コラム

思いの食卓

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【秋貞淑】
旅立つ季節 ―躓きつつ......

 託児施設などに預けられたことも、幼稚園に通ったこともない私にとって、小学校は、家族以外の共同体への初進出であった。
 その門出を祝って、母は、ランドセルや運動靴、教科書、学用品などの全てを新品で揃えてくれた。兄は、カレンダーの用済み分を取ってきて、裏の白い面を表にして、教科書にカバーをかけてくれた。そのカバーは、隙のないように本のサイズにぴったりと合わさっていて、角の所もきっちりと折られていて、私は大いに満足した。そのカバーの上に、母はきれいな字でバランスよく、国語、算数などの科目名を書いてくれて、その下に、私が自分の手で名前を入れた。

 託児施設などに預けられたことも、幼稚園に通ったこともない私にとって、小学校は、家族以外の共同体への初進出であった。
 その門出を祝って、母は、ランドセルや運動靴、教科書、学用品などの全てを新品で揃えてくれた。兄は、カレンダーの用済み分を取ってきて、裏の白い面を表にして、教科書にカバーをかけてくれた。そのカバーは、隙のないように本のサイズにぴったりと合わさっていて、角の所もきっちりと折られていて、私は大いに満足した。そのカバーの上に、母はきれいな字でバランスよく、国語、算数などの科目名を書いてくれて、その下に、私が自分の手で名前を入れた。親子3人に完成させたカバー掛け教科書に、鉛筆箱には兄が削ってくれた新しい鉛筆たちが先っぽを尖らして並べられ、出陣の準備は万全に整った。
 待ちに待った入学式が終わり、小学生としての新生活がスタートを切った。それから、わずか数日後、家族の応援も空しく、私は、早々とドジを踏むこととなった。
 放課時に、「皆さん、学校が終わるとまっすぐ家に帰りなさい」という先生の訓辞があった。校門を出て間もなく、私は悩んだ。「まっすぐ帰ると家とは違う方向なのに…、でも、先生の言うことはちゃんと守るように母から言われているし…」と、不安を感じつつもそれを追い払い、まっすぐに歩いていった。「これ以上行ったら、知らない町なのに…、どうしよう…」と思い、辺りを見回すと、もう既に見慣れてない町に来ていた。引き返そうかと、後ろを振り返ると、道はいくつもあり、どちらが来た道なのかまったく分からない。心細さが襲ってきて、涙がこぼれてくる。鼻を啜りながら、「まっすぐ帰りなさい」という先生のことばを思い起こし、そのまままた歩き続けた。途中で交番を見かけたが、恐くて近寄れず、通り過ぎた。いつの間にか、日も暮れかかって、回りは薄暗くなってゆき、恐怖と疲れが一気に募り、その場にしゃがみ込んで大声で泣いた。大人2、3人が寄ってきて声をかけてくれたが、パニック状態に陥っていて、その後の記憶は定かではない。
 正気に返った時、我が家の布団の中であって、母が傍にいた。母の顔を見ると、また涙が出てきて、泣きじゃくりながら、「先生が、まっすぐ帰れと…」と、途切れ途切れ訳を伝えようとした。
 携帯電話はおろか、家にも電話がない時代であったが、その分、危険な目に会う確率も少ない時代であったせいか、親切な大人たちに助けられて、数時間の放浪は、事なきを得た。
 それからは、張り切っていた学校生活が、一変してしんどくなった。先生や学友の話を、正確に受け止めようと、神経を張り詰めていて、緊張の日々が続いた。
 しかし、一度あることは二度あると、「まっすぐ」の一件は、続くドジや躓きの前哨戦に過ぎなかった。
 笑うに笑えないことを次々起こす私を見て、母は、「そんなに融通の利かない性格で、どうやって世の中を生き抜くのか」と、溜息交じりの叱責を繰り返した。
 母の心配は、的中したとも、外れたとも言えず、紆余曲折はあったものの、何とか年を重ね、今は、そこそこ図太い中年のオバサンになっている。
                          *    *
 私のような小1の子はいないだろうが、多くの人が、進学、就職、転職などで、不慣れな環境に身を置く時期である。
 中には、望みとはかけ離れた環境に移されたり、辛抱を要する足踏みの状態にあったりと、晴れない気持ちで4月を迎える人も少なくないだろう。しかし、皆、何とか乗り越えてほしい。いや、乗り越えていかなくちゃ!

(2009.03.27)