コラム

思いの食卓

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【秋貞淑】
春の訪れ―感謝と労わりを

 ひな祭りの節句である3月3日、仕事を終え、雨が雪へと変わる夜道を急ぎ足で帰って...

 ひな祭りの節句である3月3日、仕事を終え、雨が雪へと変わる夜道を急ぎ足で帰って来ると、親しい友人からの郵便物が、私の帰りを待っていた。
 それには、お勧めの本2冊と、近況を綴った可愛い小鳥の絵葉書が入っていた。
 近況の文面には、早春の庭先の様子・出来事が津々と語られている。梅の花が咲いたこと、訪ねてくる小鳥たちを迎えるために、割り箸に刺して木の枝に掛けてあったりんごやみかんを、カラスが割り箸ごとくわえて持ち去ったこと、再度工夫を凝らしカラスに見つからないように茂みの中に隠れるようにしておいたこと、はじめて出会った小鳥の顔貌の細かい描写、そして、鶯が訪ねてきたこと等など。
 なるほど、小鳥の絵葉書はたまたまではなく、文面とのつながりを持つ厳選されたものであったのだ。彼女らしき繊細さである。
 何度かお邪魔した友人宅の庭の光景と、縁側のテーブルに腰掛け、庭先の春を堪能しつつ「招かれざる客」を見張っている(だろう)友人の様子が目に浮んできて、自ずと笑みがこぼれる。
 そういえば、『古今集』の春歌には、梅と鶯と雪が盛られた早春の歌が何首か詠まれてある。その中うろ覚えの一首、「梅が枝に来ゐる鶯春かけて鳴けどもいまだ雪は降りつつ」を口ずさみながら、ベランダに出てみると、せっかくの雪は、惜しくも積もる気配のない霙となって風に巻かれ乱れ落ちていた。
                          *   *
 風情のある友人の便りとは対照的に、ここ数日、花粉症の症状が出はじまったので、「ああ、春が来るのだ」と感じていた私である。
 十年以上花粉症で苦しむ夫を見ながら、「日頃の行いが…」云々と、悪たれ口をたたいていたのに、そのつけが回ってきたのか、去年から夫を凌ぐひどい花粉症に見舞われるようになった。今年はそれに拍車をかけて、鼻水やくしゃみだけではなく、目の痛みまで加わった。
 締め切った室内で、空気清浄機をつけていてもこれといった効果はない。唯一その症状が治まる場所が風呂場であることに気付いた。しかし、風呂好きの私であっても、いつまでも入って居られる避難処にはなれない。
 韓国には、今のところ、花粉の被害がないらしく、この時期になると、メディアは、マスクやゴーグルなどを着用した日本の都会人の様子をよく報道する。まるで、日本の春の風物詩のように。
 ちなみに、韓国の春は、大陸からの高沙の被害がひどく、窓を開けることさえできないという。日本の花粉情報のように、気象予報には高沙情報が加えられる。
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 友人宅の庭の招かれざる客であるカラスにせよ、私たち夫婦に頻りに鼻をかませる花粉にせよ、そして、韓国を覆う高沙にせよ、もとをただせば、生態系のリズムを軽んじ、自然環境への配慮を欠いた、目先の利害だけに目が眩んだ我々の貪欲さにその原因がある。
 春なのに!環境問題のみならず、政治・経済・社会など、明るいニュースはほとんどない。
 しかし、痛みつけられつつも、季節は、その役目を精一杯果たし、命の数々を芽生えさせてくれる。その春を告げる命たちを、小鳥をいとおしむ友人のように、感謝と労わりをもって迎えてあげたい。

(2009.03.10)