囲の助けといえば、友人の面白い呟きが思い出される。随分前のことだが、金沢に新設されたある大学院に移った友人は、その町に転入してきた初の留学生であって、町内会が歓迎パーティーを開いてくれたそうだ。皆の前で挨拶し、歌を披露したまではよかったものの、世話役を買って出たおばさんたちが差し入れなどを携えて代り番こで訪ねてくるので、いつも身の回りをきちんとしておかねばならず、おちおち気が休まらないとか。ちなみに、友人は、今の韓流スターに引けを取らない格好良い青年。
 今は昔とは違って、外国人の数も多く、外国人に対する認識も変わってきていて、不動産屋の敷居は大分低くなってきている。「水商売・ペット・外国人」の3点セットの文言はほとんど見当たらなくなった一方、最近は、「ペットOK」という売り文句がやたらと目立つようになった。まさか、ペットが優遇されるようになったから3点セットの文言が消えたということではないだろう。
                         *     *
 新しい住まいが新しい出会いをもたらしてくれることを期待しつつ、日本での11度目の住処に移る。

(2008.10.29)