コラム

吉武輝子のメッセージ JAの女性たちへ

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【吉武輝子】
駅伝スタイルで行かなくちゃ!!

 作家の落合惠子さんは敗戦の年の1945年生まれだからわたくしよりも14歳年下で...

 作家の落合惠子さんは敗戦の年の1945年生まれだからわたくしよりも14歳年下である。何故かこの25年間、揺るぎない信頼関係で結ばれている。どちらも、宵っ張りなので、夜の静寂に包まれて、やるせなくなるほどの孤独感に苛まれると無意識に電話のダイヤルを回している。「ええっ、今電話に手を伸ばした瞬間だったのよ」といつもあまりのタイミングの良さに互いに感極まるときが多い。
 わたくしは人間大好き人間だが、自分を引っくるめて人間の存在自体はなかなか厄介なものである。さまざまなグループに入っているので、時々「ここだけの話だけど」と愚痴ってしまうことがあるが、何故か「ここだけの話」に尾ひれがついて「ここからの話」に広がり、人間関係のもつれの渦中の人になったりする。しかし落合惠子さんとの間では「ここだけの話」がここだけに留まるので心おきなく愚痴ったり嘆いたり。おかげで、メタンガスを溜め込むことなく、心新たに人生の難事にがっぷりと取り組むことができる。それにしても何故どんな場合でも互いに裏切り合うことなく、エール交換しあって生きる、言うなれば固い同志愛で結ばれているのだろうかと、時折考え込むことがあったが、出版労組の女性部主催の会で対談をしたとき、理由がはたと分かった。
 25年前に落合惠子さんの小説「ザ・レイプ」が映画化された。事前にシナリオを読ませて欲しいと依頼してあったのに、送られてきたのは、映画の完成試写会の招待状だった。映画には小説にはない女性が設定されていて「レイプは愛のあかしと言うことに気づいた」などとレイプ礼賛のせりふを繰り広げている。レイプは女の人権侵害という小説のテーマを踏みにじった映画作りに、落合さんは心底怒り、原作名を消すように映画会社に要求した。だがその要求を無視し、落合さんの怒りをおもしろ可笑しく宣伝に利用する映画会社の女性蔑視に落合さんは法廷闘争に持ち込んだ。同性の作家からも「原作料がもらえればいいじゃない。大人になりなさいよ」といわれ、メディアで仕事をすることの道が閉ざされたと絶望感に押しひしがれていたとき、真紅のバラの花束が贈られてきた。カードには「一緒に闘いましょう 吉武輝子」と書かれていた。そのとき「この先輩が道を間違えることがあっても最後まで守り抜こう」と決意したとの落合惠子さんの言葉を聞きながら、目の底を熱くしていた。
 わたくしの戦後はアメリカ兵の集団性暴力からスタートしていた。暗いトンネルから出るまでに半世紀を要した。レイプを女の人権侵害と考え、全力で闘ってくれている後輩への、それはわたくしの心からの「ありがとう」の現れだったのである。何世紀にもわたって踏みにじられてきた女の人権を確立するためにはフルマラソンではなく、先輩から後輩へとバトンタッチしていく、駅伝方式でなくてはならないことを教えてくれたのは落合惠子さんだった。
 落合さんはベストセラーになった「スプーン一杯の幸せ」の印税のすべてを注ぎ込んで、青山に子どもと女の本屋「クレヨンハウス」を作った。今ではその地下で無農薬の野菜を売っている。一つ一つの野菜には生産者の名前が書かれている。ほとんどが女性の名前である。ここでも女性同士の駅伝方式が見事に息づいている。

(2006.11.24)